A1055

飯塚琅玕斎

| 1890-03-15 | 1958-12-17

IIZUKA Rōkansai

| 1890-03-15 | 1958-12-17

作家名
  • 飯塚琅玕斎
  • IIZUKA Rōkansai (index name)
  • Iizuka Rōkansai (display name)
  • 飯塚琅玕斎 (Japanese display name)
  • いいづか ろうかんさい (transliterated hiragana)
  • 飯塚弥之助 (real name)
  • 飯塚友石 (art name)
生年月日/結成年月日
1890-03-15
生地/結成地
栃木県下都賀郡(現・栃木県栃木市)
没年月日/解散年月日
1958-12-17
没地/解散地
東京都文京区
性別
男性
活動領域
  • 工芸

作家解説

1890(明治23)年、籠師[かごし]の初代飯塚鳳齋[ほうさい]の七男として栃木県下都賀[しもつが]郡栃木町大字嘉右衛門町[かうえもんちょう](現・栃木市嘉右衛門町)に生まれる。本名は弥之助[やのすけ]、別号は友石[ゆうせき]。飯塚家は竹工を生業とし、12歳の頃より父から唐物風の竹編技術を習うと早くから傑出した才能を発揮した。青年期には日本画家を志していたが、その技術の高さから家業を継ぐこととなる。明治40年頃に一家で上京し、兄・二代鳳齋のもとで竹工芸に従事。1915(大正4)年、大正天皇即位に伴う大嘗祭のために《神服入目籠[しんぷくいりめかご]》一対を宮内省から依頼され、一家で謹製した。 芸術としての竹工芸を目指していた琅玕齋は「創作する魂」、すなわち深い教養を土台とした知性が必要と考え、漢学はもちろん、絵画や茶道、華道、書道をも竹工芸とともに学んでいた。1916(大正5)年頃、20代半ばで独立すると、支援者であった篆刻家の蘆野楠山[あしのなんざん]から「琅玕齋」の号を贈られた。「琅玕」とは美しい竹の意である。1922(大正11)年、平和記念東京博覧会にて《厨子花籃[ずしはなかご]》が銀碑を受賞、宮内省買い上げとなる。さらに1925(大正14)年、パリ万国装飾美術工芸博覧会で《手筥[てばこ]》が銅賞を受賞するなど、国内外の博覧会にて早くもその才能を開花させた。 1907(明治40)年、美術振興のための公募展として設立された文部省主催美術展覧会(文展)が開催されたが、日本画、西洋画、彫刻の3部門のみで、工芸分野は除外された。美術工芸を志向する作家たちは、文展の後身である帝国美術院展覧会(帝展)への工芸部門設置運動を推進するため、全国の工芸作家と大同団結して日本工芸美術会を結成した。すでに農商務省主催図案及応用作品展覧会(農展)や各国の博覧会で輝かしい受賞を重ねていた琅玕齋は、同会に竹工芸界からただ一人参加し、その第1回展にも出品している。1927(昭和2)年の第8回帝展にようやく美術工芸部門が設置されたものの、琅玕齋は無鑑査招待の選にもれ、さらに1928年から3年間、連続して3回落選の憂き目にあう。東京の日本橋三越などでも個展を開き、すでに高い評価を得ていた琅玕齋であったが、陶芸や金工、漆芸の作家らで構成された審査員の眼に、竹工芸は個性を表出したものとは映りにくかった。1931(昭和6)年、第12回帝展においてようやく《手筥》(個人蔵)が初入選し、翌1932(昭和7)年の第13回帝展にて《竹製筥》(所在不明)が竹工芸初の特選を受賞した。両作品とも丹念な「竹刺し編み」で菱繋文[ひしつなぎもん]を編み出した力作である。《手筥》は、当時の帝展美術工芸を批判的に見ていた柳宗悦の眼にもとまり、「この材料が有つ性質をよく活かし、紋様も最も自然な幾何學的なもので現わしてゐる」(柳宗悦「帝展の工藝 昭和6年度」『大阪毎日新聞』1931年11月1日)と評価されている。1939(昭和14)年、琅玕齋は第3 回新文部省美術展覧会(新文展)で竹工芸界初の審査員に任命された。 琅玕齋は自身の作品の品格を示し、竹工芸に対する理解を得るため自らの作品を「真」・「行」・「草」の三態を用いて語った。「真」はもっとも精巧かつ緻密な編組と左右対称のきっちりとした形で、古典的な風格をもったもの。