A1912

松本竣介

| 1912-04-19 | 1948-06-08

MATSUMOTO Shunsuke

| 1912-04-19 | 1948-06-08

作家名
  • 松本竣介
  • MATSUMOTO Shunsuke (index name)
  • Matsumoto Shunsuke (display name)
  • 松本竣介 (Japanese display name)
  • まつもと しゅんすけ (transliterated hiragana)
  • 松本俊介
  • 佐藤俊介 (birth name)
生年月日/結成年月日
1912-04-19
生地/結成地
東京府豊多摩郡(現・東京都渋谷区)
没年月日/解散年月日
1948-06-08
没地/解散地
東京都新宿区
性別
男性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1912年、佐藤勝身とハナの二男・佐藤俊介として東京都豊多摩郡渋谷町に生まれる。3歳年上の兄・彬とふたり兄弟。父の仕事に伴い2歳の時に家族とともに岩手県の花巻に移り、少年時代を花巻と盛岡で過ごす。盛岡中学校に入学する13歳の春、流行性脳髄膜炎に罹り生死をさまよった末、一命を取り止めるものの聴覚を失った。1927年、兄から油絵道具一式を贈られたことをきっかけに画家を志す。1929年、兄の進学に伴い母とともに上京し、太平洋画会研究所に通う。1931年には石田新一、薗田猛、勝本勝義、田尻稲四郎、山内為男と太平洋近代芸術研究会を結成し、会誌『線』を発行。研究会にはのちに麻生三郎、寺田政明も加わった。さらに、東京・谷中にあった茶房リリオムに集まる仲間たちと赤荳会を結成、1935年には、NOVA美術協会の同人となる。その一方で、1933年から1936年まで、父が傾倒していた「生長の家」の機関誌『生命の藝術』の編集に兄とともに携わり、「人間風景」などの文章や挿画を寄稿する。 1935年、第22回二科展に《建物》(1935年、神奈川県立近代美術館)が初入選となる。初期作品においては、アメデオ・モディリアーニやジョルジュ・ルオーなどエコール・ド・パリとその周辺の画家たちからの影響が見られる。《建物》では、ルオーを思わせる黒く太い線が建物の輪郭線を際立たせているのが特徴的である。建物は、竣介にとって生涯にわたり関心を寄せる対象であり、画風の変遷に関わらず重要なモティーフであり続けた。 1936年に松本禎子と結婚し、松本姓となる。東京新宿、下落合の自宅兼アトリエを「綜合工房」と名づけ、禎子とともに随筆雑誌『雑記帳』を創刊する。原稿や挿画の依頼からデザイン、編集を二人で行い、竣介は自らエッセイも寄せている。『雑記帳』は資金難により14号で廃刊となるが、文学、美術から建築、自然科学、物理学といった多彩な分野の錚々たる顔ぶれによる冊子には、満州事変から日中戦争へと傾斜してゆく時代のなかで、芸術と科学、生活をつなごうとする二人の理想が込められていた。 1937年の『雑記帳』廃刊後、再び油彩画の制作に向かうと、翌年、新たな画風となる《街》(1938年、大川美術館、群馬)を第25回二科展に出品する。青を基調にした画面の中央にはモダンな衣装の女性が佇み、その周辺には都市をイメージさせるモティーフが広がり、独自の浮遊感を漂わせている。続いて発表される《序説》(1939年、岩手県立美術館)、《夕方》(1939年、個人蔵)、《都会》(1940年、大原美術館、岡山)においては、ジョージ・グロス研究の成果ともいえる自由な線で、大小さまざまな洋装、和装の人物たちが都会の風景と重層的に構成されている。けれども、こうした都会の喧騒を感じさせる無国籍な都会風景も長くは続かず、再び画風は変化する。 太平洋戦争の始まりと前後して、竣介は手製の小さなスケッチ帖を携えて東京や横浜の各所に出かけ、市街風景を描くようになる。街歩きは風景画の内容を一変させ、人の気配が消えた街に影法師が点景人物として表れる。《議事堂のある風景》(1942年、岩手県立美術館)、《Y市の橋》(1943年、東京国立近代美術館)、《運河》(1943年、石橋財団アーティゾン美術館、東京)では、街路、運河、橋、鉄橋、工場などの都市を構成する構造物が主役となる。これらの作品においては、西洋の古典絵画や東洋絵画の技法を応用し、転写用カルトンとしてハトロン紙を用いている。街で速写したスケッチから油彩になる過程で、実景から不要なものが削ぎ落とされ、硬質で匿名性の高い抒情溢れた竣介独自の画面が作り出される。その一方で、1940年の初個展以降に始まる自画像は、それまでの画風から一転、写実的なものとなる。 1941年、美術雑誌『みづゑ』434号に座談会記事「国防国家と美術」が掲載されると、竣介はその反論として「生きてゐる画家」を投稿し、同誌437号に掲載される。このことは、戦後、松本竣介が「抵抗の画家」とみなされ、《立てる像》(1942年、神奈川県立近代美術館)をはじめとする「画家の像」がその象徴として扱われる一因となった。一連の「画家の像」については、さまざまな解釈や議論がなされているが、いずれにしても、それらは戦争の時代に、竣介が自らの内面に問うような独自の姿勢で自らを繰り返し見つめて描いた作品であり、小さな画面から始まった自画像は、《画家の像》(1941年、宮城県美術館)、《立てる像》、《三人》(1943年、個人蔵)、《五人》(1943年、個人蔵)と大作になって、見る者の前に立つこととなった。 このほか、竣介にとっての重要な主題として、婦人像や少年像がある。子どもの愛らしいしぐさが印象的な少年像の制作にあたっては、わが子の存在が大きいと思われるが、ここでも風景画と同様にカルトンが用いられて、子どもを主題として普遍的なイメージを生成することに関心が向けられている。 1943年には、靉光や麻生三郎、寺田政明、井上長三郎、大野五郎、糸園和三郎、鶴岡政男と新人画会を結成、1944年の第3回展まで開催する。この頃、父の勧めで「俊介」から「竣介」にサインを改める。1945年3月の東京大空襲の後、家族を松本家の郷里である島根県松山に疎開させるが、竣介自身は東京に留まることを選ぶ。 戦後は、敗戦の混乱のなかで生活の立て直しに奔走しながら、1946年頃から《焼跡風景》(1946年頃、中野美術館、奈良)、《神田風景》(1946–1947年、個人蔵)など、廃墟となった東京を描く。この間、美術家組合を提唱する「全日本美術家に諮る」を作成して画家や知識人に送り、全日本美術家の提携再起を促した。1947年には自由美術家協会に新人画会のメンバーとともに参加するが、疲労が重なり年末から体調を崩す。 1948年、高熱をおして《彫刻と女》(1948年、福岡市美術館)と《建物》2点を完成させ、第2回美術団体連合展に出品。透明感のある地色に太く大胆な線で描かれた抽象化した人物や建物は、新たな画風の展開を予感させたが、気管支喘息による心臓衰弱のため36歳という若さで急逝した。 (長門 佐季)(掲載日:2023-12-15)

