- 作家名
- 福沢一郎
- FUKUZAWA Ichirō (index name)
- Fukuzawa Ichirō (display name)
- 福沢一郎 (Japanese display name)
- ふくざわ いちろう (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1898-01-18
- 生地/結成地
- 群馬県北甘楽郡富岡町(現・群馬県富岡市)
- 没年月日/解散年月日
- 1992-10-16
- 没地/解散地
- 東京都中央区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
作家解説
1898年1月18日、群馬県北甘楽郡[きたかんらぐん]富岡町(現・富岡市)に生まれる。群馬県立富岡中学校から仙台の第二高等学校英法科に進み、登張竹風[とばりちくふう]ら教授陣の薫陶を受け、芸術家を志す。1918年東京帝国大学(現・東京大学)文学部に入学するが、同年から朝倉文夫[あさくらふみお]の彫塑塾に通い、制作に没頭する。1922年第4回帝国美術院展覧会(帝展)彫刻部に《酔漢》(所在不明)を出品、入選する。
1924年5月、彫刻を学ぶためフランスに渡り、1931年4月頃までパリに住む。この間、森口多里[たり]、佐伯祐三、木内克[きのうち よし]、中山巍[たかし]らと交遊し、フランス及び近隣諸国を旅して遺跡や教会堂建築、美術館などを巡る。またサロン・ドートンヌに絵画や彫刻を出品しているが、美術学校や私塾に通った記録はない。1927年頃から制作の中心が彫刻から絵画へと移った形跡があり、《装える女》(富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)など現存する最も古い作例はこの年の作とされる。1929年作の《サンマロー駅》(個人蔵)にはジョルジオ・デ・キリコの作品の影響が窺われ、前衛芸術への関心が高まっていたことを示す。また、同年第16回二科展に絵画10点が特別陳列される。
1930年には《四月馬鹿 Poisson d’avril》(東京国立近代美術館)や《科学美を盲目にする》(群馬県立近代美術館)など、科学雑誌の図版や名画の複製版画などの図像を組み合わせた絵画を大量に制作している。これらはマックス・エルンスト《百頭女[ひゃくとうおんな] La femme 100 têtes》に強い影響を受け、コラージュの図像の源泉に遡り、エルンストの制作意図まで考察し制作に生かしたことが明らかにされている。これらのうち37点が翌1931年1月の第1回独立美術協会展に特別陳列され、大きな話題を呼ぶ。
1931年6月に帰国し、以後同協会の会員として強い存在感を示す。1930年代の彼の制作は《慰問袋に美人画を入れよ》(1932年、所在不明)のような強い社会諷刺を込めたものや、《牛》(1936年、東京国立近代美術館)のように人間危機の時代への危惧をにじませたものなど、明確な主題を持ち、それを時代に即して力強く描出することに重きを置くものが多い。また雑誌や新聞への寄稿も精力的におこない、1937年には『シュールレアリズム』(アトリヱ社)を、1939年には『エルンスト』(アトリヱ社)を著すなど、前衛絵画の理論的先導者としても認知される。1936年10月には福沢絵画研究所を設立し、若手芸術家の育成にも尽力する。
1939年4月に独立美術協会を脱退し、シュルレアリスム絵画に共鳴する若手作家達とともに美術文化協会を結成、同協会の中心的存在として活動するが、シュルレアリスムは共産主義に通ずるとの特高警察の判断から、1941年4月、治安維持法違反の疑いで逮捕・勾留される。同年11月の釈放後は国策への協力を余儀なくされ、《船舶兵基地出発[せんぱくへいきちしゅっぱつ]》(1945年、東京国立近代美術館保管、米国より永久貸与)など戦争記録画の制作をおこなう。
1945年の初めから軽井沢(長野)に疎開し、終戦を同地で迎える。同年12月にはかつて話題を呼んだ1930年の滞欧作による個展を開き、戦時中の官憲による弾圧を告発したとされる。翌1946年にはダンテ『神曲・地獄篇』に着想を得て、裸体群像が空虚な大地に蠢く連作を発表するほか、美術文化協会の再建や各種芸術家団体の創立に名を連ねるなど、精力的に活動する。《敗戦群像》(1948年、群馬県立近代美術館)は終戦直後の代表作と目される。
