- 作家名
- 芹沢銈介
- SERIZAWA Keisuke (index name)
- Serizawa Keisuke (display name)
- 芹沢銈介 (Japanese display name)
- せりざわ けいすけ (transliterated hiragana)
- 芹澤銈介
- 大石銈介 (birth name)
- 生年月日/結成年月日
- 1895-05-13
- 生地/結成地
- 静岡県静岡市
- 没年月日/解散年月日
- 1984-04-05
- 没地/解散地
- 東京都
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 工芸
作家解説
芹沢銈介は、1895(明治28)年5月13日、静岡市葵区本通一丁目の呉服太物卸商・大石角次郎の7人兄弟の二男として生まれた。したがって旧姓は大石だが、21歳の時に静岡市葵区安西一丁目の芹沢家に婿入りし、芹沢姓となった。実家の大石商店は、当時、静岡市内屈指の呉服商で「豪商」と呼ばれ、祖父、父ともに書画骨董の収集を好み、画家や書家を自宅に逗留させた。大勢の人が集まる静岡市の大店で育ったことや、書画収集を好んだ祖父や父の後ろ姿は、少なからぬ影響を後の芹沢に与えたと考えられる。
芹沢は、幼少時から画才があったとされ、静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)時代には、「静中画会」という絵画クラブを作り、山本正雄から手ほどきを受け水彩画を描いていた。学校に行くふりをして汽車に乗り、東京で1日展覧会を見て、何食わぬ顔で家に帰ってくるほどの絵画少年だったという。20代前半にもフランス・パリでの絵画修業を口にしていたというから、画家になることは芹沢の少年から青年時代にかけての夢だったのだろう。しかし卒業目前の1913(大正2)年3月、実家が火事で全焼し、やむなく同年7月、東京高等工業学校(現・東京工業大学)工業図案科に進学した。数学を得意とした芹沢に、東京の叔父は応用化学科を勧めたが、結局絵画からは離れがたく、自分の意志で工業図案科を選択、そのことでデザイナーへの道が拓けた。
1916(大正5)年に卒業後、郷里の静岡市に帰り、静岡県静岡工業試験場や静岡県立静岡工業学校に勤め、図画やデザインの指導にたずさわった。1921(大正10)年1月からは、大阪府立商品陳列所に技師として勤め、公私ともに充実した日々を送ったが、「土地と地位になぢまず」(芹沢銈介「年譜」『自選芹沢銈介作品集 下』東京: 築地書館、1968年)、わずか2年足らずで辞職して静岡に帰った。大阪時代、自分の子どもたちの服を、生地から自分でデザインして作ったことから手芸に関心を持ち、帰郷後は近隣の女性たちをあつめ、手芸団体・このはな会を作った。芹沢がデザイン指導を行い、会員が制作するもので、クッションカバー、卓布、壁掛け、バッグ、手編みの玩具などが制作された。このはな会は、主婦の友社主催全国家庭手芸品展覧会に応募し、1925(大正14)年、1926(大正15)年と、2年連続で最高賞を受賞した。このはな会は、ろうけつ染、絞染、版更紗なども手掛けたが、こうした取組みを通じて、芹沢の関心は次第に染色へ傾斜していった。
芹沢は収集家気質のある人物で、20代前半から最晩年まで工芸品の収集を好んだ。そのきっかけは、婿入り先の芹沢家の土蔵に残されていた根付や矢立で、矢立はきれいに磨き、専用の棚に保管していたという。数年して関心は全国の小絵馬に移り、戦前は小絵馬収集家としても知られた。その小絵馬コレクションを見るために、1927(昭和2)年に芹沢の自宅を訪ねたのが柳宗悦(1889-1961)だった。宗教哲学者であり民藝運動のリーダーでもあった柳は、日本の民衆が生み出した手仕事に健やかな美しさを見出し、それらをアレンジして現代生活に普及させ、暮らしのレベルからこの世を健やかな美しさで満たそうと考えた。芹沢は、柳の主張に共鳴し、日本民藝協会の主要なメンバーの一人となり、以後制作面でも柳の指導を受けた。また翌1928(昭和3)年、芹沢は沖縄の色鮮やかな染物・紅型を初めて目にし、あたかも自分の故郷に帰ったかのような懐かしさと憧れを覚えた。このふたつが契機となって染色家となること決意し、1929(昭和4)年、第4回国画会展に《紺地蔬菜文壁掛》(原作は所在不明)を出品して入選、国画奨学賞を得て、染色家としてデビューした。1931(昭和6)年には、柳の指導の下、雑誌『工藝』の創刊号から第12号までを型染で手掛けた。1932(昭和7)年になると、《蔬果文壁掛》、《伊曾保物語》など、初期の代表作を制作した。1934(昭和9)年3月、一家で静岡から東京・蒲田に移住し、以後没年まで東京・蒲田で暮らした。
