富岡鉄斎

富岡鉄斎は天保7年12月19 日（太陽暦では1837年1月25日）に生まれた。生地は京都三条通新町東入西寄南側。法衣商を営んだ十一屋伝兵衛の8代目にあたる富岡維叙と絹の間の二男。祖先の富岡以直（三代十一屋伝兵衞）は、石門心学と呼ばれる町人道徳を説いた石田梅岩の門人として手島堵庵と双璧をなした人物で、以来、石門心学は富岡家の家学だった。 鉄斎には多くの名がある。はじめ猷輔を通称とし、のち道昻、道節と称し、1872（明治5）年頃までは鉄斎を名とした時期もあり、鉄四郎とも、鉄史とも称したが、概ね明治初期からは百錬を戸籍上の名とし、字を無倦、号を鉄斎とした。40歳代には鉄崖の号を使用することが多かった。ほかにも鉄の字を用いた号は沢山あったが、その最初の号は鉄道人だった。ちなみに彼自身は鉄ではなく鐵や銕を用いた。鉄は「金を失う」と読めて縁起が悪いからか手紙のほかには用いなかった。 もともと学問を好んだ家系だったこともあって彼自身も幼少から読書を好んだ。野之口隆正に国学を学び、岩垣月洲に漢学を学んだのち、陽明学に傾倒し、1856（安政3）年頃、春日潜庵に学んだ。その縁で梅田雲濱、梁川星巖、頼三樹三郎、西郷南洲のような志士たちと交わったと考えられている。1859（安政6）年、天台宗の僧である羅溪慈本に詩文を学んだことも知られる。そもそも富岡家の家学である石門心学は儒学を中心にしながら神道や仏教や老荘思想をも集積した折衷の学であり、その点では、儒学でありながら仏教や道教を取り入れた陽明学との共通点もあったから、鉄斎が多彩な学問を貪欲に学び、中でも陽明学に親しみを抱いたのは自然なことだったといえる。 その間、1854（安政元）年頃には窪田雪鷹、大角南耕に画の初歩を学んだらしい。小田海僊、浮田一蕙のような画道の大家にも接したと伝えられる。歌人として知られた大田垣蓮月尼との交流も同時期に始まると思われ、1855（安政2）年頃、蓮月が聖護院村から北白川の雲居山心性寺へ転居した際には、鉄斎も同行し、同居して製陶の手助けをした。 やがて海外の新知識を摂取するとともに画道を修業するため長崎へ遊学した。1861（文久元）年頃と考えられている。数カ月間の滞在中、篆刻家として知られる豪商の小曽根乾堂の世話になり、開国論を聞いて啓発され、文人画家の鉄翁祖門や木下逸雲とも出会った。 1862（文久2）年頃、鉄斎は聖護院村の蓮月旧居において学者として私塾を開いたが、生活は苦しく、画を描いて生計の助けとした。昼は画を描き、夜は読書するという鉄斎の生活スタイルの基本がここに始まり、晩期まで続いたのである。画業で身を立てることを彼に勧めたのは親友の山中静逸（信天翁）だったと伝えられる。鉄斎の庇護者であり続けた蓮月も、鉄斎を引き立てるため、和歌の揮毫を依頼されたときにはそれに添える画を鉄斎に描かせ、謝礼を贈っていた。蓮月の書と鉄斎の画の合作が多く現存するのはそのためである。しかし1867（慶応3）年に刊行された慶応三年版『平安人物誌』儒家並びに詩の部には彼の名が掲載され、学者としては既に一流だったこともわかる。画家としても既に優れていたことは、1867（慶応3）年の作品《山水図》六曲屏風一双（竹苞書楼 佐々木惣四郎、京都）によって明らかである。 1869（明治2）年、天皇の東行に随行し、1872（明治5）年、天皇の九州巡幸に随行。同年には、五條家（菅原氏）で女中を務めていた愛媛県出身の歌人ハル（春子）と結婚した。1873（明治6）年、湊川神社権禰宜を拝命。翌年には東京で松浦武四郎と会ったのち、蝦夷地（北海道）へ旅行し、さらに翌年には池大雅に倣って富士山頂を極めた。以後も生涯を通じて全国を旅行し、各地の勝景や風俗を見聞するとともに、歴史上の人物に関する史蹟の顕彰に尽力した。1876（明治9）年、石上神宮少宮司、次いで大鳥大社大宮司を拝命。この時期には歴代天皇陵の調査を精力的に展開し、各地の荒廃した神社を復興するため書画を頒ち、収入を修理費に充てた。妻のハルも機織で家計を助けていた。 しかし政府の神祇政策に対する不満から、1881（明治14）年、宮司の官を辞して京都へ帰った。その後も、荒廃していた車折神社を復興させるため、嵯峨村の人々の要請を受けて1888（明治21）年から1893年まで祠掌（宮司）をつとめたことはあったが、それを除けば以後は在野の儒者、文人画家として生きることとなった。 