1935
第22回二科展, 東京府美術館, 1935年.
1940
松本俊介個展, 日動画廊, 1940年.
1943
新人画会展01回, 日本楽器画廊, 1943年.
1946
松本竣介・麻生三郎・舟越保武 油絵・彫刻展, 日動画廊, 1946年.
1948
第2回松本竣介遺作展, 日本橋・北荘画廊, 1948年.
1958
異端の画家たち: みなおした日本画壇史展: 読売アンデパンダン十周年記念, 上野松坂屋, 1958年.
1958
松本竣介・島崎鶏二展, 神奈川県立近代美術館, 1958年.
1963
松本竣介回顧展, 日本橋・白木屋, 1963年.
1977
松本竣介展, 小田急百貨店グランドギャラリー, 1977年.
1977
靉光・松本竣介そして戦後美術の出発, 東京都美術館, 1977–1978年.
1986
松本竣介展, 東京国立近代美術館, 岩手県民会館, 下関市立美術館, 1986年.
1991
松本竣介と30人の画家たち展, 神奈川県立近代美術館 鎌倉, 1991–1992年.
1998
松本竣介: 没後50年, 練馬区立美術館, 岩手県民会館, 愛知県美術館, 1998–1999年.
2008
岐阜縣二人展: 松本竣介: 麻生三郎, 美濃加茂市民ミュージアム, 2008年.
2011
松本竣介とその時代, 大川美術館, 2011年.
2012
生誕100年 松本竣介展, 岩手県立美術館, 神奈川県立近代美術館 葉山, 宮城県美術館, 島根県立美術館, 世田谷美術館, 2012–2013年.
2016
松本竣介: 創造の原点, 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館, 2016年.
2018
松本竣介: アトリエの時間, 大川美術館, 2018年.
2019
松本竣介: 読書の時間, 大川美術館, 2019年.
2019
松本竣介: 子どもの時間, 大川美術館, 2019年.
2019
松本竣介: 街歩きの時間, 大川美術館, 2019年.
2022
生誕110年 松本竣介, 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館, 2022年.
2023
松本竣介: デッサン50: 生誕110年記念, 大川美術館, 2023年.

