- 作家名
- 松田権六
- MATSUDA Gonroku (index name)
- Matsuda Gonroku (display name)
- 松田権六 (Japanese display name)
- まつだ ごんろく (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1896-04-20
- 生地/結成地
- 石川県金沢市大桑町
- 没年月日/解散年月日
- 1986-06-15
- 没地/解散地
- 東京都千代田区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 工芸
作家解説
1896年、石川県金沢市に生まれる。漆塗りを行う仏壇職人であった兄から、7歳で漆芸を習いはじめる。1910年に石川県立工業学校(現・石川県立工業高等学校)漆工科描金部に入学。すでに入学時には卒業生と同等の技を身につけていたという。1914年、石川県立工業学校卒業後に上京し、工業学校時代の恩師である藤岡金吾の紹介で六角紫水[ろっかくしすい]を訪ねる。この年、東京美術学校(現・東京藝術大学)漆工科に入学して11月から同校卒業まで六角の自宅にて書生として寄宿する。また、六角が宮内省内匠寮から依頼された漆塗装工事の補助にも携わる。
東京美術学校では、六角のほかに白山松哉、都筑幸哉、梅澤隆真、二代目橋本市蔵などが漆工科の教員を務めており、さらに漆芸の習得にとどまらず、川合玉堂、寺崎廣業、岡田三郎助、高村光雲、渡辺香涯、正木直彦らの錚々たる教授陣から、絵画や彫刻、金工、図案、美術史にいたるまで広く芸術を学んだ。在学中から松田のすぐれた技は評判となるほどで、獅子の咆哮に驚き逃げまどう動物たちの姿を独自の線描表現で生き生きと描いた卒業制作の《草花鳥獣文小手箱》(1919年、東京藝術大学)にその力量が発揮されている。
1921年、正木の紹介で東洋文庫にて朝鮮楽浪漢墓から出土した漆工品修理に従事。1925年、パリ万国装飾美術工芸博覧会に農商務省から出品された《鳳花文文庫》(1924年、所在不明)で金賞を受賞。1926年には高村豊周、豊田勝秋、廣川松五郎、山崎覚太郎らが結成した工芸家集団・无型[むけい]に参加する。また、赤塚自得、板谷波山、香取正彦、津田信夫、六角紫水らが中心となった「日本工芸美術会」の結成にも参加。同年に六角と大村西崖の推薦により、株式会社並木製作所(現・株式会社パイロットコーポレーション)に入社する。万年筆や喫煙具の漆塗りと加飾を手がけるが、昭和天皇即位の御大礼御剣髹漆飾制作を担当するため、翌年には並木製作所を退職し、東京美術学校助教授となる。1928年には当時急速に技術開発が進んでいた国産豪華客船の照国丸や靖国丸などの内部装飾を手がけ、1931年には帝国議会議事堂御便殿の漆工事が東京美術学校に委嘱されて監督を務める。
松田は出土品の修理や大規模な漆塗装の事業、東京美術学校の委嘱制作など、多方面にわたる仕事を通して、さまざまな地域、年代、規模の漆工品に接し、そこから素材や表面装飾に関わる技術だけでなく、素地や器物の構造、制作工程についても見識を深めた。また、益田孝(鈍翁)の知遇を得て益田が所有する名品の修復に関わる機会を得たことも、早くから鑑賞眼を養う上で大いに役立った。こうした体験が血肉となり、松田の漆芸を支える揺るぎない基盤として、その後の作品制作に生かされていった。1933年には文部省の委嘱で欧州各国を視察、イギリス滞在中にダンヒル商会でパイプの漆加工を指導する。この時の現地での経験は、松田が日本人でなければできない仕事をやるべきであると改めて決心する契機ともなった。
戦前の代表作には、正倉院宝物や琳派の漆工品に見られる泥絵の技法に白金粉を採り入れ、野性味豊かな萩の花をのびやかな筆さばきで描いた《秋野泥絵平卓》(1932年、国立工芸館、金沢)や、雲母やアコライトなど斬新な素材を用いて、大きく羽ばたく鷺と波濤を大胆に配した《鷺蒔絵棚》(1938年、広島県立美術館)などがある。あくまで自然の動植物から主題を選びながら、常に新しい素材と技法の可能性に挑戦し、現代にふさわしい和様表現を追求している。
1936年、顧問に正木、賛助会員に六角と渡辺素舟が参加して結成された日本漆芸院の委員となる。1939年には日本各地の名椀を収載した『時代椀大観 第一輯』(宝雲舎)を刊行。1943年に東京美術学校教授に就任する。本土への空襲が次第に激化するなか、これが遺作となるかもしれないという覚悟で完成させた《蓬莱之棚》(1944年、石川県立美術館)は、両開きの棚の構造を巧みに生かして、蓬莱仙境に集う群鶴をリズミカルに反復した琳派風の構成と即興的な流水模様が堂々とした風格を示す優品である。
1949年、学制改革に伴い東京藝術大学教授に就任。翌年、文化財保護審議会専門委員に就任し、文化財保護法に基づく国宝や重要文化財の指定調査に従事する。正倉院宝物の髹漆品調査も開始され、吉野富雄、溝口三郎らとともに参加、長く技法についての論争が続いていた《金銀鈿荘唐大刀》の鞘塗りが研出蒔絵によるものであると結論付けた。また、當麻寺の當麻曼荼羅厨子に用いられた金平文や、中尊寺金色堂に使用された彩色の発見など、松田の観察眼は文化財修復の分野においても数々の新知見をもたらした。
1955年、重要無形文化財「蒔絵」保持者に認定される。社団法人日本工芸会の設立に際し、理事に就任。戦前から官展を発表の場としていたが、以後は主に日本伝統工芸展を発表の場とし、1958年に日展を退会する。1962年、日本工芸会理事長に就任。1963年、東京藝術大学を定年退官、名誉教授となる。同年、文化功労者に選ばれる。1964年、『うるしの話』(岩波新書、岩波書店)を刊行、翌年に第19回毎日出版文化賞を受賞。
戦後の作品では、正倉院宝物などの古作への深い理解に基づいた《蒔絵螺鈿有職文筥》(1960年、国立工芸館、金沢)や《迦陵頻伽宝相華文蒔絵経箱》(1965年、石川県立美術館)、四季折々の自然を理想的な情景のなかに凝縮した《蒔絵竹林文箱》(1965年、国立工芸館)、《松蒔絵飾箱》(1966年、石川県立美術館)、《蒔絵箱「赤とんぼ」》(1969年、京都国立近代美術館)、《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》(1972年、国立工芸館)などがある。まさに「漆聖」の名にふさわしく、松田ならではの自然観がきわめて高度な漆芸の技と優美な意匠構成に融合した名品を多く生み出した。なお、松田が制作を行っていた東京都文京区の自宅の一角は、2020年に石川県金沢市に移転・開館した国立工芸館内に移築復元され、道具類や関連資料とともに「松田権六の仕事場」として一般公開されている。
(中尾 優衣)(掲載日:2023-09-11)
- 1977
- 人間国宝 松田権六展, 石川県美術館, 1977年.
