- 作家名
- 堀口捨己
- HORIGUCHI Sutemi (index name)
- Horiguchi Sutemi (display name)
- 堀口捨己 (Japanese display name)
- ほりぐち すてみ (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1895-01-06
- 生地/結成地
- 岐阜県席田郡上保村 (現・岐阜県本巣市)
- 没年月日/解散年月日
- 1984-08-18
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 建築
- 2019
- 東京文化財研究所「堀口捨己」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28128.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「堀口捨己」『日本美術年鑑』平成8年版(334-335頁)元明治大学教授で日本芸術院賞、日本建築学会賞などを受賞した建築家堀口捨己は1984年8月18日に享年89で死去していたことが、平成7年1月28日に行われた「生誕100年記念シンポジウム」で報告された。本人の意志と家族の意向により死去は11年間公表されず、シンポジウムを機会に弁護士が戸籍を調べて明らかになった。茶室の研究と設計で知られた堀口は明治28(1895)年、1月6日に岐阜県本巣郡席田村上ノ保...
Powered by
Wikipedia
堀口 捨己(ほりぐち すてみ、1895年1月6日 - 1984年8月18日)は、日本の建築家。佐野利器によって耐震力学が重視されていた当時の東大建築学科への反動と、ヨーロッパの新しい建築運動への憧憬から、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。論文「利休の茶」で北村透谷賞を受賞。また歌人として、さらには日本庭園の研究家としても知られる。日本の建築と庭園の関係を「空間構成」としてとらえ、昭和戦前期より庭園に関する資料を収集し、1962年に神代雄一郎と共著で外国人向けに『Tradition of Japanese Garden』を、1965年に庭園論集『庭と空間構成の伝統』を出版、1975年に出版された自らの作品集の名称は『家と庭の空間構成』としている。1984年8月18日死去。本人の意向により、その事実は公にされなかった。関係者の間ではうすうす死亡したのではないかと噂されていたが、1995年1月28日に開催された「堀口捨己生誕100周年記念行事」の際に初めて公にされた。なお、気象学者の堀口由己は兄。
- 2023-02-20