- 作家名
- 福島秀子
- FUKUSHIMA Hideko (index name)
- Fukushima Hideko (display name)
- 福島秀子 (Japanese display name)
- ふくしま ひでこ (transliterated hiragana)
- 福島愛子 (real name)
- ふくしま あいこ
- Fukushima Aiko (real name)
- 生年月日/結成年月日
- 1927-02-07
- 生地/結成地
- 東京府赤坂区(現・東京都港区)
- 没年月日/解散年月日
- 1997-07-02
- 没地/解散地
- 東京都小金井市
- 性別
- 女性
- 活動領域
- 絵画
作家解説
1927年2月7日、福島ツル(千恵子)の長女として東京府赤坂区(現・港区赤坂)で生まれた。父は三井物産を経て政治家となった森恪[つとむ](1883–1932)。出生時の本名は愛子だが、幼少期から秀子という通称を用いた。二人の兄がおり、弟の和夫(1930– )は後に「実験工房」に作曲家として参加した。幼少期から日本舞踊を初代・吾妻徳穂[あづまとくほ]に習う。尋常小学校を卒業後、1939年に文化学院に入学し、芸術を重んじる同校の校風に感化される。1943年の同校閉鎖に伴い卒業。戦中は東京で空襲を経験し、母・弟とともに福井などへ疎開、終戦後に東京に戻った。1950年から1963年まで米国籍で在日米軍関係の職に就くサカエ・ハヤシと婚姻していたが、1950年代半ば以降は疎遠であった。
1948年7月、母校の文化学院で開催された「モダンアート夏期講習会」に参加したことが、美術家として歩み始める大きな転機となった。植村鷹千代、江川和彦、瀧口修造、阿部展也[のぶや]らが名を連ねたアヴァギャルド美術家クラブの主催する講習会には、後にともに「実験工房」を結成する北代[きただい]省三や山口勝弘も受講生として参加しており、講習終了後に福島はこの二人に加え柳田美代子、西島浩らとともに「トリダン」(後に七耀会と改称)を結成した。また、1949年に「世紀」絵画部の活動にも参加し、同会が分裂した後は池田龍雄、北代、山口らと「プボワール」を結成した。この時期の福島の絵画作品には、暗色の太い線で区切られた色面によって人の形体があらわされているものが多く、講習会の講師を務めた阿部展也や岡本太郎、文化学院の教員でもあった村井正誠の影響がうかがえる。阿部展也とは、アトリエを訪ねて助言を受ける間柄であり、阿部の所属する美術文化協会にも1950年から1952年まで出品した。美術文化協会で出会った榎本和子(1930– )とは終生にわたる友人関係を築いた。写真家・大辻清司の出世作のひとつといえる《ある美術家の肖像》(1950年、千葉市美術館ほか)は、阿部のアトリエで福島をモデルに撮影されたもので、セットの構成は阿部による。大辻も後に「実験工房」に参加している。指導者的な存在であった美術家たちの影響とともに、同世代で親交を結んだ北代や山口との相互の影響も、彼らの初期作品には顕著にあらわれている。
福島の弟・和夫が音楽を志していたことから新進の作曲家だった武満徹や鈴木博義、CIE図書館で解説をしていた秋山邦晴らと交流が深まり、1951年には瀧口修造の命名による「実験工房」として、ピカソ祭のバレエ『生きる悦び』でグループとしての活動を開始した。「実験工房」では唯一の女性メンバーである。コンサート、展覧会、バレエや能の創作者との共同制作による舞台作品など、多岐にわたる活動を展開していく中で、福島は絵画にとどまらず舞台美術や衣装、詩作に打ち込み、その多彩な才能を発揮していった。和夫が音楽を担当したオートスライド『水泡は創られる』(1953年)の詩およびスライド構成、川路明・松尾明美と組んだバレエ『乞食王子』(1955年)の装置、武智鉄二が演出し、観世寿夫や野村万作が出演した仮面劇『月に憑かれたピエロ』(1955年)の衣装デザインは、福島の代表的な共同制作の仕事と言える。観世寿夫とは『月に憑かれたピエロ』以降も舞台作品で組む機会があり、1964年から1968年まではパートナーの間柄として創作の上でも影響を与え合った。