芹沢は、もともと繊細で正確な表現を好み、余剰を切り詰めて完成させるタイプであったため、静岡在住時代の作品には内向的な雰囲気があった。師・柳宗悦は、整理しすぎて形に収まりやすい芹沢の傾向をよしとせず、評論を通じ「型破り」の仕事を目指すよう促した。芹沢の作風が大きく変わったのは1939(昭和14)年のことで、沖縄県那覇市に約2カ月滞在、紅型の手法を現地で学び、また沖縄の風土や文化に陶酔する日々を送った。これを機に、芹沢の仕事は明るく、大らかなものへと変化し、以後の作風に繋がっていった。
1945(昭和20)年4月に空襲に遭い、自宅とそれ以前の作品や収集品を失い、以後約6年にわたり寄寓生活を余儀なくされた。この時期、生地や場所の不足から、思うように仕事が出来なかったが、和紙に型染を施したカレンダーやクリスマス・カード、また本の装幀や挿絵などで生計をつないだ。1951(昭和26)年に再び蒲田の地に戻り、1955(昭和30)年に自邸内に工房を構えることで、ようやく満足に仕事が出来る環境が整った。1956(昭和31)年、61歳になる年に「型絵染」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、全国的な知名度を得たが、その前後から制作は軌道に乗り始めたこともあり、後に広く知られる代表作には、むしろ人間国宝認定後に制作されたものが多い。《風の字のれん》(1957年)、《鯛泳ぐ文着物》(1964年)、《四季曼荼羅図二曲屏風》(1971年)などがその例である。
最晩年まできわめて意欲的に制作に取り組み、質、量ともに豊かな作品世界を残したが、その仕事は、型染の領域にとどまらない。絵画作品も少なくなく、ガラス絵や板絵など豊富に肉筆作品を残した。中でも手控帖と呼ばれる下絵本類は、杉本健吉、バルテュスといった画家たちに高く評価された。またデザイナーとしての仕事も多く、ブック・デザインや商業デザインだけでなく、立体デザインも得意とし、その代表的な例として岡山県倉敷市の大原美術館工芸・東洋館(内外装、展示ケース、照明、椅子等のデザイン)がある。収集家としても知られ、世界の工芸品を戦後6,000点以上収集した。特に1965(昭和40)年以降はほぼ1日1点のペースで収集を続けたが、80代になっても制作に意欲を燃やし続けた芹沢にとって、収集は制作に向かう重要なエネルギー源だった。一方では1点1点の選択に芹沢の好みが行き届き、全体を俯瞰するとあたかも作品のような様相も呈している。約1600点の収集品を展示した展覧会「芹沢銈介の蒐集 — もう一つの創造 —」(大原美術館、1978–1979年)に代表されるように、収集品のみの展覧会も催した。
芹沢の型染の仕事にはふたつの方向性があった。ひとつは型染で優れた芸術作品を生み出す方向性であり、もうひとつは型染本来の特徴を活かして作品を量産し安価に一般に普及させようとする方向性である。自邸内に芹沢染紙研究所を設けたのは後者の試みで、この作家の忘れてはならない業績といえる。芹沢染紙研究所には、全国から多くの若者が集まり、芹沢が制作した型紙を用いて、カレンダー、うちわ、グリーティングカード、包装紙などを大量に制作し安価に販売した。特にその主力商品だったカレンダーは国内外に高い人気を誇り、多い年には1万セット(12枚組)を生産した。健やかな美しさを持つ手仕事を世に行き渡らせようとした柳宗悦の民藝論の実践と見ることもできよう。
1976(昭和51)年には文化功労者となり、同年、フランス国立グラン・パレにおいて、80日間にわたる大規模な個展「Serizawa」展を催し、高い評価を受けた。1981(昭和56)年には、フランス芸術文化勲章(オフィシエ)を受章、同年、静岡市駿河区登呂に、静岡市立芹沢銈介美術館が開館した。また1983(昭和58)年には『芹沢銈介全集』全31巻(中央公論社)が完結した。1984(昭和59)年4月5日、芹沢銈介は享年88歳で死去した。
(白鳥 誠一郎)(掲載日:2023-09-11)
註
本稿に記された作品は、特に記載がなければすべて静岡市立芹沢銈介美術館に所蔵されている。
- 1969
- 静岡市制80周年記念 芹沢銈介作品展, 田中屋百貨店, 1969年.