- 1978
- 松田権六展, 東京国立近代美術館工芸館, 1978年.
- 1979
- 近代日本の漆芸, 東京国立近代美術館工芸館, 京都国立博物館, 1979–1980年.
- 1987
- 松田権六展, 石川県立美術館, 有楽町アート・フォーラム, 1987年.
- 2002
- 松田権六: 図案と作品, 東京国立近代美術館工芸館, 2002–2003年.
- 2006
- 松田権六の世界: 人間国宝, 石川県立美術館, 東京国立近代美術館工芸館, MOA美術館, 2006–2007年.
- 国立工芸館, 石川県金沢市
- 石川県立美術館
- 東京藝術大学大学美術館
- 京都国立近代美術館
- 広島県立美術館
- 1977
- 『人間国宝松田権六展』金沢: 石川県美術館, 1977年 (会場: 石川県美術館).
- 1977
- 岡田譲編集代表『松田権六: 蒔絵 人間国宝シリーズ: 21』東京: 講談社, 1977年.
- 1978
- 東京国立近代美術館編『松田権六展』東京: 日本経済新聞社, 1978年 (会場: 東京国立近代美術館).
- 1979
- 東京国立近代美術館監修『松田権六作品集』東京: 朝日新聞社, 1979年.
- 1982
- 「松田権六 特集」『三彩』第412号 (1982年1月): 25-51頁.
- 1987
- 石川県立美術館, 西武美術館, 日本経済新聞社編『松田権六展』東京: 日本経済新聞社, 1987年 (会場: 石川県立美術館, 有楽町アート・フォーラム).
- 1998
- 灰野昭郎「漆芸道中膝栗毛 20 金沢: 青春の松田権六, 前編」『茶道雑誌』第62巻第1号 (1998年1月): 65-71頁.
- 1998
- 灰野昭郎「漆芸道中膝栗毛 21: 青春の松田権六, 後編」『茶道雑誌』第62巻第4号 (1998年4月): 55-61頁.
- 2002
- 室瀬和美「伝統と創造: 松田権六の蒔絵」『現代の眼』537号 (2002年12月): 4-6頁.
- 2003
- 北村仁美「松田権六資料の基礎的研究: 手帳を中心にして」『東京国立近代美術館研究紀要』第8号 (2003年5月): 47-63頁.
- 2006
- 石川県立美術館, 毎日新聞社事業本部編『松田権六の世界: 漆芸界の巨匠: 人間国宝: 人間国宝制度誕生50年』東京: 毎日新聞社, 2006年 (会場: 石川県立美術館) [展覧会カタログ].
- 2006
- 『高野松山・松田権六. 週刊朝日百科. 週刊人間国宝: 4号. 工芸技術・漆芸: 1』(2006年6月).
- 2007
- 村瀬博春「松田権六の美学: 「やまと絵」の視点から」『石川県立美術館紀要』第17号 (2007年): 1-10頁.
- 2008
- 北村仁美「松田権六書簡 資料紹介」『東京国立近代美術館研究紀要』第12号 (2008年3月): 67-91頁.
- 2013
- 北村仁美「松田権六『優品之調査』 資料紹介」『東京国立近代美術館研究紀要』第17号 (2013年3月): 76-94, 114頁.
- 2019
- 東京文化財研究所「松田権六」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9830.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「松田権六」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(319頁)国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化勲章受章者、東京芸術大学名誉教授の漆芸家松田権六は、6月15日心不全のため東京都千代田区の半蔵門病院で死去した。享年90。“うるしの鬼”とも称された漆芸の第一人者松田権六は、明治29(1896)年4月20日石川県金沢市に生まれ、既に7歳の時から仏壇職人の兄孝作について蒔絵漆芸を習い始めた。大正3年石川県立工業学校(漆工科描金部)を卒業し上京、同校教師藤岡...
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松田 権六(まつだ ごんろく、1896年(明治29年)4月20日 - 1986年(昭和61年)6月15日)は、日本の蒔絵師。人間国宝。文化勲章受章者。
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- 2023-09-26