藤田嗣治

1886（明治19）年11月27日、東京府牛込区新小川町（現在の飯田橋近く）に、陸軍軍医・藤田嗣章［つぐあきら］と政［まさ］の次男、四人兄弟の末子に生まれる。嗣章はのちに陸軍中将、陸軍軍医総監となる。父の赴任で幼少期を熊本で過ごすが、1898年に東京に戻り、東京高等師範学校付属小学校を経て、同中学校を卒業。中学時代に早くも画家になる決意を持ち、将来のパリ留学を企図して暁星中学校の夜間部でフランス語を学ぶ。1905年4月に東京美術学校（現・東京藝術大学）予備科、同年9月に西洋画科に入学し、黒田清輝らが実践する「外光派」風の画風を体得する。在学中の1907年、白馬会第11回展に初入選。1910年3月、同校卒業後、渡仏を目指しつつ、美校で師事した和田英作の助手として帝国劇場などの装飾に関わる。東京勧業博覧会、白馬会や光風会への出品を続けるが、文部省美術展覧会（文展）に入選経験ないまま、日本を離れることになる。女子美術学校（現・女子美術大学）出身の鴇田とみと暮らし始めるが、1913年夏、単身でフランスに向かう。 1913年8月、26歳で始まったパリ生活では、現地で出会った川島理一郎やパブロ・ピカソ、ディエゴ・リベラらとの交流のなかで、古代への憧憬（古代エジプトやギリシア美術の模写、ギリシア・ダンスの実践）と前衛美術家たちのキュビスム的傾向に導かれ、日本で身につけた描写的な表現を離れた絵画を試みるようになる。しかし翌14年7月に第一次世界大戦が勃発し、多くの在留同胞が帰国するなか、残留を決意し、長期化する戦況下、地方やロンドンなどに退避を続けた。戦況が落ち着いてきた1917年初頭にはパリに戻り、モンパルナスに定住して制作を再開。画家のフェルナンド・バレーとの結婚によりパリの画商等への道筋もつき、6月には初めての個展を開催するなど、事実上、この年が藤田のパリでのデビューとなる。1918年の大戦終結を経て、再開したパリ美術界で彼の活動も本格化し、1919年のサロン・ドートンヌに初入選を果たし、会員に選出される。1920年代初頭に、東西の絵画技法・画材・道具を融合して編み出した独自の「乳白色の下地」に黒く細い輪郭線で描き出す裸婦で、一躍注目を集める。20年代半ば過ぎまで、サロン・ドートンヌや、アンデパンダン展、サロン・デ・テュイルリー等、パリのサロンでの活躍を続け、《五人の裸婦》（1923年、東京国立近代美術館）、《舞踏会の前》（1925年、大原美術館、倉敷）等の代表作が生まれる。20年代となって再開した日仏文化交流のなかで、日本関連の展覧会や仕事も数を増し、1924年には在仏のまま、日本の帝国美術院展覧会（帝展）に出品し、委員にもなる。パリでの名声とともに、彼のパートナーはユキ（リュシー・バトゥー）となり、彼女をモデルとした肌の白い裸婦表現が頂点を迎えていく。 1929年秋に16年ぶりに、ユキを伴い、母国への一時帰国を果たす。約3か月の滞在中に東京朝日新聞社や日本橋三越で個展、母校での講演会や大阪、福岡での展示、エッセイ集の出版が続き、文字通り「故郷に錦」を飾る機会となった。だが、1930年初頭に北米経由でパリに戻った際には留守中、世界経済をおそった経済恐慌の影響を受け、1920年代の豊かな生活が破綻する。この時期、ニューヨークやシカゴで個展の機会を持つ。1931年末にはユキとも、パリとも離れ、マドレーヌ・ルクーとともに中南米に向かう。ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、キューバを経て、メキシコには半年以上滞在し、この間、現地で制作して個展を重ね、「旅絵師」のような生活を続ける。1933年アメリカ西海岸経由で、11月にマドレーヌを連れて日本に戻る。翌年、二科会会員となり（1941年まで）、また自宅普請など、定住の姿勢を見せ、東京を拠点に日本各地や大陸への旅を重ねる。1936年にはマドレーヌが急逝し、その後、堀内君代と暮らすようになる。1937年夏の日中戦争勃発まで、壁画、装画装幀などの仕事がパリ帰りの藤田に集中する。1938年に二科会内に結成された九室会で顧問となるが、それ以前からの吉原治良との交流は特筆すべきである。 