1949年、美術文化協会を退会。1952年5月、文化自由委員会が主催する文化イベント「二十世紀の傑作」に代表のひとりとして参加するため渡仏する。翌1953年1月にフランスからブラジルへ渡り、以後1954年5月まで中南米各地を旅して、現地の風物や人々の生活などについて精力的に取材をおこなう。帰国後はその取材の成果を個展や公募展の招待出品などで発表する。鮮やかな色彩と力強い輪郭線を用いて描いたこれらの作品は高い評価を得る。1957年芸術選奨文部大臣賞受賞。同年5月、第4回日本国際美術展に《埋葬》(1957年、東京国立近代美術館)を出品、日本部の最高賞を受賞する。
1958年、第6回ヴェネツィア・ヴィエンナーレの副代表として、代表・瀧口修造とともに渡欧。同展に《牛》(1936年)や《森の人間達》(1955年、群馬県立近代美術館)、《埋葬》(1957年)などを出品する。またこの滞欧中に趣味の写真にいそしみ、建物の壁を多く撮影する。このことがきっかけとなり、翌1959年に石膏や木の板、砂などを画面に塗り込めた作品を多く制作するが、日本国内における「アンフォルメル旋風」の余波と重なり、時流に追随したとして一部の批評家から批判を受ける。
その後デカルコマニーを応用した〈黒い幻想〉シリーズ(1959–1962年)や、《霊歌[れいか]》(1962年、東京国立近代美術館)、《祝祭》(1963年、群馬県立近代美術館)など大画面の制作にも力を注ぎ、表現の模索を続ける。1965年には渡米しニューヨークに5カ月ほど滞在、ハーレムに住む人々の生活や公民権運動のデモなどを取材し、《投票》、《デモ》(ともに1965年、群馬県立近代美術館)など多数の作品を制作する。この頃アクリル絵具と出会い、その後専ら制作に使用したとされる。またこの頃から多摩美術大学と女子美術大学で教鞭を執り、後進の指導に尽力する。
1970年以後はさまざまな神話や伝説を主題とした制作をおこなう。特にギリシャ神話に着想を得た《牧神とニンフ》や《バッカス達》(ともに1970年、群馬県立近代美術館)、ダンテ『神曲・地獄篇』の各場面を描いた《ダンテ暗闇の森へ》、《氷にとざされた亡者達》(ともに1971年、群馬県立近代美術館)、源信の『往生要集[おうじょうようしゅう]』に取材した《餓鬼》、《雨炎火石地獄[うえんかせきじごく]》(ともに1972年、愛知県美術館)、地獄になぞらえて同時代の世相を諷刺した《トイレットペーパー地獄》(1974年、群馬県立近代美術館)、古代日本の邪馬台国に関する考古学論争から発想したという《卑弥呼宮室[ひみこきゅうしつ]に入る》(1980年、世田谷美術館、東京)、《倭国内乱[わこくないらん]》(1980年、多摩美術大学、東京)などの連作が質量ともに豊かである。また旧約聖書「創世記」の「ノアの箱舟」は1960年代から最晩年まで長く主題として用いられた。その他、1978年の闘牛を描いたシリーズや、レオナルド・ダ・ヴィンチの『アトランティコ手稿』からイメージを引用した1982–1984年の連作も注目される。1978年文化功労者、1991年文化勲章受章。1992年10月16日死去。
福沢の制作は1970年代に至るまで目まぐるしく変化し、一見して捉えどころのない印象を受けるが、その本領は既存の図像の引用と堅固な構図への配置、そして量感あふれる力強い描写であるといえる。特に図像の引用に関しては、1930年の制作のみならず、1970年代の作例にもギュスターヴ・ドレによるダンテ『神曲・地獄篇』の版画や、18世紀の医学書の図版からの引用がみられ、今後の調査研究が待たれる。また、愚かしくも力強く生きる人間の姿を、批判と愛着の両面を込めて描き続けたことも注目すべきである。《悪のボルテージが上昇するか21世紀》(1986年、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)はその最も重要な作例のひとつで、新世紀への警鐘として多くの人々の反響を呼んでいる。
(伊藤 佳之)(掲載日:2023-09-11)
- 1931
- 第1回独立美術協会展, 東京府美術館, 1931年.
