- 作家名
- 三木淳
- MIKI Jun (index name)
- Miki Jun (display name)
- 三木淳 (Japanese display name)
- みき じゅん (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1919-09-14
- 生地/結成地
- 岡山県児島郡(現・岡山県倉敷市)
- 没年月日/解散年月日
- 1992-02-22
- 没地/解散地
- 東京都港区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 写真
- 1967
- 三木淳『サンバ・サンバ・ブラジル: 三木淳写真集』東京: 研光社, 1967年.
- 2000
- 東京都写真美術館執筆・監修『日本写真家事典: 東京都写真美術館所蔵作家 東京都写真美術館叢書』京都: 淡交社, 2000年, 291頁.
- 2003
- 「三木淳 日本美術年鑑所載物故者記事」『東京文化財研究所』更新日2023-09-26. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10292.html
- 2005
- 日外アソシエ―ツ編『日本の写真家: 近代写真史を彩った人と伝記・作品集目録』東京都写真美術館監修. 東京: 日外アソシエーツ, 2005年, 385–386頁.
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「三木淳」『日本美術年鑑』平成5年版(311頁)日本写真家協会会長、日本写真作家協会会長などをつとめた報道写真家三木淳は2月22日午前0時47分、急性心不全のため東京都港区の慈恵医大病院で死去した。享年72。大正8(1919)年9月14日岡山県児島郡藤戸町(現・倉敷市)に生まれる。岡山県立岡山第一中学校を卒業して慶応大学経済学部に入学。在学中から写真家を志し木村伊兵衛、土門拳らを知り、昭和16(1941)年土門に弟子入りして文楽人形の撮影などの...
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三木 淳(みき じゅん、1919年〈大正8年〉9月14日 - 1992年〈平成4年〉2月22日)は日本の報道写真家。1949年(昭和24年)から1956年(昭和31年)まで、日本人で唯一『ライフ』(米タイム・ライフ社発行)の正規スタッフ写真家として活動した。退社後は、フリーランスの報道写真家として国際的に活動した。晩年はアマチュア写真界の発展並びに学校教育に多大な貢献をした。 青年期に『ライフ』(米タイム・ライフ社発行)の表紙に掲載されたマーガレット・バーク=ホワイトの写真と、土門拳が撮影した「傘を回す子供」の写真に感銘を受け、写真家を志す。土門拳、亀倉雄策に師事し、写真を学ぶ。 シベリア抑留中の日本人が帰還する様子を撮影したフォト・ストーリー「日本の“赤色部隊”祖国に帰る」が『ライフ』の巻頭特集に掲載されたのを機に、『ライフ』の正規スタッフ写真家となる。朝鮮戦争が勃発すると、来日したデビッド・ダグラス・ダンカン、カール・マイダンス、ハンク・ウォーカー といった『ライフ』の写真家たちに、ニコン製のレンズとカメラを紹介し、ニコンが世界中に広まる契機となる。サンフランシスコ講和条約調印の際、吉田茂首相の葉巻をくわえた姿を撮影し、『ライフ』の表紙を飾る。 1950年(昭和25年)、写真家団体『集団フォト』を結成した。同団体のグループ展で、アンリ・カルティエ・ブレッソンやマーガレット・バーク=ホワイトのオリジナルプリントを日本で初めて紹介した。また、1952年(昭和27年)には、ニッコールクラブ設立を提案し、アマチュア写真愛好家をサポートする。53歳のとき、脳腫瘍を患い治癒後は後輩の育成、写真美術館の設立、写真家の地位向上に尽力する。 没後、若手写真家の活動支援を目的として、ニコンイメージングジャパン より、「三木淳賞」が設立される。 第三代日本写真家協会会長(JPS)、初代日本写真作家協会会長(JPA)、第三代ニッコールクラブ会長、日本大学芸術研究所教授、九州産業大学大学院芸術研究科教授、初代土門拳記念館館長などを歴任した。 栄典および位階は、紫綬褒章、勲三等瑞宝章、正五位。
- 2025-12-09