安井仲治

安井仲治は大正期から昭和期の前半にかけて活躍したアマチュア写真家である。ここで言う「アマチュア」とは、写真館の技師に代表される営業写真家や報道写真家のような「プロ」の写真家ではないという意味であり、当時この言葉には芸術表現としての写真を志す者としての強い自負が込められていた点には留意したい。 1920年代には「芸術写真」と総称される作風が大勢を占め、1930年頃を境に「新興写真」と呼ばれる新傾向の表現へと舵を切り、1930年代の後半からシュルレアリスム的世界へと接近、早すぎる晩年である1940年頃にはより深化した視覚によって戦時の風景やそこに生きる人々をとらえた傑作群を残した。こうした作風の変遷は一見すると日本近代写真史をなぞるものと映るが、各時代の流行から突出した安井の個性と独自性を示す作品が残されている。 安井仲治は1903（明治36）年、大阪府大阪市東区（現在の中央区）に生まれた。父、圓治郎と母、礒江の二男二女の長男であった。圓治郎は兄の仲蔵とともに大阪の中心地である船場、平野町に創業した安井洋紙店を共同経営していた。1914（大正3）年、仲治は子供たちをなくした仲蔵とシヅ夫妻の養子に入り、安井本家の跡取りとなった。仲蔵が1916（大正5）年に兵庫県宝塚市の紅葉谷に本宅を新築し一家で暮らすようになると、仲治は宝塚と圓治郎の暮らす大阪とを行き来して過ごした。 富裕な商家に生まれた仲治は幼年期からカメラに親しんだ。1918（大正7）年に入学した明星商業学校では同級生と詩歌や評論を持ち寄る同人会A・A会（Association d’Amitié）を結成し、回覧雑誌を発行するなど熱心に活動した。同校ではフランス語も学んでいる。 1922（大正11）年1月には大阪のアマチュア写真団体である青潮写真倶楽部に入会し、那迦爾の名で作品を発表し注目を集める。この年の春に平和記念東京博覧会を訪れ、その際に撮影した《分離派の建築と其周囲》（兵庫県立美術館）が認められ、同年9月、関西の名門アマチュア写真家団体である浪華写真倶楽部に入会を果たす。倶楽部の先輩である福森白洋、梅阪鶯里、米谷紅浪、望月蘆都らからブロムオイルやゴム印画などのピグメント印画の技法を学び、多様な技法による作品の制作と発表に励んだ。1925年に発表した旅芸人とその観客を被写体とする《眺める人々》、《猿廻しの図》（いずれもオリジナルのブロムオイル印画は焼失）は、視線の交錯する様をとらえて社会的存在たる人間のありように迫るもので、写真表現の新たな可能性を拓くものとして安井の存在を全国に知らしめた。この頃から若手ながら浪華写真倶楽部の中心メンバーとして、天弓会や銀鈴社といった実力者が集う倶楽部内クラブでの発表にも参加し、精力的に制作と発表を行った。1930（昭和5）年に上田備山らが結成した丹平写真倶楽部にも1931（昭和6）年より指導者として関わり、次第に活動の中心を丹平へと移していく。 日本写真美術展（大阪毎日新聞社主催、1926年第1回開催）や日本写真大サロン（大阪朝日新聞社主催、1926年第1回開催）、国際写真サロン（東京朝日新聞社主催、1927年第1回開催）といった全国規模の公募展での入賞を重ねていた安井は、1930年代にはこれらの公募展の審査員を歴任し、『アサヒカメラ』（1936年9月号）と『写真サロン』（1937年2月号）で特集が組まれるなど、全国にその名を知られる存在となった。 1937（昭和12）年に日中戦争が始まると、アマチュア写真家たちの活動は有形無形の制約により次第に自由を奪われていった。国威発揚に資する「報道写真」が推奨されるなか、安井や丹平の作家たちも、1940（昭和15）年には傷病兵の慰問撮影を行っており、翌年には集団制作による連作〈白衣勇士〉として発表している。