1939年4月再渡仏するも、現地で第二次世界大戦の勃発に遭遇し、翌年7月帰国。日中戦争勃発後は従軍画家として中国大陸や南方に派遣され、現地取材の上で軍部からの注文画「作戦記録画」の制作に着手するが、太平洋戦争緒戦の戦勝よりミッドウェイ海戦ののちの、《アッツ島玉砕》（1943年、東京国立近代美術館、アメリカ政府からの無期限貸与作品）以降、《サイパン島同胞臣節を全うす》（1945年、東京国立近代美術館、アメリカ政府からの無期限貸与作品）までの敗退する日本軍の表象は社会的にも、後続世代の画家たちにも大きな影響を与え、また藤田自身の評価、運命すらも大きくかえることとなった。 戦後、早い段階から再渡仏を模索するが、占領下の日本からの海外渡航は困難で、さらに高まる「戦争責任」問題が藤田のこころを閉ざした。1949年3月10日、62歳、空路で離日し、二度と母国の土を踏むことはない。アメリカ、ニューヨークで約1年を過ごした後で、1950年2月にパリ、モンパルナスへ帰還。60年代半ばまでは「時代の証人の画家たち」展や、ポール・ペトリデス画廊などパリを中心に欧州圏での個展や装画本の刊行を続けた。私生活では1955年2月に妻・君代とともにフランス国籍を取得し、日本国籍を抹消した。1959年10月には北フランスのランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受ける。洗礼名は、敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチにちなみ、「レオナール Léonard」。1961年秋、パリ郊外のエソンヌ県ヴィリエ＝ル＝バクルに転居。古い農家を改築し、住居兼アトリエとして最晩年を送る。以後、制作の中心は宗教絵画となり、1966年秋にランスに完成するノートル＝ダム・ド・ラペ礼拝堂の設計・壁画・ステンドグラス制作に結実した。 1968（昭和43）年1月29日、スイス、チューリヒの病院で没。享年81。人生の半分以上を母国以外の国、おもにフランスで過ごし、その地の土に還る選択をした。墓所は様々な経緯を経て、後年、ランスのノートル＝ダム・ド・ラ・ぺ礼拝堂となる。絵画作品以外にも、装画・装幀、版画、写真、染織、陶芸、木工など関心領域広く、さらに著作も多く、生前の単著として『巴里の横顔』（1929年、実業之日本社）、『腕［ブラ］一本』（1936年、東邦美術協会）、『随筆集 地を泳ぐ』（1942年、書物展望社）があり、両大戦間期に豊富な異文化体験をした稀少な日本人による、日本語による著作で母国の読者に幅広く受け入れられた。 没後、長い混迷の時間が訪れる。遺族が投げかけた贋作の問題や一連の著作権訴訟によって、この画家に関する研究、出版、展覧会企画が困難な時代が続く。大きな転換点となったのは1988年東京都庭園美術館で開催された、事実上初めての回顧展「レオナール・フジタ展：東京・パリ友好都市提携記念」だが、1940年代を代表すべき作戦記録画が並ぶことがなかった。作戦記録画を含めた、画業を全貌する企画が実現したのは、2006年の東京国立近代美術館ほかでの生誕120年記念展（「藤田嗣治展：パリを魅了した異邦人」）だった。2009年に君代夫人が亡くなる前後に、手元に残されていた作品と資料（日記・写真類）の寄贈（母校の後身にあたる東京藝術大学）が大きく進む。フランスでは最後の旧宅が地元エソンヌ県に寄贈され、2000年にメゾン・アトリエ＝フジタとして一般公開された。この施設を中心にフランス側でも作品・作家研究が進み、2018年から翌年にかけ、没後50年を記念する大規模な回顧展が東京・京都・パリで開かれ、過去20年に劇的に進んだ作品とアーカイブをめぐる研究成果が集大成された。並行してこの画家の技法研究も大いに進展した。個別の作品修復が技法研究の大きな契機となり、その経験値や調査結果が修復家や研究者間で共有された。今後の課題は、両大戦間のパリにおけるほかのアジア系作家、おもに北米の日系移民からの作家たちとの相対化であろう。 （林 洋子）（掲載日：2023-11-30）