A1513

須田国太郎

| 1891-06-06 | 1961-12-16

SUDA Kunitarō

| 1891-06-06 | 1961-12-16

作家名
  • 須田国太郎
  • SUDA Kunitarō (index name)
  • Suda Kunitarō (display name)
  • 須田国太郎 (Japanese display name)
  • すだ くにたろう (transliterated hiragana)
  • 須田國太郎
生年月日/結成年月日
1891-06-06
生地/結成地
京都府京都市下京区(現・京都府京都市左京区)
没年月日/解散年月日
1961-12-16
没地/解散地
京都府京都市左京区
性別
男性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1891(明治24)年6月6日、京都の下京区(現・中京区)に生まれた。家は近江商人から出た富裕な商家だった。そうした家であれば当主に文人の趣味があるのも自然なことではあるが、須田は父に書画の趣味があったことも母が和歌を嗜んでいたこともよくは知らず、その意味では芸術に取り囲まれて育ったわけではなかったらしい。それでも彼は幼少から少年雑誌を通じて絵に親しみ、中学校では日本画家の横山常五郎に洋画を学んだ。京都の丸善で見たゴッホの絵に感動し、洋画家を志すようになったのも当時のことだが、それは同時に、なぜ東洋の絵は西洋の絵とは違った方向へ発達したのか? という疑問の始まりでもあった。この疑問について考えるため、また、画家になる方法を知らなかったこともあり、1913(大正2)年、京都帝国大学文科大学哲学科へ進学した。ここで深田康算と出会ったことは幸いだった。日本における美学研究の先駆者であり、アリストテレス研究の先駆者でもある深田教授のもとで彼は「写実主義」の問題を古代ギリシアにまで遡って考えたからである。彼の卒業論文「写実主義」は、目に見える客観の現実そのままの模写ではなく、対象をめぐる可能性を探って真理を表現する「主観の作用」こそが、世に蔓延する写実主義を超える本当の写実であるという考えを提起した。 こうして画家として進むべき道を見定めた彼は、関西美術院でデッサンを学んだのを除けば、ほぼ独学のまま、1919(大正8)年、第一次大戦後のスペインへ留学した。約4年間、マドリードを拠点にヨーロッパ各地を旅行して風景のスケッチに励み、各地の美術館や画廊を巡ってはさまざまな時代の美術作品を貪欲に鑑賞した。特にプラド美術館では、ティツィアーノ、ティントレット、エル・グレコ、ルイス・デ・モラレス、ゴヤ等の名画を熱心に模写することを通じて、表現における技法と材料の重要性についても理解を深めた。西洋絵画における近代の基盤が、ルネサンス絵画における色彩の輝きからバロック絵画の明暗の深みへの転換にあると考え、絵画における色彩と明暗の関係について、古い技法を追体験しながら探求したことは、美術の歴史と思想に対する須田の理解を強靭なものにした。そして写実の問題にしても、東洋と西洋の間の表現の違いの問題にしても、材料や技法の性能を踏まえなければ理解できないと考えた。さまざまな時代と地域の画家たちはそれぞれに材料を理解し、選択することによって、己の探った真実を表現するための最適の技法を創造してきたと考えたからである。 美術史研究によって画家としての道を見定め、同時に、絵画修業によって美術史研究を深めた須田は、帰国後も暫くは和歌山高等商業学校や京都帝国大学で美術史を教えて生活の資を得ていたが、1932(昭和7)年、兄の友だった神阪松濤に勧められ、関西美術院における友たちの協力も得て、東京の銀座、資生堂ギャラリーで初の個展を開催した。世の注目を浴びたとは言い難かったが、これを観た人々の中に里見勝蔵と川口軌外がいて、1934(昭和9)年、両名に誘われて独立美術協会に迎えられた。同会の会員になったとき既に43歳だったが、以後、画家としての活動を本格化させた。 画家としてのデビューが遅かったこと、美術学校出身でもなかったこと、しかも個展開催前までは美学者、美術史家として活動していたことから、世間には須田を、学者が余技で油彩画を描いているかのように誤解する者も少なくなかった。しかし彼自身は少年時代以来一貫して画家志望だったのであり、画家としてなかなか世に出ようとしなかったのは謙虚だったからだろう。独立美術協会の会員となり、小林和作のような、ともに研鑽する友を得てからは、同会の展覧会(独立展)を拠点に数多くの名作を発表し続け、やがてその特異な画業は高く評価されるようになった。1947(昭和22)年には日本芸術院会員にまで任命されたが、須田自身は1961(昭和36)年70歳で亡くなる直前まで、もう一度スペインに留学したいと願っていた程の、謙虚な探求者であり続けた。 最初の個展を開催して以降、約30年間の画業を通じて彼の画風は変化、深化を見せたが、全体として暗い画面の中に色彩の豊かさと明暗の対比を見せる彼独特の技法は、恐らくは青年時代のスペイン留学中に淵源を持ち、以後、一貫して彼の表現の基本であり続けたといえる。換言すれば、彼の芸術を考える基盤も、スペイン留学で彼が到達した知見にこそあるということになる。 プラド美術館における名画の模写を通じて彼が得たのは、西洋絵画における近代の基盤が、ルネサンス絵画における色彩の多様性からバロック絵画における光の統一性への転換にあるという理解である。彼はルネサンス絵画、特にヴェネツィア派の、透明な絵具を塗り重ねた色彩の輝きに魅了されてはいたが、同時にそれが「統一された一つの光線の下」に表されてはいない点に弱点を見出してもいた。そして明暗の鋭い対比によって画面に統一感を与えたバロック絵画こそはその弱点の克服だったと評価した。画面を統一する深い暗部が明部に光輝や緊張、躍動、流動を生じることによって西洋絵画に固有のレアリスムが進展したのであり、近代絵画とは結局、バロック美術が提起した問題の解決に他ならないと見たのである。須田の見るところ、西洋絵画を東洋絵画とは異なった方向へ進展させたのが油彩の技法とバロックの明暗表現だったが、結果として色の自然な輝きは損なわれてもいた。それを回復することが以後の絵画史の課題となったわけであり、絵具を混ぜないで並置する印象派の色彩法はひとつの解決だった。このように須田は西洋絵画史を、色彩と明暗をめぐる技法の変転という観点から捉えたが、同時に、その流れを貫くのは不変の「レアル」(実在)の探求という課題であるとも考えた。こうした美術史理解で見えてくる課題は、彼の画業においても一貫した課題となっていたに相違ない。 彼の作品の最も目立つ個性は画面の黒さにあるともいわれるが、作品そのものを観察する限り、それは単純な黒ではなく、多様な色彩を幾層にも重ね合わせた結果であると見られる。絵具を置いては塗り潰し、拭き取り、削り取り、また塗り重ねるという甚だ不器用な、一所懸命な手法によってではあるにしても、ルネサンスの色彩やバロックの明暗の表現を自分なりに追体験しながら、それらの弱点を自分なりに克服して「レアル」に到達したいという姿勢が、あの黒の深さに表れている。彼の制作は美術史上のさまざまな時代と地域の偉大な到達点への挑戦の連続でもあったといえる。絵画において真理を探る彼の思索は、言葉によってではなく制作すること自体の中で深められたのである。 (梶岡 秀一)(掲載日:2024-12-16)