- 1971
- 芹沢銈介収集品展, 日本民藝館, 1971年.
- 1973
- 芹沢銈介: 人と仕事, 阪急百貨店, 1973年.
- 1974
- 芹沢銈介の五十年 作品と身辺の品々展, 天満屋 (岡山), 1974年.
- 1976
- 芹沢銈介巴里展 [Serizawa], パリ 国立グラン・パレ美術館, 1976–1977年.
- 1977
- 芹沢銈介展, サントリー美術館, 1977年.
- 1978
- 芹沢銈介の蒐集: もうひとつの創造, 大原美術館, 1978–1979年.
- 1978
- 世界の染めと織り: 芹沢銈介の身辺, 浜松市美術館, 1978年.
- 1978
- 静中・静高創立百周年記念: 芹沢銈介小品展: のれん・装幀本とその下絵・挿絵, 西武百貨店静岡店, 1978年.
- 1979
- 芹沢銈介の蒐集: その一部展示, サントリー美術館, 1979年.
- 1979
- Keisuke Serizawa, Mingei International Museum of World Folk Art, California, 1979.
- 1981
- 芹沢銈介美術館 開館記念展, 静岡市立芹沢銈介美術館, 1981年.
- 2001
- Serizawa: Master of Japanese Textile Design, スコットランド国立博物館, エディンバラ, 2001年.
- 2005
- 芹沢銈介展: 生誕110年, 名古屋・松坂屋美術館, 横浜・そごう美術館, 東京日本橋髙島屋, MIHO MUSEUM, 滋賀県甲賀市, 米沢市上杉博物館, 2005年.
- 2006
- 芹沢銈介の世界: 日本の色彩, ロシア国立エルミタージュ美術館, サンクトペテルブルク, 2006–2007年.
- 2009
- Serizawa: Master of Japanese Textile Design, ジャパン・ソサエティ・ギャラリー, ニューヨーク, 2009–2010年.
- 2011
- 芹沢銈介展: 宗廣コレクション, 島根県立美術館, 渋谷区松濤美術館, 岡崎市美術博物館, 京都文化博物館, 2011–2012年.
- 2012
- 型絵染 人間国宝 芹沢銈介展, 北海道立旭川美術館, 北海道立函館美術館, 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館, 静岡市立芹沢銈介美術館, 2012年.
- 2014
- デザイナー芹沢銈介の世界展: 生誕120年記念, 日本橋高島屋, 横浜高島屋, 京都高島屋, 大阪高島屋, 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館, 2014–2015年.
- 2019
- アイヌの美しき手仕事: 柳宗悦と芹沢銈介のコレクションから, 北海道立近代美術館, 宮城県美術館, 2019–2020年.
- 静岡市立芹沢銈介美術館
- 東北福祉大学 芹沢銈介美術工芸館, 仙台市
- 日本民藝館, 東京
- 大原美術館, 岡山県倉敷市
- 京都国立近代美術館
- 宮城県美術館
- 大阪日本民芸館
- アサヒグループ大山崎山荘美術館, 京都府
- MIHO MUSEUM, 滋賀県甲賀市
- 国立工芸館, 石川県金沢市
- 1967
- 芹沢銈介『自選芹沢銈介作品集』上・下. 東京: 築地書館, 1967-1968年.
- 1968
- 芹沢銈介『型絵染: 芹沢銈介珠玉作品原色図録』三一書房美術部編. 東京: 三一書房, 1968年.
- 1973
- 『芹沢銈介: 人と仕事』[東京]: 朝日新聞社, 1973年 (会場: 阪急百貨店(大阪・梅田)) [展覧会カタログ].
- 1974
- 芹沢銈介『芹沢銈介: 作品と身辺の品々』芹沢銈介-作品と身辺の品々-実行委員会編. 岡山: 天満屋, 1974年 (会場: 天満屋岡山店) [展覧会カタログ].
- 1976
- Serizawa: [exposition], Grand Palais, 23 Novembre 1976-14 février 1977. [Exh. cat.]. Paris: Éditions des Musées Nationaux, 1976 (Venue: Grand Palais (France)).
- 1977
- 金子量重編『芹沢銈介巴里展』[出版地不明]: 芹沢銈介国際展委員会, 1977年 (会場: パリ国立グラン・パレ美術館) [展覧会カタログ].