染色した竹ひごで精緻な文様を編み出していく「竹刺し編み」や、薄く削った竹を束ねて優美な曲線をみせる「束ね編み」を用い、前述した《手筥》(個人蔵)や《盛籃 国香》(1939年、第3回新文展出品、個人蔵)、《花籃 宝殿》(1948年頃、国立工芸館、金沢)などが挙げられる。 「草」は編みも形も竹の性質に従って自由に形作られる野趣あふれるもので、「真」と「草」の中間を「行」とする。「草」の作品には、平たく割り延ばした幅広の竹材を豪快に組み上げ、潮流に見立てた《花籃 鳴戸》(1930年頃、個人蔵)や、形の面白い竹の根を籠の手に活かした《盛籃 雲龍》(1945年、個人蔵)などがある。三態の格の違いは作品の銘にも現れており、「真」は吉祥の意味合いを、「行」、「草」には自然の事物や事象を想起させる銘を付けていた。このように琅玕齋は、卓抜した技による籠の造形と銘のイメージのみで独立した自然観を表現し、竹の新たな創作の可能性を切り拓いた。 なお、1930年代の琅玕齋の制作に関する考え方の一端については、「花籠の話」(『現代美術』4巻2号、1937年2月)や「竹とその藝術」(『塔影』15巻5号、1939年5月)などの自筆文献に垣間見ることができる。 1930-1940年頃は、商工省工芸指導所や建築家のブルーノ・タウト、民藝運動の作家たちが日本の「手仕事」に注目していた時代であった。伝統的な素材である竹は、この時代の工芸・デザインを象徴する位置を占めることとなる。1933(昭和8)年に琅玕齋の工房を訪ねたブルーノ・タウトは、彼の作品を「高い芸術的境地を達得したもの」(『日本―タウトの日記-1933年』岩波書店、1975年)と評した。 また、当時の対外グラフ誌『NIPPON』においても、日本文化を海外に宣伝していく際、「手仕事」は重要なテーマのひとつとなっていた。『NIPPON』11号 パリ万国博覧会号(1937年)は、国際文化振興会が出品した様々な工芸品の文化的背景を紹介し、日本を代表する「陶工」として濱田庄司が、「竹工芸家」として琅玕齋が大きく取り上げられた。 さらに、日本文化を海外に紹介することを目的として1930–1950年代に国際文化振興会が制作した映画シリーズ「KBS文化映画」のうち、「竹籠[Bamboo weaving]」(1940年)は琅玕齋を特集している。神業とも思える素早い手さばきで花籠を編み上げる様子から、仕事場や茶室の風景まで収めた、当時を物語る貴重な映像資料である。このように、伝統性と近代性を兼ね備えている点で、民藝派の個人作家とともに、竹工芸では琅玕齋が、日本文化の国際的なアピールに重要な役割を果たしていた。 1944(昭和19)年、琅玕齋は強制疎開のため一家で栃木市太平山[おおひらさん]の別荘に転居し、1950(昭和25)年まで過ごした。その間に制作した第1回日展(日本美術展覧会)委嘱出品作の《華籃 富貴[ふうき]》(1945年、個人蔵)は琅玕齋の代表作に位置付けられる。また、1947(昭和22)年には昭和天皇の栃木市ご巡行に際し、同市から献上する《華籃 魚の舞[うおのまい]》を謹製した。 1950(昭和25)年、飯塚家は東京都文京区千駄木へ転居した。病を得た後も琅玕齋は精力的に活動し、戦後は日本美術展覧会の参事や審査員、日本工芸会理事などを務め、日本の美術界に竹工芸家の存在を確固たるものにした。1951(昭和26)年の第7回日展には、平たく割り延ばした竹材と「つるむすび」の技法を組み合わせた大胆かつ繊細な《花籃 黄縅[きおどし]》(敦井美術館、新潟)を出品。また、箱根美術館(現・MOA美術館、静岡)初代館長・岡田茂吉[もきち]から依頼を受け、《花籃》(南宋・郊壇窯青磁大壺[こうだんようせいじおおつぼ]写し、1954年、MOA美術館)を制作している。茶の湯の世界における工芸品の格付けでは、青磁は「真」、竹花籠は「草」に位置付けられる。この時琅玕齋はいわゆる「唐物写し」にとどまらず、深みのある染色と、緻密で硬質な編みが生み出す造形美によって、格の違いを超えた竹の品格を表現しようとしていた。 1958(昭和33)年12月17日、琅玕齋は永眠した。その作品と制作の理念は、二男の飯塚小玕齋[しょうかんさい](1919–2004)をはじめ、生野祥雲齋[しょうのしょううんさい](1904–1974)など後進の作家に大きな影響を与えた。1982(昭和57)年、小玕齋は重要無形文化財「竹工芸」保持者に認定された。 (鈴木 さとみ)(掲載日:2023-09-26)