- 1942
- 福沢一郎新作発表展覧会, 銀座日動画廊. 1942年
- 1946
- 福沢一郎個展: ダンテ神曲地獄篇による幻想より, 銀座日動画廊, 1946年.
- 1956
- 福沢一郎個展, 東横 (渋谷), 1956年.
- 1959
- 福沢一郎個展, 東横 (渋谷), 1959年.
- 1966
- 福沢一郎個展: 黒人有情, 白木屋, 1966年.
- 1968
- 福沢一郎展: 近代洋画史に生きる , 渋谷西武百貨店, 1968年.
- 1968
- 福沢一郎展, 群馬県美術館ファンディション・ギャラリー, 1968年.
- 1970
- 福沢一郎展: 石は語る: ギリシャの旅, 彩壺堂, 1970年.
- 1974
- 福沢一郎展: 厭離穢土・欣求浄土, 東京セントラル美術館, 1974年.
- 1976
- 福沢一郎展, 群馬県立近代美術館, 1976年.
- 1978
- 地獄絵・福沢一郎の世界, 国立国際美術館, 1978年.
- 1988
- 福沢一郎展: 生誕90年 時代を飛翔する画想, 群馬県立近代美術館, 世田谷美術館, 1988年.
- 1992
- 福沢一郎展: 文化勲章受章記念, 群馬県立近代美術館, 1992年.
- 1995
- 福沢一郎と昭和初期の洋画: 1930年協会と独立美術協会の作家たちによる: 開館記念展, 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館, 1995年.
- 1998
- 福沢一郎展: 生誕100年記念, 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館, 1998年.
- 2004
- 福沢一郎とそれぞれの戦後美術: 企画展, 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館, 2004年.
- 2008
- 福沢一郎は今日から歩き出す: 生誕110周年記念, 多摩美術大学美術館, 2008年.
- 2010
- 福沢一郎絵画研究所展: 進め! 日本のシュルレアリスム: 20世紀検証シリーズ No. 2, 板橋区立美術館, 2010–2011年.
- 2018
- 福沢一郎生誕120年展: 富岡まるごとフクザワ, 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館, 2018年.
- 2019
- 福沢一郎展: このどうしようもない世界を笑いとばせ, 東京国立近代美術館, 2019年.
- 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
- 群馬県立近代美術館
- 東京国立近代美術館
- 神奈川県立近代美術館
- 愛知県美術館
- 奈良県立美術館
- 横浜美術館
- 多摩美術大学美術館, 東京
- 世田谷美術館
- 信州高遠美術館, 長野県伊那市
- 1932
- 『福沢一郎特集 独立美術』第3号 (1932年12月). 東京: 建設社 (再録: 滝沢恭司編『福沢一郎・パリからの帰朝者 コレクション・日本シュールレアリスム: 11』東京: 本の友社, 1999年, 4-53頁).
- 1933
- 福沢一郎編『福沢一郎画集: 1933』東京: 美術工芸会, 1933年. (再録: 滝沢恭司編『福沢一郎・パリからの帰朝者 コレクション・日本シュールレアリスム: 11』東京: 本の友社, 1999年, 54-114頁).
- 1937
- 福沢一郎『シュールレアリズム 近代美術思潮講座: 第4巻』東京: アトリエ社, 1937年, 普及版1938年.(再録: 滝沢恭司編『福沢一郎・パリからの帰朝者 コレクション・日本シュールレアリスム: 11』東京: 本の友社, 1999年, 224-445頁) [自筆文献].
