A1713

中村彝

| 1887-07-03 | 1924-12-24

NAKAMURA Tsune

| 1887-07-03 | 1924-12-24

作家名
  • 中村彝
  • NAKAMURA Tsune (index name)
  • Nakamura Tsune (display name)
  • 中村彝 (Japanese display name)
  • なかむら つね (transliterated hiragana)
生年月日/結成年月日
1887-07-03
生地/結成地
茨城県東茨城郡水戸上市(現・茨城県水戸市)
没年月日/解散年月日
1924-12-24
性別
男性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1887年、茨城県東茨城郡水戸上市寺町七番屋敷(現・水戸市金町)に、旧水戸藩士中村順正[よりまさ?]、よしの第5子、三男として生まれる。1歳を迎える前に父を亡くし、1897年、茨城県尋常師範学校附属小学校(現・茨城大学教育学部附属小学校)に入学するも翌年には母をも亡くして、祖母や兄姉と共に東京市牛込区(現・新宿区)の長男の家に移り住む。1899年、愛日尋常高等小学校(現・新宿区立愛日小学校)に転入、同級に野田半三がいた。1900年、同校を修了して早稲田中学校(現・早稲田高等学校)に入学する。翌年、長兄・次兄と同じ軍人の道を志して、名古屋陸軍地方幼年学校に移る。1904年、陸軍中央幼年学校の進学を予定していたが、胸部疾患により取り消しとなる。1905年、千葉県の北条湊(館山市)に転地療養して生涯の友となる多湖実輝[たごみつてる]と出会い、水彩による風景スケッチを楽しむ。翌年、白馬会第二研究所に入り、同年中に転じた白馬会溜池研究所で中原悌二郎や鶴田吾郎らに出会う。作品を互評しながら切磋琢磨した彼等とは生涯にわたり深い友情で結ばれた。1907年、野田半三の感化でキリスト教の洗礼を受ける。同年、太平洋画会研究所に移った中原を追って彝も同所へ移り、1908年頃より中原と共に荻原守衛のもとを訪ねてその思想に感化を受け、招来した西洋美術の写真図版に刺激を受ける。油絵を描き始めたのは1906年頃と思われ、1908年の第6回太平洋画会展に油絵作品《庭の隅》(所在不明)が初入選した。翌年の同会展で奨励賞を受賞、会員に推挙される。 1907年に開設された文部省美術展覧会(文展)には第1回展と第2回展に落選したが、第3回展(1909年)には《曇れる朝》(戦災で焼失か)と《巌[いわお]》(皇居三の丸尚蔵館、東京)が初入選して後者が褒状となる。翌年の第4回展にはレンブラントに学んだ《自画像》(アーティゾン美術館、東京)と色彩豊かな《海辺の村(白壁の家)》(東京国立博物館)が入選し、後者が3等賞を受賞する。1911年の第5回展でも《女》(公益財団法人徳川ミュージアム、茨城)が同賞を受賞、新進の洋画家として注目された。1911年、相馬愛蔵・黒光夫妻の好意により新宿の中村屋裏の画室へと移り住み、1913年頃より夫妻の長女・俊子をモデルに意欲的に制作に励む一方で、1912年頃より喀血が始まった。1914年、伊豆大島へと赴き、セザンヌの影響がうかがえる《大島風景》(東京国立近代美術館)を描いたが、同地の気候が病躯に適さず体調を悪化させ、翌年、太平洋画会展に出品のルノワール《泉による女》(1914年、大原美術館、岡山)を見るためにも帰京する。1915年、第9回文展に彫刻家・保田龍門をモデルにした《肖像》(関東大震災で焼失)を出品して2等賞及び文部省買い上げとなる。1916年、アトリエを新築(現・新宿区下落合)、この頃から岡崎きいに身の周りの世話を受ける。同年の文展には、依頼を受けてモデルを前に制作した《田中館博士の肖像》(東京国立近代美術館)と、完成直後のアトリエで描いた《裸体》(茨城県近代美術館)を無鑑査出品し、前者が特選に選ばれた。その後、病が深刻化したが、転地療養した茨城県の平磯海岸に取材した風景画や、アトリエ内の身の周りの品々で構成した静物画、物心ともに彝を支えた友人の肖像《洲崎義郎氏の肖像》(1919年、新潟県立近代美術館 / 新潟県立万代島美術館)などを描いている。1920年、4年振りとなった官展(第2回帝国美術院展覧会[帝展])には、盲目のロシア人を即興的な筆致で描いた《エロシェンコ氏の像》(東京国立近代美術館、重要文化財)を出品し、話題を呼ぶ。しかし制作に集中したことで体調を悪化させ、1921年には遺言状を認めるなど自らの死を強く意識していた最中の1923年、関東大震災に被災し、助かった生命を意義あらしめるためには絵を描くことが唯一の道であるとして、これまでの静物画とは異なる「シンボリックな方法」を試みることを決意し、《カルピスの包み紙のある静物》(茨城県近代美術館)や《頭蓋骨を持てる自画像》(大原美術館)を描く。1924年10月の第5回帝展には、岡崎きいをモデルとした《老母の像》(徳川ミュージアム、茨城)を出品したが、12月24日、喀血により37歳で没した。 20年という短い画業の中にも、非常な緊張感をもって制作に臨んだ彝は、美術家仲間に大いに刺激を与えた。また、慈愛に満ちた人柄を慕って病床を訪ねる友人も数多く、支援者にも恵まれた。没後、彼等によって結成された中村画室倶楽部は、作品や遺稿、書簡、遺品などを整理して画業の顕彰に努めた。現在、下落合のアトリエは当初の姿に復元・公開されており(新宿区立中村彝アトリエ記念館)、作品に描かれた椅子などの家具類は茨城県近代美術館で公開されている。 (吉田 衣里)(掲載日:2023-09-26)(更新日:2025-02-12)