  • 石橋財団アーティゾン美術館, 東京
  • 岩手県立美術館
  • 大川美術館
  • 大原美術館, 岡山県倉敷市
  • 神奈川県立近代美術館
  • 京都国立近代美術館
  • 東京国立近代美術館
  • ポーラ美術館, 神奈川県箱根町
  • 三重県立美術館
  • 宮城県美術館

1963
土方定一, 麻生三郎文『松本竣介画集』東京: 平凡社, 1963年.
1966
土方定一『日本の近代美術 岩波新書』東京: 岩波書店, 1966年, 195-198頁 (新版: 『日本の近代美術 岩波文庫』東京: 岩波書店, 2010年).
1977
朝日晃『松本竣介』東京: 日動出版部, 1977年.
1980
洲之内徹『帰りたい風景: 気まぐれ美術館』東京: 新潮社, 1980年, 133-142, 248-265, 275-284頁 (『帰りたい風景: 気まぐれ美術館 新潮文庫』東京: 新潮社, 1999年).
1982
松本竣介『人間風景』東京: 中央公論美術出版, 1982年, 新装増補版1990年 [自筆文献].
1986
「特集: 松本竣介展」そのI-そのIII『現代の眼』377-379号 (1986年4-6月).
1987
村上善男『松本竣介とその友人たち』東京: 新潮社, 1987年.
1992
窪島誠一郎『わが愛する夭折画家たち 講談社現代新書』東京: 講談社, 1992年, 91-124頁.
1992
宇佐美承『求道の画家松本竣介: ひたむきの三十六年 中公新書』東京: 中央公論社, 1992年. 再版1993年.
1993
大川栄二『美術館の窓から: 僕はこころの洗濯屋』東京: 芸術新聞社, 1993年, 217-219, 265-266, 276-288頁.
1994
小沢節子「松本竣介『生きてゐる画家』」『アヴァンギャルドの戦争体験: 松本竣介、瀧口修造 そして画学生たち』東京: 青木書店, 1994年, 新装版2004年, 97-189頁.
1996
柳沢秀行「いつまでも君がしずかにたたずむために: 松本竣介「画家の像」, そして「立てる像」に至る活動について」『現代芸術研究』第1号 (1996年1月): 140-164頁.
1996
日本アート・センター編『松本竣介 新潮日本美術文庫: 45』東京: 新潮社, 1996年.
1998
小林俊介「難波田龍起・松本竣介・靉光の油彩技法について」『美術史』第145冊 (1998年10月): 46-63頁.
1999
中野淳『青い絵具の匂い: 松本竣介と私 中公文庫』東京: 中央公論新社, 1999年. 改訂版2012年.
2004
村上博哉「松本竣介研究: 《画家の像》, 《立てる像》, 《五人》, 《三人》の解読」『鹿島美術財団年報』第21号別冊 (2004年): 377-389頁.
2005
田中淳『画家がいる「場所」: 近代日本美術の基層から』国立: ブリュッケ, 2005年, 333-361頁.
2009
酒井忠康『早世の天才画家: 日本近代洋画の十二人 中公新書』東京: 中央公論社, 2009年, 301-335頁.
2012
『松本竣介: 線と言葉 コロナ・ブックス』170, 東京: 平凡社, 2012年.
2019
東京文化財研究所「松本竣介」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8695.html
2020
広島市現代美術館編『無辜の絵画: 靉光, 竣介と戦時期の画家』東京: 国書刊行会, 2020年 [展覧会カタログ] (会場: 広島市現代美術館).

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

自由美術家協会会員松本竣介は6月8日肺炎のため東京都新宿区の自宅で37才で夭折した。明治45年4月19日東京青山に生れ、学齢前郷里盛岡に移る。盛岡中学卒業後昭和4年上京、太平洋画会研究所に入所し、昭和10年第22回二科展に初入選以来昭和19年解散まで毎回出品を続け、その間15年第27回展に特待賞をうけ翌16年度同展で会友に推挙された。18年新人画会を同志8人と結成し翌19年迄3回展覧会を催した。戦...

「松本竣介」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(137頁)

Wikipedia

松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌「みづゑ」437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。

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VIAF ID
50079328
ULAN ID
500322267
AOW ID
_00063387
Benezit ID
B00118777
Grove Art Online ID
T055984
NDL ID
00041860
Wikidata ID
Q2811944
  • 2024-03-01