1985
竹の工芸: 近代における展開, 東京国立近代美術館, 1985年.
1989
飯塚琅玕斎展, 栃木県立美術館, 1989年.
2003
竹の造形: ロイド・コッツェン・コレクション展, 大分市美術館, 新潟市美術館, 松坂屋美術館, 細見美術館, 広島県立美術館, 日本橋三越, 2003–2004年.
2003
創造の手わざ: 近代工芸・栃木の七星, 栃木県立美術館, 2003年.
2006
竹の創造: 近代竹工芸の系譜と那須, 那須野が原博物館, 2006年.
2007
竹工芸の正統: 飯塚鳳斎・琅玕斎・小玕斎, とちぎ蔵の街美術館, 2007年.
2012
竹工芸の継承・革新: 早川尚古齋・田邊竹雲齋・飯塚琅玕齋・生野祥雲齋を中心に, 大分県立芸術会館, 2012年.
2013
近代竹工芸の誕生: 二代鳳斎と琅玕斎を中心に, とちぎ蔵の街美術館, 2013年.
2014
竹のめざめ: 栃木竹工芸の精華, 栃木県立美術館, 2014年.
2018
線の造形、線の空間: 飯塚琅玕齋と田辺竹雲斎でめぐる竹工芸, 菊池寛実記念智美術館, 2018年.
2018
日本の竹工芸: アビーコレクション (Japanese Bamboo Art: The Abbey Collection), メトロポリタン美術館, 2018年.
2018
空を割く 日本の竹工芸 (Fendre l'air : art du bambou au Japon), ケ・ブランリ ジャック・シラク美術館, 2018–2019年.
2019
竹工芸名品展: ニューヨークのアビー・コレクション: メトロポリタン美術館所蔵, 大分県立美術館、東京国立近代美術館工芸館、大阪市立東洋陶磁美術館, 2019–2020年.
2020
竹の息吹き: 人間国宝勝城蒼鳳と藤沼昇を中心に: とちぎ版文化プログラム “リーディングプロジェクト事業”, 栃木県立美術館, 2020年.
2020
工の芸術: 素材・わざ・風土: 国立工芸館石川移転開館記念展 1, 国立工芸館, 2020–2021年.
2023
栃木市立美術館開館記念展: 明日につなぐ物語, 栃木市立美術館, 2023年.

  • 国立工芸館, 石川県金沢市
  • 京都国立近代美術館
  • 栃木県立美術館
  • 大分県立美術館
  • 栃木市
  • 大田原市
  • 出光美術館, 東京
  • MOA美術館, 静岡県熱海市
  • 敦井美術館, 新潟市