福島は1955年頃から円と線の型押しによる絵画の制作を始め、独自の作風を確立させた。型押しには、空き缶をはじめ骨やスポンジ、家具の脚のゴムなど手近なものが用いられた。この手法の見られる作品として《紅い風の反応》(1955年、千葉市美術館)、瀧口修造が所蔵していた《燦然たる飢餓》(1956年、富山県美術館)、《ささげもの》(1957年、筑波大学石井コレクション)などがあげられる。型押しは、変化を加えながら1970年代まで用いられた手法で、筆で「描く」のではなく「押す」ことによって得られる独特な時間性、偶発性が画面にあらわれている。こうした瞬発的な時間の感覚を絵画に取り入れようとした背景には、オートスライド作品制作の経験があったことは間違いないだろう。《ささげもの》などを出品した「榎本和子・福島秀子二人展」(養清堂画廊、東京・銀座、1957年)の際、来日中だったアンフォルメルの提唱者で美術批評家のミシェル・タピエの目に留まり、「新しい絵画世界展 ―アンフォルメルと具体」(大阪髙島屋、1957年)やイタリアでの「第11回プレミオ・リソーネ展」(1959年)に出品するきっかけとなった。1950年代末には、型押しの手法とともに、カンヴァスなどの支持体を立て掛け、絵具を流す方法を取ることにより、より流動的な画面を作り出していった。1961年9月から1962年12月までの約1年4カ月、「パリ青年ビエンナーレ展」への出品のため渡仏し、ヨーロッパ各地を訪れた。帰国後の1963年5月には南画廊(東京)で暗褐色のモノクロームの〈弧〉のシリーズを発表し、翌年にはグラスファイバーに蝋を流す新素材の制作に取り組んだ。1970年代からは作風を一転させ、青の絵具を用いた流動的なイメージの〈青〉シリーズや、パラフィン・ワックスによるコラージュを発表した。1980年代半ばからは〈五月の振動〉シリーズを制作した。
1960年代後半以降、とりわけ1980年代以降の創作活動にはしばしば中断が見られ、健康状態など私的な事柄が影響しているものと推察される。戦後間もなく前衛的な活動に取り組み、瀧口修造に見出された「実験工房」でも重要な役割を果たした。1950年代にジャンル横断的な仕事をとりわけ多く残した美術家の一人として位置づけることができ、また、1950年代から1960年代にいち早く国内外で評価を受けた戦後世代の女性画家の一人といえる。1991年にはくも膜下出血で倒れ、翌年まで療養生活を送る。1997年に肺ガンのため東京都内の病院で没した。
(西澤晴美)(掲載日:2023-09-11)
- 1948
- 七耀会展, 北荘画廊, 1948年.
- 1952
- 実験工房第3回発表会, タケミヤ画廊, 1952年.
- 1954
- 福島秀子展, タケミヤ画廊, 1954年.
- 1955
- 今日の新人・1955年展, 神奈川県立近代美術館, 1955–1956年.
- 1957
- 福島秀子・榎本和子二人展, 養清堂画廊, 1957年.
- 1957
- 新しい絵画世界展: アンフォルメルと具体展, 高島屋, 大阪, 1957年.
- 1959
- 第11回プレミオ・リソーネ展, イタリア, 1959年.
- 1960
- 第4回シェル美術賞展, 神奈川県立近代美術館, 1960年.
- 1961
- 第2回パリ青年ビエンナーレ展, パリ市立近代美術館, 1961年.
- 1963
- 福島秀子展, 南画廊, 1963年.
- 1975
- 福島秀子展, 南天子画廊, 1975年.
- 1979
- 福島秀子展, 南天子画廊, 1979年.
- 1981
- 1950年代: その暗黒と光芒: 現代美術の動向1, 東京都美術館, 1981年.
- 1991
- 第11回オマージュ瀧口修造展: 実験工房と瀧口修造, 佐谷画廊, 1991年.
- 1992
- 第12回オマージュ瀧口修造展: 福島秀子, 佐谷画廊, 1992年.
- 1996
- 1953年ライトアップ: 新しい戦後美術像が見えてきた, 目黒区美術館, 1996年.
- 2001
- 奔る女たち: 女性画家の戦前・戦後: 1930–1950年代, 栃木県立美術館, 2001年.
- 2005
- 前衛の女性 1950–1975, 栃木県立美術館, 2005年.
- 2012
- 特集展示 福島秀子: クロニクル 1964-: off museum (MOT Collection) , 東京都現代美術館, 2012年.
- 2013
- 実験工房展: 戦後芸術を切り拓く, 神奈川県立近代美術館 鎌倉, いわき市立美術館, 富山県立近代美術館, 北九州市立美術館分館, 世田谷美術館, 2013–2014年.