鉄斎はその学識や見識によって京都の画壇において信頼され、京都美術協会や日本南画協会、新古美術品展覧会のような美術団体や展覧会等に、役員や審査員として迎えられることも多かった。京都市美術学校でも、1893（明治26）年には商議員を嘱託され、翌年から1904（明治37）年までは嘱託教授として修身の授業を担当した。授業の様子について本人は当時「歴史人物の講釈や、甲冑衣冠、其他總ての考証などに就て生徒に教授してゐるが。どうも生徒の学力が其処に至らんから、此方のいふことが腹に入りかねる」と語り、画学生の「不学無術」に苦言を呈したが（黒田天外『名家歴訪録』上巻、1901年、山田芸艸堂、194頁）、このことは、鉄斎があくまでも学者として教壇に立っていたことを物語っている。実際、鉄斎といえば「俺は知つての通り元が儒生で、画をかくといふのが変体ぢや」（富岡鉄斎「山水画談（名画天地石壁の図）」、小高根太郎『富岡鉄斎の研究』1944年、芸文書院、418頁）と語っていたという話や、「私の画を見て下さるなら、第一に画讃から読んで貰い度い」（正宗得三郎『富岡鉄斎』1942年、錦城出版社、14頁）と宣言していたという話があまりにも有名ではある。しかし彼が愛用した印章の中には朱文楕円印「老画師」（桑名鉄城刻）があり、画家として生きている自負もあったのは間違いない。この印章は田能村竹田が愛用した印章の模刻であり、竹田が旅と文雅に生きたのと同じように、鉄斎も「万巻の書を読み、万里の道を徂き、以て画祖をなす」（前掲『富岡鉄斎の研究』419頁）という文人画家でありたいとの理想をそこに込めていたのだろう。 しかし、この古風な理想に基づき、書物や古画を通して先人と対話し、先人に寄り添いながら制作され続けた彼の書画は、50歳代を過ぎて60歳代から80歳代へ年齢を重ねて円熟を深めるに連れ、独自の境地へ到達した。1898（明治31）年63歳の《富士山図》（清荒神清澄寺 鉄斎美術館、兵庫）、65歳の《漁樵問答図 》（京都市美術館）、69歳の《蓬莱仙境図・武陵桃源図 》（京都国立博物館）、70歳の《富士遠望図・寒霞溪図 》（京都国立近代美術館）、71歳の《妙義山図・瀞八丁図》（布施美術館 、滋賀）、77歳の《青緑山水図》（清荒神清澄寺 鉄斎美術館）、1914（大正3）年79歳の《阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図》（重要文化財、辰馬考古資料館、兵庫）など、六曲屏風一双の大作の数々を眺めるだけでも、そのことは明らかだろう。 このような鉄斎の絵画表現は、大正期以降、青年画家たちによって新たな価値を見出された。東京の今村紫紅、安田靫彦や京都の土田麦僊、小野竹喬のような若い日本画家たちが鉄斎の絵画に西洋の印象派に近い表現を見出し、梅原龍三郎のような洋画家も鉄斎の芸術性に注目した。中でも洋画家の正宗得三郎は鉄斎について「翁の画程印象派の調子、リズム、さういつたものゝ感じられる日本画といふものは少ない」（前掲『富岡鉄斎』、119頁）と評して尊敬し、鉄斎の生前には何度も鉄斎の邸宅を訪ね、鉄斎の没後には研究書『富岡鉄斎』を刊行した。 そうした関心や敬意は美術界全体に広がり、1917（大正6）年、鉄斎は帝室技芸員を拝命した。「予ハ少壮より儒学第一ニ修業せるも維新後より絵事を専とせり。然共此技を用ひて世ニ出んとハ意なく、故ニ公会場出品ハ一回もなし。是ハ画工を避る也」と述べながらも「朝命忝し」と感謝し（富岡鉄斎「無用之用」、前掲『富岡鉄斎の研究』178頁）、これを機に朱文方印「帝室藝員」（桑名鉄城刻）を愛用した。続いて1919（大正8）年、帝国美術院の官制が公布されると同時にその会員も拝命した。最年長の会員であり、松本楓湖、今尾景年、高村光雲、小堀鞆音、竹内栖鳳、黒田清輝、中村不折、新海竹太郎、岡田三郎助、山元春挙、川合玉堂、和田英作とともに美術家として最高の栄誉を得たことになる。没年は1924（大正13）年。数え年89歳で、満年齢では87歳と計算できるが、鉄斎の年齢については数え年を用いるのが通例である。 （梶岡 秀一）（掲載日：2025-01-16）