- 作家名
- 中村一美
- NAKAMURA Kazumi (index name)
- Nakamura Kazumi (display name)
- 中村一美 (Japanese display name)
- なかむら かずみ (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1956
- 生地/結成地
- 千葉県
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
作家解説
中村一美は、今日の日本におけるもっとも力強く多産な画家の一人であり、深い思索に裏打ちされた、独自の非具象的な絵画を、40年以上にわたって生み出し続けている。
中村が東京芸術大学で現代美術の探求を開始した1970年代後半の日本のアート・シーンは、もの派的な表現やコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートなどの「作らない芸術」が支配的であり、中村が師事したのも、もの派の作家・榎倉康二であった。一方で若い世代の中には、システマティックな実践を手がかりとして、実体(物)としての芸術作品を「つくること」を復権しようとする傾向も現れ始めており、1980年代の、いわゆる「ポストもの派」的な新しい絵画や彫刻の展開を準備することになる。
広い意味での「ポストもの派」の世代に属し、1980年代はじめ頃から本格的な作家活動を始めた中村が目指したのは、モダニズムの言説によって文化的な卓越性を担保されていた、欧米型の形式主義的な絵画の批判であり超克であった。即自的に完結しており、瞬時に構造が了解されるこれらの絵画に対して、中村は、「示差性の絵画」という独自の概念を提起する。これは、語の意味は他の語との差異によって生まれるとした、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論を援用することによって、絵画の本質は、「複数の絵画間に生じる差異性によって担保される意味を志向する作用」であるとするもので、以後の中村の絵画的探求の理論的な前提となった。
中村の絵画が最初に注目されるのは、《北奥千丈》(1985年、ザ・ウェアハウス、ラチョフスキー・コレクション、テキサス州ダラス)のような大胆な筆触によって縦型の画面いっぱいにY字形の形象を描いた連作によってである。この〈Y型〉のモティーフは、長方形の画面を規定する(作家自身の言葉によれば「押さえ込む」)きわめて単純で抽象的な形であるとともに、樹木 — とりわけ桑の木 — の形象としての意味も込められていた。桑は、何よりも蚕の餌として栽培される植物であり、その形象としての〈Y型〉は、たんに形式的なものにとどまらない、社会的・歴史的コンテクストを持っている。絹織物は、明治から昭和初期において日本の殖産興業政策を支えた輸出産業の花形であったが、戦後、産業構造の変化により、多くの養蚕農家は廃業や転業を余儀なくされたという。中村の母の実家は、山梨の養蚕農家であり、その意味で〈Y型〉は、画家の個人的記憶や出自にも結びつくモティーフであった。
続く〈斜行グリッド〉連作は、〈Y型〉を連続的に重ねることによって形成されたものである。《紫式部日記絵巻》(13世紀、五島美術館、東京)における蔀戸の表現から着想した《庵I》(1986年、栃木県立美術館)に見られるように、日本の古典的な絵画に見られる空間表現をも参照しながら、一カ所に焦点を結ばずに水平方向に次々とずれていく、特異な空間性が実現されており、海外でも高い評価を得た。この〈斜行グリッド〉の絵画空間に弧線を取り入れることによって破調をもたらした〈開かれたC型〉は、1990年代以降のダイナミックな画面を準備することになる。これらの連作においては、同一の形態的なモティーフに基づきながら、表現主義的なストロークと幾何学的な直線といった異なる手法やスタイルによって、また異なったカラースキームに従って、複数の作品を並行して描き、提示するという形で、「示差性の絵画」が実現されている。メタリックな色彩や蛍光色をも苦もなく使いこなす、中村の色彩画家としての比類のない発想と技量は、こうした多様なヴァリエーションの制作によって培われたものとも言えようか。
