- 作家名
- 中山岩太
- NAKAYAMA Iwata (index name)
- Nakayama Iwata (display name)
- 中山岩太 (Japanese display name)
- なかやま いわた (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1895-08-03
- 生地/結成地
- 福岡県柳川市
- 没年月日/解散年月日
- 1949-01-20
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 写真
- 2019
- 東京文化財研究所「中山岩太」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8533.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「中山岩太」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)全日本写真連盟理事、国画会同人中山岩太は1月20日脳溢血で死去した。享年55。明治28年福岡県に生れ、大正7年東京美術学校写真科を卒業した。同年渡米して加州美術学校に学び、ニユーヨークで開業した。更に大正15年渡仏し、フエミナ誌の嘱託として活躍した。昭和2年に帰朝、同4年芦屋に移り、構成的な写真その他多くの試みを発表していた。
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中山 岩太(なかやま いわた、1895年8月3日 - 1949年1月20日)は、戦前の日本の新興写真を代表する写真家の1人。福岡県柳川市出身。1918年に東京美術学校臨時写真科を卒業(第1期生)すると、農商務省の派遣で、アメリカのカリフォルニア大学で学ぶ。その後、ニューヨークにて、菊地東陽のスタジオで働いたり、「ラカン・スタジオ」を開設したのち、1926年には渡仏。マン・レイや未来派のエンリコ・プランポリーニと知り合う。1927年に日本に帰国したのちは、芦屋カメラクラブをハナヤ勘兵衛ら地元の写真愛好家を集め結成し、欧米での経験を生かして活躍。1932年には、野島康三、木村伊兵衛と雑誌『光画』を創刊。日本の戦前において、福原信三と並んで、海外の同時代の写真を、自分の身をもって体験した数少ない写真家の1人で、海外の前衛的な写真動向を的確に理解・消化し、帰国後、自作を持って、広く紹介した。フォトグラム、フォトモンタージュなど、高度な技術をも駆使して、スタジオ内で作り上げられた華麗な作品群は、単なるヨーロッパの前衛写真の物まねにとどまらず、中山独自の美意識を十分に表現したものとなっており、戦前の日本の写真の1つの到達点として、高く評価できる。
- 2023-02-20