- 1978
- 水尾比呂志編『芹沢銈介作品集』全6冊, 東京: 求龍堂, 1978-1980年.
- 1978
- 芹沢銈介の蒐集編集委員会編『芹沢銈介の蒐集: もうひとつの創造』倉敷: 大原美術館, 1978年 (会場: 大原美術館) [展覧会カタログ].
- 1980
- 『芹沢銈介全集』全31巻, 東京: 中央公論社, 1980-1983年.
- 1982
- 『歩: 芹沢銈介の創作と蒐集』京都: 紫紅社, 1982年.
- 1989
- 東北福祉大学芹沢銈美術工芸館編『芹沢銈介: 作品とコレクション』仙台: 東北福祉大学, 1989年.
- 1997
- 芹沢長介, 杉浦康平『芹沢銈介の文字絵・讃』東京: 里文出版, 1997年.
- 2005
- 朝日新聞事業本部名古屋企画事業チ-ム, そごう美術館, Miho Museum, 米沢市上杉博物館編『芹沢銈介展: 生誕110年』[東京]: 朝日新聞社, 2005年 (会場: 名古屋・松坂屋美術館, 横浜・そごう美術館, Miho Museum, 米沢市上杉博物館).
- 2006
- 静岡市立芹沢銈介美術館, 静岡新聞社, 静岡放送企画・編集. Цвета Японии в творчестве Сэридзава Кэйсукэ: мастер росписи по ткани из Сидзуоки-города у подножья фудзиямы = The Colors of Japan in the Art of Serizawa Keisuke: The Master of Textile Design from Shizuoka, The City at the Foot of Mt. Fuji = 芹沢銈介の世界: 日本の色彩. 静岡: 静岡市, 2006年 (会場: ロシア国立エルミタージュ美術館 (サンクトペテルブルク)) [展覧会カタログ].
- 2008
- 静岡市立芹沢銈介美術館編『芹沢銈介: その生涯と作品』静岡: 静岡市立芹沢銈介美術館, 2008年. 改訂版2022年.
- 2009
- Mizuo, Hiroshi, Terry Satsuki Milhaupt, Matthew Fraleigh, Amanda Mayer Stinchecum, Kim Brandt, and Shukuko Hamada. Serizawa: Master of Japanese Textile Design. Joe Earle (ed.). [Exh. cat.]. New York; New Haven: Japan Society; Yale University Press, 2009 (Venue: Japan Society Gallery, New York).
- 2011
- 大森拓土[ほか].『芹沢銈介展: 宗廣コレクション』中日新聞社, 岡崎市美術博物館編 [名古屋]: 中日新聞社, 2011年 (会場: 島根県立美術館, 渋谷区立松涛美術館, 岡崎市美術博物館, 京都文化博物館).
- 2011
- 「染色の挑戦 芹沢銈介: 世界は模様に満ちている」『別冊太陽: 日本のこころ』185 (2011年7月).
- 2011
- 静岡市立芹沢銈介美術館文・編集『芹沢銈介作品をめぐる30の物語』静岡: 静岡市立芹沢銈介美術館, 2011年.
- 2014
- 朝日新聞社企画事業本部文化事業部編『デザイナー芹沢銈介の世界展: 生誕120年記念』東京: 朝日新聞社, 2014年 (会場: 日本橋高島屋, 横浜高島屋, 京都高島屋ほか).
- 2014
- 『芹沢銈介文様図譜 コロナ・ブックス』東京: 平凡社, 2014年.
- 2016
- 静岡市立芹沢銈介美術館監修『芹沢銈介の静岡時代』静岡: 静岡新聞社, 2016年.
- 2019
- 東京文化財研究所「芹沢銈介」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9815.html
- 2021
- 静岡市立芹沢銈介美術館監修『芹沢銈介の日本 別冊太陽: 日本のこころ』293 (2021年10月).
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「芹沢銈介」『日本美術年鑑』昭和60年版(244-356頁)国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)で、文化功労者の型絵染作家芹沢銈介は、4月5日午前1時4分、心不全のため、東京都港区の虎の門病院で死去した。享年88。略年譜明治28(1895)年5月13日、静岡県静岡市の呉服太物卸小売商大石角次郎の次男として生まれた。明治41(1908)年 静岡県立静岡中学校に入学。中学時代、すでに美術好きの少年で、水彩画家山本正雄のよき指導を得ていた。大正3(1914)年...
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芹沢 銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。静岡県静岡市(現:葵区)生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)。20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されており、民芸運動の主要な参加者でもあった。
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- 2024-02-16