1934
須田国太郎油絵展覧会, 大礼記念京都美術館, 1934年.
1957
須田国太郎・北川民次展覧会, 神奈川県立近代美術館, 1957年.
1959
須田国太郎自選展, 日本橋高島屋, なんば高島屋, 1959年.
1963
須田国太郎遺作展, 京都市美術館, 国立近代美術館(京橋), 1963年.
1966
須田国太郎・村上華岳名作展, 岡山県総合文化センター, 主催: 岡山県総合文化センター[ほか], 1966年.
1972
13回忌 須田国太郎展: 梅田近代美術館開館記念 , 梅田近代美術館, 1972年.
1977
須田国太郎展, 広島県立美術館, 主催: 広島県立美術館, 中国新聞社, 1977年.
1978
須田国太郎展, 小田急, 主催: 東京新聞, 1978年.
1981
須田国太郎展, 京都国立近代美術館, 主催: 京都国立近代美術館、KBS京都、京都新聞社 , 1981年.
1985
小林和作・須田国太郎, 山口県立美術館, 1985年.
1992
須田国太郎展: 光と影のリアリズム, 島根県立博物館, 静岡県立美術館, 大津市歴史博物館, トキハ会館, 名古屋市民ギャラリー, 天満屋岡山店, 1992年.
1994
須田国太郎第1回個展再現展, 資生堂ギャラリー, 1994年.
2001
須田国太郎展: その色彩から, 上原近代美術館, 主催: 上原近代美術館, 読売新聞社, 2001年.
2001
須田国太郎展: 下蒲刈町立蘭島閣美術館開館10周年.記念特別展, 蘭島閣美術館, 主催: 蘭島閣美術館, 下蒲刈町, 下蒲刈町教育委員会, 中国新聞社, 2001年.
2005
須田国太郎展, 京都国立近代美術館, 東京国立近代美術館, 福島県立美術館, 2005–2006年.
2012
須田国太郎展: 没後50年に顧みる, 神奈川県立近代美術館 葉山, 茨城県近代美術館, 石川県立美術館, 鳥取県立博物館, 京都市美術館, 島根県立美術館, 2012–2013年.
2020
キュレトリアル・スタディズ14: 須田国太郎 写実と真理の思索, 京都国立近代美術館, 主催: 京都国立近代美術館、一般財団法人きょうと視覚文化振興財団, 2020年.
2021
須田国太郎展: 油彩と能・狂言デッサン: 京都中央信用金庫創立80周年.記念事業・一般財団法人きょうと視覚文化振興財団設立記念, 中信美術館, 主催: 中信美術奨励基金、きょうと視覚文化振興財団、京都新聞, 2021年.
2021
須田国太郎 in Spain, 三之瀬御本陣芸術文化館, 主催: 公益財団法人 蘭島文化振興財団、呉市、中国新聞社, 2021年.