1990年代に入り、冷戦終結後の流動化する国際情勢の中で、絵画の意味やあり方を思索する中村がめざしたのは、資本主義市場経済システムとナショナリズムや宗教が複雑に絡み合い、人間疎外が苛烈化していくこの世界を表象し、批判する絵画構造の実現である。「ソーシャル・セマンティクス(社会意味論)としての絵画」は、もう一つの中村独自の概念であり、いかに抽象的で形式的に見えようとも、絵画における形象には社会的なコンテクストと意味が、否応なく存在していると主張する。中村が絵画に求めた「意味」が、当初から社会的な次元をもったものであったことは、〈Y型〉が桑の木の形象を介して日本の近代史を参照していたことからもうかがうことができる。また、抽象表現主義やミニマリズムなどのアメリカ絵画にみられるオールオーヴァーで還元主義的な絵画構造に、世界を均質化しようとする欲望の形象化を読み取り、批判を加えるのである。
〈連差 ─ 破房〉は、室町時代の寺社縁起絵《清園寺縁起》(清園寺、京都、京都国立博物館寄託)に見られる不統一な建築表現の共存を参照した連作である。それまでの中村の作品とは異なって、空間の整合性を意図的に破綻させた画面には、不穏な力動感がみなぎっている。続く〈破庵〉は、斜行グリッドの空間性を三次元に展開することによって、この方向性をさらに進めたもので、「全ての破れた構築性についての絵画」(中村一美「破庵について」『— 破庵 — 中村一美展』カタログ、西武百貨店、西武アート・フォーラム、1996年)として構想された。中村は、これらの連作における「破」の語に、バブル崩壊から阪神淡路大震災、さらには東日本大震災へと至る、日本の社会や国土の崩壊の感覚やイメージとともに、『風姿花伝』等で説かれた世阿弥の美学における「序破急」の「破」を重ねて、「込み入った型を交え、技巧の限りを尽くす」という意味を与えている(中村一美「〈破庵〉あるいは「破」について」『〈川越の美術家たち〉中村一美展』カタログ、川越市立美術館、2023年)。そこにはまた、能楽に特有の死者(亡霊)の舞を看取することも可能であろう。〈破庵〉は、2020年代まで描き継がれている息の長い連作であり、崩壊への動きを孕んだ複雑で入り組んだ空間表象という中村の一方の作品系列を代表するものである。
〈破庵〉の形象から舞人の姿を連想した中村は、続く連作〈採桑老〉に進む。字義通りには「桑を採る老人」と解されるこのタイトルは、雅楽の舞楽曲の名であるが、これを舞うと死期が近づくという不吉な伝承があるため、舞う者はほとんどいないという。柔らかな舞人の幽玄な形姿を連想させる画面では、翁や聖などの東洋的な老賢者のイメージが、直立した樹木の形象と結び付けられており、続く〈死を悼みて〉では、この世界のすべての死者たちに捧げられた哀悼と鎮魂の意が込められている。祈りの形象は、東日本大震災を契機に制作が始められたもっとも新しい連作〈聖〉(2012年– )において、より直接的な仏教的な聖性のイメージとして、引き継がれているのを見ることができる。
死に対峙する絵画についての考察を深めた中村は、死と再生とを暗示する主題を求めて、〈織桑鳥〉 —桑を織る鳥と書いてフェニックスと読ませる中村の造語 ─ を生み出し、さらにそれは、2000年代半ば頃からは、〈存在の鳥〉に移行する。
「《存在の鳥》とは、あらゆる存在の飛翔についての絵画である。存在は飛翔しなければならず、飛翔し得るもののみが存在である」(中村一美「存在の鳥について」『中村一美 2005 存在の鳥』展カタログ、南天子画廊、2005年)。テロや戦争、災害が相次ぐ世界とその悲惨に対して、絵画を描くことの意味を模索していた中村が到達したのは、鳥としての絵画であった。〈存在の鳥〉は、2024年初頭までに370点を超え、これまでで最大規模の連作となっている。中村は、鳥は複雑で美しい姿をしていると述べており、朝鮮の民画、始祖鳥の化石、鳥の象形文字などの鳥の原型的なイメージを参照したいくつかのパターンをマトリックスとして、その中で様々なタイプの絵画が実現される。象形文字的なマトリックスから出発することで、図と地、線と面、概念とイメージ、色彩と物質は、交換可能で弁別しがたいものとなる。抽象でも具象でもない、西欧的なモダニズムのスキームに依拠しない別種の絵画、東アジア的絵画モデルとも形容される、独自の構造を持つ絵画なのである。中村が語る存在=鳥とは、この世界に絵画が存在することの意味を体現するものであり、まさに絵画そのものであろうとする企てなのではないだろうか。
(南雄介)(掲載日:2024-05-20)
- 1989
- Japan ’89: Europalia 89: Japan in Belgium, Museum van Hedendaagse Kunst Gent, 1989–1990.