1920
中村彝氏個人展覧会, 柏崎町役場, 1920年.
1925
中村彝遺作展覧会, 画廊九段, 1925年.
1941
中村彝回顧展, 銀座青樹社画廊, 1941年.
1941
中村彝氏油絵遺作展覧会, 高島屋 (日本橋), 1941年.
1953
中村彝遺作展: 三十周年忌記念, 茨城県立美術館, 1953年.
1953
四人の画家: 中村彝・小茂田青樹・萬鉄五郎・土田麦僊, 国立近代美術館 (京橋), 1953年.
1964
中村彝とその友人展, 神奈川県立近代美術館, 1964–1965年.
1966
中村彝展, 茨城県立美術博物館, 1966年.
1967
中村彝, 新宿ステーションビル, 1967年.
1973
中村彝展, 日動サロン, 1973年.
1973
没後50年記念中村彝展, 茨城県立美術博物館, 1973年.
1974
中村彝展: 没後50年, 梅田近代美術館, 1974年.
1982
大正期洋画の展開: 中村彝の時代展, 茨城県立美術博物館, 1982年.
1984
中村彝展: 歿後六十年記念, 三重県立美術館, 神奈川県立近代美術館, 1984–1985年.
1989
中村彝・中原悌二郎と友人たち: 生誕100年記念, 茨城県近代美術館, 福島県立美術館, 練馬区立美術館, 1989年.
1995
中村彝展: 大正期の夭逝画家, 小田急美術館, 1995年.
1997
大正の美と心: 中村彝, 新潟県立近代美術館, 1997年.
2003
中村彝の全貌, 茨城県近代美術館, 愛媛県美術館, 愛知県美術館, 2003–2004年.
2013
中村彝: 下落合の画室 (アトリエ), 新宿区立新宿歴史博物館, 2013年.
2017
中村彝生誕130年記念: 芸術家たちの絆展, 中村屋サロン美術館, 2017年.

  • 石橋財団アーティゾン美術館, 東京
  • 愛知県美術館
  • 茨城県近代美術館
  • 大原美術館, 岡山県倉敷市
  • 東京国立近代美術館
  • 東京国立博物館
  • 株式会社中村屋, 東京
  • 新潟県立近代美術館
  • 徳川ミュージアム, 茨城県水戸市
  • メナード美術館, 愛知県小牧市

1925
『中村彝追悼号 木星: 第2巻第2號』(1925年2月). 東京: 木星社.
1925
『中村彝追悼号 みづゑ: 第240号』(1925年2月). 東京: 春鳥会.
1926
『中村彜作品集』東京: 中村彜作品刊行会, 1926年.
1926
中村彝『芸術の無限感: 感想及書簡集』東京: 岩波書店, 1926年 [自筆文献].
1927
『中村彝画集』東京: アトリエ社, 1927年.
1941
森口多里『中村彝』東京: アトリエ社, 1941年.
1964
C.チェンニーニ『芸術の書: 絵画技法論』中村彝訳. 東京: 中央公論美術出版, 1964年.
1967
鈴木秀枝『中村彝』東京: 木耳社, 1967年.
1975
浅野徹編『中村彝 近代の美術, 27』(1975年3月).
1977
鈴木良三『中村彜の周辺』東京: 中央公論美術出版, 1977年. 再版1978年.
1981
舟木力英「中村彝の書簡と作品」『日立市郷土博物館紀要』1号 (1981年3月): 1-28頁.
1983
米倉守『中村彝 運命の図像』東京: 日動出版部, 1983年.
1984
『中村彝画集』東京: 日動出版部, 1984年.
1988
梶山公平『夭折の画家中村彝』東京: 学陽書房, 1988年.
1988
「特集 中村彝」『常陽藝文』第61号 (1988年6月). 水戸: 常陽藝文センター.
1991
舟木力英「中村彝の初期作品」『茨城県近代美術館研究紀要』1号 (1991年3月): 162-141頁.
1991
舟木力英『中村彝の芸術 ふるさと文庫』上・下, 土浦: 筑波書林, 1991年.
1996
舟木力英「中村彝と西洋美術」『茨城県近代美術館研究紀要』4号 (1996年3月): 1-58頁.
1997
新潟県立近代美術館編『中村彝・洲崎義郎宛書簡』新潟: 新潟県立近代美術館, 1997年.
2015
田所夏子「中村彝の2つの《自画像》: 第7回太平洋画会展出品作と第4回文展出品作」『館報』63号(2015年3月): 82-88頁. 東京, 久留米: 石橋財団ブリヂストン美術館, 石橋美術館.

Wikipedia

中村 彝(なかむら つね、1887年7月3日 - 1924年12月24日)は、大正期にかけての洋画家である。

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VIAF ID
96591372
ULAN ID
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AOW ID
_00064846
Benezit ID
B00128565
Grove Art Online ID
T060801
NDL ID
00052145
Wikidata ID
Q11365580
  • 2024-02-09