一方で安井や丹平のメンバーは、そうした国策に沿う写真とは一線を画した芸術表現としての写真への努力も続けており、丹平写真倶楽部結成10周年を記念して刊行された写真集『光』（丹平写真倶樂部、1940年）にその成果を確かめることができる。1941（昭和16）年の春には同倶楽部の有志6人（安井、川崎亀太郎、河野徹、椎原治、田渕銀芳［かねよし］、手塚粲［ゆたか］）が、ナチスの迫害に追われ神戸に逃れてきた亡命ユダヤ人たちの撮影を行っている。〈流氓ユダヤ〉として発表された一連の作品は、報道的な関心の対象とされうる被写体にカメラを向けたものだが、安井はそれが「報道写真」とは一線を画した表現となっていることの自負を語っている。 1941（昭和16）年10月、安井は病身を押して、朝日新聞社主催の「新体制国民講座」のひとつとして「写真の発達とその芸術的諸相」と題した講演を行う。それから半年後の1942（昭和17）年3月15日に腎不全のため死去。同年4月に友人たちの尽力で遺作展が催され、8月には遺作展出品作を中心に編まれたと推測される『安井仲治写真作品集』（上田備山編集発行、1942年）が50部限定で発行された。これらの企画に際して集められた代表作とそのネガは1945（昭和20）年3月の大阪市内への空襲により焼失したと考えられるが、宝塚の安井邸に残されていたプリントとネガ、蔵書などの一次資料が現存する。安井が決死の覚悟で臨んだ1941（昭和16）年の講演の内容は、1942（昭和17）年8月に刊行された講座の記録（『新体制国民講座 第十輯 芸術篇』朝日新聞社、1942年に収録）に確かめることができる。その中で安井は言葉を選びながらも、写真芸術の本懐が個人としての人格の表現すなわち「道」にあると語っている。 戦災により安井仲治の代表作は焼失したと考えられるが、《分離派の建築と其周囲》（1922年、兵庫県立美術館）、《水》（1931–1932年、兵庫県立美術館）、《公園》（1936年、兵庫県立美術館）、《生》（1938年、兵庫県立美術館）、《窓》（1941年、兵庫県立美術館）などの〈流氓ユダヤ〉関連作といった重要作が現存する。その他にも生前の発表歴は不明ながら、〈朝鮮集落〉〈山根曲馬団〉と通称される諸作はその優れた内容により、現在では安井仲治の代表作と考えられている。これらを含めた400点を超すヴィンテージプリントは、ネガや写真アルバム、手稿や手紙類、『カイエ・ダール』や『ミノトール』といった海外の美術・写真の動向を伝える雑誌、海外の写真年鑑などを含む旧蔵書といった重要資料とあわせて作家遺族より兵庫県立美術館に寄贈された。ヴィンテージプリントで現存が確認されているのは、兵庫県立美術館に寄贈された作品の他には東京都写真美術館が所蔵する3点と、個人蔵の数点を数えるのみである 安井仲治の没後、複数の機会にモダンプリントが作成されている。安井の受容史を考える上でも、また失われた安井の代表作を補完するものとしても、これらのモダンプリントも貴重なものである。それらは1950年代から1970年代にかけて作成された棚橋紫水、河野徹、川崎亀太郎ら写真家によるプリント、1980年代に作成された写真評論家の福島辰夫、都夫妻によるプリント、2004-2005（平成16-17）年に開催された大規模回顧展（「生誕百年 安井仲治 —写真のすべて」渋谷区立松濤美術館、2004年10月5日–11月21日、ほか巡回）に際して作成されたプリンターの比田井一良氏によるプリント、タカ・イシイギャラリーが2010（平成22）年に発行した比田井氏によるモダンプリント30点からなるポートフォリオ、そして2023–2024（令和5–6）年に開催された回顧展「生誕120年 安井仲治―僕の大切な写真YASUI NAKAJI 1903–1942: Photographs」（愛知県美術館、2023年10月6日–11月27日、ほか巡回）に際して作成された比田井氏によるプリントに大別される。 （小林 公）（掲載日：2024-11-06）