- 1990
- Japan Art Today: Elusive Perspectives: Changing Visions, The Cultural Centre of Stockholm and The Exhibition Hall Charlottenborg and The Helsinki Municipal Art Museum and The Reykjavik Municipal Art Museum, 1990–1991.
- 1992
- 形象のはざまに: 現代美術への視点, 東京国立近代美術館, 国立国際美術館, 1992–1993年.
- 1994
- 戦後日本の前衛美術, 横浜美術館, 1994年.
- 1995
- 日本の現代美術1985–1995, 東京都現代美術館, 1995年.
- 1995
- 視ることのアレゴリー: 1995: 絵画・彫刻の現在, セゾン美術館, 1995年.
- 1995
- Japan Today, Louisiana Museum of Modern Art, Humlebaek, Denmark, 1995.
- 1999
- Art Today 1999: 中村一美展, セゾン現代美術館, 1999年.
- 2002
- 中村一美展, いわき市立美術館, 2002年.
- 2006
- Nakamura Kazumi, Keumsan Gallery, 2006.
- 2014
- 中村一美展, 国立新美術館, 2014年.
- 2015
- Kazumi Nakamura, Blum & Poe, Los Angeles, 2015.
- 2017
- Kazumi Nakamura, Blum & Poe, New York, 2017.
- 2018
- The Marvelous Cacophony: The 57th October Salon: Belgrade Biennale, Belgrade City Museum, Serbia, 2018.
- 2019
- Parergon: Japanese Art of the 1980s and 1990s, Blum & Poe, Los Angeles, 2019.
- 2020
- Psychic Wounds: On Art & Trauma, The Warehouse, Dallas, 2020–2021.
- 2021
- Kazumi Nakamura, Blum & Poe, 東京, 2021年.
- 2021
- Chengdu Biennale 2021: Super Fusion, Chengdu Museum of Contemporary Art, China, 2021–2022.
- 2023
- Alternative Sea for Asia, Jeonnam Museum of Art, Gwangyang, Korea, 2023.
- 2023
- 存在的鳥: 中村一美, 赤粒藝術, 台北, 台湾, 2023年.
- 2023
- 中村一美展: 川越の美術家たち, 川越市立美術館, 2023年.
- いわき市立美術館, 福島県
- 宇都宮美術館, 栃木県
- セゾン現代美術館, 長野県軽井沢町
- 川越市立美術館
- 国立国際美術館, 大阪
- 東京国立近代美術館
- 東京都現代美術館
- 豊田市美術館, 愛知県
- Reykjavik Art Museum, Iceland
- The Warehouse, The Rachofsky Collection, Dallas, Texas, USA
- BAT ArtVenture Collection (former Peter Stuyvesant Collection)
- 釜山市立美術館, 韓国
- 1989
- JAPAN ’89. [Exh. cat.]. Europalia: Museum van Hedendaagse Kunst Gent, 1989 (Venue: Museum van Hedendaagse Kunst Gent).
- 1990
- Japan Art Today: Elusive Perspectives: Changing Visions. [Exh. cat.]. Tokyo: Sezon Museum of Modern Art, 1990 (Venues: The Cultural Centre of Stockholm and The Exhibition Hall Charlottenborg and The Helsinki Municipal Art Museum and The Reykjavik Municipal Art Museum).