- 1939
- 福沢一郎『エルンスト 西洋美術文庫: 第23巻』東京: アトリエ社, 1939. (再録: 滝沢恭司編『福沢一郎・パリからの帰朝者 コレクション・日本シュールレアリスム: 11』東京: 本の友社, 1999年, 128-223頁) [自筆文献].
- 1944
- 福沢一郎『秩父山塊』東京: アトリエ社, 1944年 [自筆文献].
- 1954
- 福沢一郎『アマゾンからメキシコへ』東京: 読売新聞社, 1954年 [自筆文献].
- 1969
- 福沢一郎『蟹のよこばい: 福沢一郎画集』東京: 求龍堂, 1969年.
- 1972
- 福沢一郎『福沢一郎画集: 人間を求めて: ギリシャ神話・ダンテ「神曲」より』東京: 読売新聞社, 1972年.
- 1987
- 福沢一郎『福沢一郎作品集』東京: 小学館, 1987年.
- 1991
- 速水豊「日本のシュルレアリスム絵画の発生: イメージの移入とその影響」『日本美術のイコノロジー的研究: 外来美術の日本化とその特質 科学研究費補助金 [総合研究A] 研究成果報告, 平成元年度・二年度』百橋明穂研究代表. [出版地不明]: [百橋明穂], 1991年, 34–51頁.
- 1996
- 大谷省吾「福沢一郎とコラージュ: 1930年代初期の日本におけるシュルレアリスム受容をめぐって」『東京国立近代美術館研究紀要』5号 (1996年3月): 55-76頁.
- 1998
- 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館編『福沢一郎展: 生誕100年記念』富岡: 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館, 1998年 (会場: 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館).
- 1998
- 福沢一郎記念美術財団編『美しき幻想はいたるところにあり: 素描とエッセイ』前橋: 上毛新聞社, 1998年.
- 2002
- 正木基監修『福沢一郎全版画集』東京: 玲風書房, 2002年 [カタログ・レゾネ].
- 2009
- 速水豊「福沢一郎: シュルレアリスムの衝撃と葛藤」『シュルレアリスム絵画と日本: イメージの受容と創造 NHKブックス: 1135』東京: 日本放送出版協会, 2009年, 141–211頁.
- 2010
- 弘中智子, 高木桂子編『福沢一郎絵画研究所展: 進め!日本のシュルレアリスム 20世紀検証シリーズ: No.2』東京: 板橋区立美術館, 2010年 (会場: 板橋区立美術館).
- 2016
- 大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド: シュルレアリスムと日本の絵画一九二八‐一九五三』東京: 国書刊行会, 2016年.
- 2019
- 東京文化財研究所「福沢一郎」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10437.html
- 2019
- 染谷滋『福沢一郎: 人と作品 みやま文庫:232』前橋: みやま文庫, 2019年.
- 2019
- 伊藤佳之, 大谷省吾, 小林宏道, 春原史寛, 谷口英理, 弘中智子『超現実主義の1937年: 福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』東京: みすず書房, 2019年.
- 2019
- 大谷省吾, 古舘遼, 中村麗子編『福沢一郎展: このどうしようもない世界を笑い飛ばせ』東京: 東京国立近代美術館, 2019年 (会場: 東京国立近代美術館).
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「福沢一郎」『日本美術年鑑』平成5年版(324-325頁)洋画家で文化勲章受章者の福沢一郎は、10月16日肺炎のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。享年94。昭和初年にわが国へシュール・レアリスム絵画を導入したことで知られる福沢は、明治31(1898)年1月18日、群馬県北甘楽郡に、福沢仁太郎の長男として生まれた。福沢家は富岡の旧家で、祖父は富岡製糸場に関係し製糸業を営み、また富岡銀行を興した事業家であった。父仁太郎は明治学院で島崎藤村と同窓で、...
東京文化財研究所で全文を読む
Powered by
Wikipedia
福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月18日 - 1992年(平成4年)10月16日)は、日本の洋画家。日本にシュルレアリスムを紹介した画家として知られる。
Information from Wikipedia, made available under theCreative Commons Attribution-ShareAlike License
- 2024-03-01