- 作家名
- 今野忠一
- KONNO Chūichi (index name)
- Konno Chūichi (display name)
- 今野忠一 (Japanese display name)
- こんの ちゅういち (transliterated hiragana)
- 今野忠市 (real name)
- 忠一 (art name)
- 松石 (art name)
- 生年月日/結成年月日
- 1915-03-26
- 生地/結成地
- 山形県東村山郡干布村(現・天童市上荻野戸)
- 没年月日/解散年月日
- 2006-04-15
- 没地/解散地
- 埼玉県さいたま市
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
- 2014
- 東京文化財研究所「今野忠一」日本美術年鑑所載物故者記事. 登録日2014-10-27. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28361.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「今野忠一」『日本美術年鑑』平成19年版(368頁)日本画家で日本美術院常務理事の今野忠一は4月15日、脳梗塞のためさいたま市の病院で死去した。享年91。1915(大正4)年3月26日、山形県東村山郡干布村(現、天童市上荻野戸)に生まれる。本名忠市。1931(昭和6)年山形の南画家後藤松亭に入門し、松石と号する。34年山形出身の日本画家高嶋祥光を頼って上京、児玉希望の門人となり、欣泉と号して写実的な風景画を学ぶ。しかし40年には同郷の彫刻家新海竹蔵...
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今野 忠一(こんの ちゅういち、本名:今野 忠市、1915年3月26日 - 2006年4月15日)は山形県天童市出身の日本画家。埼玉県在住。故郷の蔵王や月山を始め、多くの山岳や巨木を題材に、前景から背景まで分厚く塗る重厚な作風で知られた。戦前から戦後にかけて活躍した、児玉希望や鄕倉千靱ら日本画の巨匠たちに師事した。愛知県立芸術大学で教授を務めたほか、東北芸術工科大学の名誉教授も務め、彼の主宰した画塾からは多くの日本画家が輩出された。また、日本美術院で評議員、常務理事も務め、院展で大賞はじめ数多くの賞を受賞してきた日本画界の重鎮であった。その他、三島由紀夫著『金閣寺』の装丁を務めている。生涯作品の多くは出生地の山形県天童市にある天童市美術館に収蔵されているが、日本の現代作家としては唯一、イギリス・ロンドンの大英博物館に”早春の響き”が収蔵されている。
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- 2023-02-20