- 作家名
- 板谷波山
- ITAYA Hazan (index name)
- Itaya Hazan (display name)
- 板谷波山 (Japanese display name)
- いたや はざん (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1872-04-10
- 生地/結成地
- 茨城県真壁郡下館町
- 没年月日/解散年月日
- 1963-10-10
- 没地/解散地
- 東京都北区田端
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 工芸
- 2019
- 東京文化財研究所「板谷波山」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9003.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「板谷波山」『日本美術年鑑』昭和39年版(138-139頁)陶芸家、日本芸術院会員、文化勲章受賞者板谷波山は10月10日直腸ガンのため自宅で死去した。享年91才。略年譜明治5年(1872) 3月3日、茨城県下館市に生まれる。本名嘉七。生家は醤油醸造業を営む旧家で、父善吉は半癡と号し風流文事を愛し南画を描いた。母は宇多子、波山はその三男である。明治15年(1882) 7月、父善吉没す。明治18年(1885) 下館小学校卒業。明治20年(1887) 上京し成城...
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板谷 波山(いたや はざん、1872年4月10日〈明治5年3月3日〉 - 1963年〈昭和38年〉10月10日)は、明治後期から昭和中期にかけて活動した日本の陶芸家。本名は板谷 嘉七(いたや かしち)。号は、始め「勤川」、のち「波山」。「勤川」は故郷を流れる五行川の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」に、「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因む。日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者である。理想の陶磁器づくりのためには一切の妥協を許さなかった波山の生涯は映画化もされている。日本の陶芸は縄文時代からの長い歴史をもつが、「職人」ではない「芸術家」としての「陶芸家」が登場するのは近代になってからであった。波山は、正規の美術教育を受けた「アーティスト」としての陶芸家としては、日本における最も初期の存在である。陶芸家の社会的地位を高め、日本近代陶芸の発達を促した先覚者として高く評価されている。
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- 2023-02-20