- 1992
- 東京国立近代美術館編『形象のはざまに 現代美術への視点』東京: 東京国立近代美術館, 1992年 (会場: 東京国立近代美術館) [展覧会カタログ].
- 1994
- 横浜美術館学芸部編『戦後日本の前衛美術』東京: 読売新聞社, 1994年 (会場: 横浜美術館) [展覧会カタログ].
- 1995
- 東京都現代美術館編『日本の現代美術: 1985-1995』スタンリー・N.アンダソン翻訳. 東京: 東京都現代美術館, 1995年 (会場: 東京都現代美術館).
- 1995
- セゾン美術館[ほか]編『視ることのアレゴリー: 1995: 絵画・彫刻の現在』[東京]: セゾン美術館, 1995年 (会場: セゾン美術館) [展覧会カタログ].
- 1999
- セゾン現代美術館編『中村一美展 Art Today 1999』[軽井沢町 (長野県)]: セゾン現代美術館, 1999年 (会場: セゾン現代美術館).
- 2002
- いわき市立美術館編『中村一美展』[いわき]: いわき市立美術館, 2002年 (会場: いわき市立美術館).
- 2006
- Nakamura Kazumi = 中村一美 = 나카무라 카주미. [Exh. cat.]. [s.l.]: Keumsan Gallery, 2006 (Venue: Keumsan Gallery).
- 2007
- 中村一美『透過する光: 中村一美著作選集』三村栄介・M画廊企画編集. 東京: 玲風書房, 2007年 [自筆文献].
- 2013
- 谷新, 小堀修司編『ミニマル/ポストミニマル: 1970年代以降の絵画と彫刻』宇都宮: 宇都宮美術館, 2013年 (会場: 宇都宮美術館) [展覧会カタログ].
- 2014
- 国立新美術館編『中村一美展』シェリル・シルバーマン翻訳. 東京: 国立新美術館, 2014年 (会場: 国立新美術館).
- 2015
- Nakamura Kazumi. Tokyo: Kaikai Kiki Gallery, 2015 (会場: Kaikai Kiki Gallery) [展覧会カタログ].
- 2018
- 飯沢耕太郎[ほか]執筆『起点としての80年代』金沢21世紀美術館[ほか]編. 東京: マイブックサービス, 2018年 (会場: 金沢21世紀美術館, 高松市美術館, 静岡市美術館) [展覧会カタログ].
- 2020
- Yoshitake, Mika (ed.). Parergon: Japanese Art of the 1980s and 1990s. [Exh. cat.]. Milano: Skira, 2020 (Venue: Blum & Poe, Los Angeles and Nonaka-Hill, Los Angeles).
- 2021
- 千葉成夫『現代美術逸脱史: 1945-1985 ちくま学芸文庫』東京: 筑摩書房, 増補2021年.
- 2021
- Delahunty, Gavin (ed.). Psychic Wounds: On Art & Trauma. [Exh. cat.]. New York: The Warehouse, 2021 (Venue: The Warehouse, Dallas).
- 2023
- 川越市立美術館編『中村一美展: 川越の美術家たち』川越: 川越市立美術館, 2023年 (会場: 川越市立美術館).
Wikipedia
中村 一美(なかむら かずみ、1956年 - )は、日本の画家。現在は多摩美術大学絵画学科油絵専攻教授。千葉県出身。1981年、東京藝術大学芸術学科卒業後、1984年、東京藝術大学大学院油画専攻修了。妻は画家の石川順恵。主な美術館での個展としてはセゾン現代美術館 (1999年) 、いわき市立美術館 (2002年)、国立新美術館(2014年)などがある。近年の個展にカイカイキキギャラリー(2014年、2016年・東京)、Blum & Poe (2015年・ロサンゼルス、2017年・ニューヨーク)がある。
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- NDL ID
- 00209213
- Wikidata ID
- Q18234202
- 2023-02-20