- 東京都現代美術館
- 千葉市美術館
- 東京国立近代美術館
- 宮城県美術館
- 栃木県立美術館
- 筑波大学アート・コレクション 石井コレクション, 茨城県
- 富山県美術館
- 川崎市岡本太郎美術館
- 高松市美術館, 香川県
- 板橋区立美術館, 東京
- 1955
- 福島秀子「内部と外部」『[バレエ実験劇場 第1回公演プログラム]』[出版地不明]: バレエ実験劇場運営委員会, 1955年 [自筆文献].
- 1956
- 福島秀子「衣裳ノート 月に憑かれたピエロ」『美術批評』49号 (1956年1月): 17–18頁 [自筆文献].
- 1958
- 瀧口修造「福島秀子 特集: 明日を期待される新人群」『美術手帖』136号 (1958年1月): 47頁.
- 1959
- 山口勝弘, 大辻清司「新技法読本 押す」『美術手帖』161号(1959年8月): 105–107頁.
- 1960
- 安東次男「福島秀子 新人」『芸術新潮』第11巻第9号 (1960年9月): 184–189頁.
- 1963
- 武満徹「弧」『福島秀子展』東京: 南画廊, 1963年, [n.p.] (会場: 南画廊).
- 1963
- 宮川淳「福島秀子・音響的な空間: アトリエでの対話」『美術手帖』224号 (1963年8月): 17–26頁.
- 1975
- 瀧口修造「画相のあいだ」『福島秀子展: Hideko Fukushima・gouches・from blue・into blue』東京: 南天子画廊, 1975年, [n.p.]. (会場: 南天子画廊).
- 1982
- 福島秀子「〈水〉と〈青〉の形跡」『別冊美術手帖』1号 (1982年6月): 119–120頁.
- 1992
- 山口勝弘「福島秀子 1948–1988: 映像へ離脱してゆく世界」『美術手帖』657号 (1992年8月): 131–142頁.
- 1992
- 大岡信「福島秀子を発見する」『福島秀子展 第12回オマージュ瀧口修造』東京: 佐谷画廊, 1992年, 9–11頁.
- 2009
- Experimental Workshop: Japan 1951-1958. [Exh. cat.]. London: Annely Juda Fine Art, London, 2009 (Venue: Annely Juda Fine Art, London).
- 2011
- Mermod, Mélanie (ed.). Jikken Kōbō = Atelier Experimental = Experimental Workshop. [Exh. cat.]. Paris: Bétonsalon, 2012 (Venue: Bétonsalon).
- 2012
- Chong, Doryun. Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde, with essays by Michio Hayashi, Mika Yoshitake, Miryam Sas; and additional contributions by Mitsuda Yuri, Nakajima Masatoshi. [Exh. cat.]. New York: Museum of Modern Art, 2012 (Venue: The Museum of Modern Art, New York).
- 2019
- 東京文化財研究所「福島秀子」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10656.html
- 2019
- 中嶋泉「福島秀子の「捺す」絵画と人間のイメージ」『アンチ・アクション: 日本戦後絵画と女性画家』国立: ブリュッケ, 2019年, 277–351頁.
- 2021
- 中嶋泉「福島秀子: 「描く」から「捺す」へ: 人間主義と身体表現への批判的実践」『美術手帖』1089号 (2021年8月): 28–33頁.
- 2021
- 西澤晴美「福島秀子の 1950 年代の創作活動について: 絵画, 詩, オートスライド」『美をめぐる饗宴: 筑波大学アート・コレクション石井コレクション』つくば: 筑波大学出版会, 2021年, 323–345頁.
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「福島秀子」『日本美術年鑑』平成10年版(397頁)画家の福島秀子(本名愛子)は、7月2日午前4時、肺ガンのため東京都小金井市の病院で死去した。享年70。東京都の出身、文化学院卒業後の昭和26(1951)年、秋山邦晴、北代省三、山口勝弘、鈴木博義、武満徹、福島和夫とともに、美術と音楽の領域を越えて、新たな芸術表現をめざす前衛集団「実験工房」を結成、これに参加した。この年の11月に開かれた第1回発表会では、前衛バレエ「生きる悦び」を上演、この美術を山...
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- VIAF ID
- 4093151656361008400001
- ULAN ID
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- AOW ID
- _40426916
- NDL ID
- 001280961
- Wikidata ID
- Q24027348
- 2024-03-14