  • 東京国立近代美術館
  • 京都国立近代美術館
  • 京都市美術館 (京都市京セラ美術館)
  • 中野美術館, 奈良市
  • 上原美術館, 静岡県下田市
  • 蘭島閣美術館, 広島県呉市
  • 愛媛県美術館
  • 京都市立芸術大学芸術資料館
  • 京都大学人文科学研究所
  • 大阪大学附属図書館

1941
須田国太郎『須田国太郎作品選集』東京: 弘文堂, 1941年.
1942
黒田重太郎『画房襍筆』大阪: 湯川弘文社, 1942年.
1947
黒田重太郎『京都洋画の黎明期 京都叢書: 6』京都: 高桐書院, 1947年.
1955
須田国太郎『須田国太郎 日本現代画家選: 第17』東京: 美術出版社, 1955年.
1963
須田国太郎『近代絵画とレアリスム』東京: 中央公論美術出版, 1963年. [自筆文献]
1963
『須田国太郎』東京: 美術出版社, 1963年.
1971
京都大学文学部図書室編『須田文庫目録: 京都大学文学部美学美術史研究室 京都大学文学部図書月報』京都: 京都大学文学部図書室, 1971年.
1975
座右宝刊行会編『須田国太郎画集』東京: 集英社, 1975年.
1979
岡部三郎『須田国太郎: 資料研究 叢書・京都の美術: 1』京都: 京都市美術館, 1979年.
1980
京都市美術館編『京都の洋画: 資料研究 叢書・京都の美術: 2』京都: 京都市美術館, 1980年.
1980
島田康寛『須田国太郎 近代の美術, 57』(1980年3月).
1980
島田康寛『須田国太郎水墨画集』東京: 楽游書房, 1980年.
1992
富山秀男, 岩崎吉一, 平野重光, 島田康寛編『須田国太郎画集』京都: 京都新聞社, 1992年.
2012
大谷省吾「作品研究 須田国太郎が《書斎》の影に込めた想いとは?」『現代の眼』593号 (2012年4月): 13-14頁.
2013
齊藤陽介「須田国太郎のセザンヌ論に関する一考察」『静岡県博物館協会研究紀要』第36号 (2013年3月): 54-60頁.
2013
林野雅人「須田国太郎と鳥取: 《漁村田後》の制作についての一考察」『鳥取県立博物館研究報告』第50号, 2013年3月, 119-125頁.
2019
東京文化財研究所「須田国太郎」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9129.html
2020
齊藤陽介「研究ノート: 須田国太郎の写真――滞欧期を中心に」『静岡県博物館協会研究紀要』第43号 (2020年3月): 34-39頁.
2021
橋秀文「須田国太郎にとってのスペイン」『美術フォーラム21』第43号 (2021年6月): 108-112頁.
2021
梶岡秀一「須田国太郎のレアリスム論とスペイン」『美術フォーラム21』第43号 (2021年6月): 113-118頁.
2021
大髙保二郎「プラド美術館での模写画家 須田国太郎: 新資料紹介」『美術フォーラム21』第43号 (2021年6月): 119-123頁.

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

洋画家で、日本芸術院会員、独立美術協会会員の須田国太郎は、12月16日、長い間の肝硬変により肝性こん睡のため京都大学病院で逝去した。享年70歳。明治24年6月6日京都市中京区に、麻商彦太郎の次男として生れた。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に入学、美学美術史を専攻し、大正5年6月卒業した。のち関西美術院に入って洋画を学んだ。大正8年インドを経由してヨーロッパに留学、主としてスペインに滞在...

「須田国太郎」『日本美術年鑑』昭和37年版(127-128頁)

Wikipedia

須田國太郎(すだ くにたろう、1891年6月6日 - 1961年12月16日)は洋画家。京都市立美術大学名誉教授。重厚な作風と東西技法の融合に特色。

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VIAF ID
62704564
ULAN ID
500326610
AOW ID
_00108626
Benezit ID
B00177664
Grove Art Online ID
T082201
NDL ID
00073725
Wikidata ID
Q11664624
  • 2025-03-17