1937
飯塚琅玕斎「花籠の話」『現代美術』第4巻第2号 (1937年2月): 62–65頁 [自筆文献].
1939
飯塚琅玕斎「竹とその芸術」『塔影』第15巻第5号 (1939年5月): 25-27頁 [自筆文献].
1985
東京国立近代美術館編『竹の工芸: 近代における展開』東京: 東京国立近代美術館, 1985年 (会場: 東京国立近代美術館) [展覧会カタログ].
1989
栃木県立美術館編『飯塚琅玕斎展』[宇都宮]: 栃木県立美術館, 1989年 (会場: 栃木県立美術館).
1999
Newland, Joseph N. (ed.). Japan Bamboo Baskets: Masterworks of Form and Texture from the Collection of Lloyd Cotsen. Los Angeles: Cotsen Occasional Press, 1999.
2003
日本経済新聞社編『竹の造形: ロイド・コッツェン・コレクション展』東京: 日本経済新聞社, 2003年 (会場: 大分市美術館, 新潟市美術館, 松坂屋美術館, 細見美術館, 広島県立美術館, 日本橋三越).
2003
青木宏編集・執筆『創造の手わざ: 近代工芸・栃木の七星』宇都宮: 栃木県立美術館, 2003年 (会場: 栃木県立美術館) [展覧会カタログ].
2006
那須塩原市那須野が原博物館編『竹の創造: 近代竹工芸の系譜と那須』[那須塩原]: 那須塩原市那須野が原博物館, 2006年 (会場: 那須塩原市那須野が原博物館) [展覧会カタログ].
2007
Moroyama Masanori, Masami Oguchi, Satomi Suzuki. Japanese Bamboo Baskets: Meiji, Modern, Contemporary. Tokyo: Kodansha International, 2007.
2007
とちぎ蔵の街美術館, 栃木県立美術館編『竹工芸の正統: 飯塚鳳斎・琅玕斎・小玕斎』栃木: とちぎ蔵の街美術館, 2007年 (会場: とちぎ蔵の街美術館) [展覧会カタログ].
2012
大分県立芸術会館編集協力『竹工芸の継承・革新: 早川尚古齋・田邊竹雲齋・飯塚琅玕齋・生野祥雲齋を中心に』[出版地不明]: アートボックス, 2012年 (会場: 大分県立芸術会館) [展覧会カタログ].
2013
村井孝行, 志賀真智子編『近代竹工芸の誕生: 二代鳳斎と琅玕斎を中心に: Lundy Collection』[土庄町 (香川県)]: アート・ビオトープ, 2013年 (会場: とちぎ蔵の街美術館) [展覧会カタログ].
2014
鈴木さとみ編『竹のめざめ: 栃木竹工芸の精華』宇都宮: 栃木県立美術館, 2014年 (会場: 栃木県立美術館) [展覧会カタログ].
2017
Bincsik, Monika. Japanese Bamboo Art: The Abbey Collection. Metropolitan Museum of Art Bulletin, Spring 2017. [Exh. cat.]. New York: Metropolitan Museum of Art, [2017] (Venue: Metropolitan Museum of Art).
2018
菊池寛実記念智美術館編『線の造形, 線の空間: 飯塚琅玕齋と田辺竹雲斎でめぐる竹工芸』[東京]: 菊池美術財団, 2018年 (会場: 菊池寛実記念智美術館).
2018
Martin, Stéphane. Fendre l'air: Art du Bambou au Japon. [Exh. cat.]. Paris, [S.l.]: Skira , Musée du quai Branly Jacques Chirac, 2018 (Venue: The Musée du quai Branly-Jacques Chirac).
2019
東京文化財研究所「飯塚琅玕斎」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8772.html
2019
大分県立美術館, 東京国立近代美術館, 大阪市立東洋陶磁美術館, NHKプロモーション編『竹工芸名品展: ニューヨークのアビー・コレクション: メトロポリタン美術館所蔵』[東京]: NHKプロモーション, 2019年 (会場: 大分県立美術館, 東京国立近代美術館工芸館, 大阪市立東洋陶磁美術館).
2020
鈴木さとみ執筆・編集『竹の息吹き: 人間国宝勝城蒼鳳と藤沼昇を中心に: とちぎ版文化プログラム“リーディングプロジェクト事業”』宇都宮: 栃木県立美術館, 2020年 (会場: 栃木県立美術館) [展覧会カタログ].
2020
花井久穂, 野見山桜編『工の芸術: 素材・わざ・風土 国立工芸館石川移転開館記念展 I』東京: 東京国立近代美術館, 2020年 (会場: 東京国立近代美術館工芸館) [展覧会カタログ].
2023
栃木市立美術館編『明日につなぐ物語 栃木市立美術館開館記念展』栃木: 栃木市立美術館, 2023年 (会場: 栃木市立美術館).

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

日本工芸会理事、元日展参事、竹工芸界の重鎮飯塚琅玕斎は、12月17日急性心筋硬塞症のため、東京都文京区の自宅で逝去した。享年68才。本名弥之助。明治23年3月15日栃木市に生れた。家は代々竹芸を業とし琅玕斎も12才の時竹工を志し、父飯塚鳳翁に竹芸を学んだ。13才の折上京、書道、生花にも励んだ。制作活動は明治末から没年までにわたり、作品は各博覧会に、また帝展に工芸部設置後は帝展を主とし、続いて昭和期...

「飯塚琅玕斎」『日本美術年鑑』昭和34年版(157頁)

  • 2024-02-09