- 作家名
- 白髪一雄
- SHIRAGA Kazuo (index name)
- Shiraga Kazuo (display name)
- 白髪一雄 (Japanese display name)
- しらが かずお (transliterated hiragana)
- 白髪素道
- 生年月日/結成年月日
- 1924-08-12
- 生地/結成地
- 兵庫県尼崎市
- 没年月日/解散年月日
- 2008-04-08
- 没地/解散地
- 兵庫県尼崎市
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
- パフォーマンスアート
作家解説
1924(大正13)年8月12日、兵庫県尼崎市に、市内で呉服屋を営む父信次郎、母文[ふみ]の長男として生まれた。兵庫県立尼崎中学校(現・兵庫県立尼崎高等学校)2年生時、新設された絵画部に入部し、顧問の教員に勧められ東京美術学校(現・東京藝術大学)への進学を希望するが、すでに日本は戦時下にあり食糧難が始まっていたことから、家族の反対を受け、1942年、自宅から通える京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学する。洋画を学ぶつもりだったが、当時、同校には日本画科と図案科しかなく、しかたなく日本画を専攻。学業半ばの1944年、徴兵され、前橋陸軍予備士官学校に入学。翌年卒業後、本土決戦要員として国内に留め置かれ、尼崎に帰郷中に敗戦を迎える。同年復学。
1948年、京都市立絵画専門学校を卒業し、翌年、大阪市立美術館付設美術研究所に入所、洋画に転向する。1950年頃からは兵庫県芦屋市在住の洋画家、伊藤継郎のアトリエに通い、伊藤が会員だった新制作派協会の展覧会に出品するようになる。1952年、新制作派協会の友人に誘われ、大阪で発足した現代美術懇談会の例会や展覧会に参加する。同会で、吉原治良や彼に私淑していた嶋本昭三、吉田稔郎、上前智祐など、後に具体美術協会(「具体」)で活動を共にすることになる美術家らを知る。同じ頃、新制作派協会の村上三郎や金山明、会外の田中敦子らと0[ゼロ]会を結成。0会とは、芸術はなにも無いゼロの地点から創造すべきとの意味からつけられた名前で、金山とは、0を起点に幾何学的な抽象絵画を描いていた金山を「マイナス」、自身をその反対の「プラス」に位置付け、互いにその両極を目指すことを誓い合った。こうしたことを背景に、作品もそれまでの暗く幻想的な具象から抽象へと急速に変化する。色彩感覚も構図もない「なまこみたいな絵」(⽩髪⼀雄・針⽣⼀郎対談「上⽅あくしょんだんぎ」『⽩髪⼀雄展—⼗⼆年の作品から』東京画廊、1973年)を志向した白髪は、1953年から、単色の絵具をペインティング・ナイフや手製のヘラで伸ばし画面全体に展開させるオールオーバーな絵画を描くようになる。さらに、流動感を全面に押し出すため、ヘラを指や掌に代え、色も血を想起させるクリムゾンレーキに固定、1954年には支持体を床に置き足で絵具を押し広げる独自の描法に至った。
1955年、嶋本昭三に誘われ、0会の村上三郎、金山明、田中敦子とともに「具体」に加入。この頃、天井からロープを吊り下げ、それに両手でしがみついて画面上を滑走して描く方法を編み出し、作品に「アクション」の要素が加わる。身体と物質が直接触れ合うことで得られる生々しい感覚は、同年7月に初めて「具体」の一員として発表した「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」での出品作《どうぞお入りください》(円錐形に組んだ赤い丸太の内側に入り白髪が斧で切りつけた痕跡を鑑賞する作品)や、同年10月の第1回具体美術展における《泥にいどむ》(白髪が泥と全身で格闘した痕跡を鑑賞する作品)などの非絵画作品に発展、さらには身体に内在する精神的なもの(白髪がいう「資質」)の考察を促した。1956年にかけて、白髪は「具体」の機関誌『具体』に、「資質」に絶対的な価値を置く独自の芸術観をしばしば寄稿し、アクションの結果としての絵画に意味を見出さなくなる。そのため、この時期の作品は発表後廃棄され、ほとんど現存しない。
白髪が絵画制作に立ち戻る契機になったのは、1957年、フランス人のフリー・キュレイター、ミシェル・タピエの来日であった。戦後欧米で同時期に出現した新しい抽象美術を「アンフォルメル」という概念で包括的に論じ、世界規模の美術運動を先導することを企図していたタピエは、パリで機関誌『具体』を見て「具体」に強い関心を寄せる。なかでも彼は白髪の作品を高く評価し、翌年には個別に作品をヨーロッパに送る契約を結んだ。タピエはフランス人のジョルジュ・マチュー、アメリカ人のジャクソン・ポロックなどの激しいアクションによる絵画を日本に紹介し、美術界に「アンフォルメル旋風」を巻き起こしたことから、白髪の素足によるアクション・ペインティング(白髪はそれを「フット・ペインティング」と呼んだ)も、日本国内でようやく注目されるようになる。「具体」では吉原に作品名を付けることを禁じられていたが、多作になり、作品を識別することが困難になったため、その打開策として、1959年から完成した作品に便宜的に幼少期の愛読書であった『水滸伝』の豪傑の名をつけ始める。この〈水滸伝豪傑シリーズ〉は、106点で一応の完結を見る1965年まで続いた。タピエを介して「具体」の一員として、また一人の画家として欧米で発表する機会が増え、1959年の第11回プレミオ・リソーネ国際展で買上賞受賞、国内においても1960年には第4回現代日本美術展に招待されるなど、その評価を確立していった。1962年、パリのスタドラー画廊、トリノの国際美学研究所、東京画廊、大阪のグタイピナコテカで立て続けに個展を開催。
1965年、タピエの芸術観に同調するあまり、「具体」会員らの作品がマンネリズムに陥り始めたことを危惧した吉原は、「具体」に新人を多数招き入れ活性化を図る。それに呼応し、白髪も素足だけでなく板や棒を使って絵具を押し広げ、流動的な面で画面を構成する新たな表現への展開を図る。この手法で描いた《丹赤[にあか]》が、同年の第8回日本国際美術展で優秀賞を受賞し自信を付けた白髪は、翌1966年から板や棒の片側を支点に車のワイパーのように絵具を広げて半円を描く「扇の連作」を制作する。一方で、作品に変化をもたらすためにはまず精神的な鍛錬が必要だと考えるようになり密教に接近。1971年には比叡山延暦寺で得度し、「白髪素道[しらが そどう]」の法名を授かる。1972年3月、吉原の死により「具体」が解散して後は、密教への傾倒をより深め、比叡山の元三大師堂[がんざんだいしどう]で35日間の修行を行った1974年から75年にかけて、正円を主に配し仏や密教の教義の名を付けた作品を多数制作する。この「円の連作」は造形的には「扇の連作」の発展形であったが、あらかじめ特定の仏をイメージして描くそのプロセスは、画面上で意識と無意識との統合を図るそれまでのフット・ペインティングとは異なるものであった。
こうした大きな画風の変化や美術界でのコンセプチュアルな表現の隆盛もあって、1970年代、白髪の評価は低迷するが、同代末の欧米での新表現主義の台頭を受け、1978年から白髪は再びフット・ペインティングに回帰する。さらに1980年代に入ると、ポスト・モダニズムを背景にした非西洋圏の戦後美術への関心の高まりから、欧米において「具体」や白髪のフット・ペインティングに再び注目が集まり、その機運に乗って、1992年には30年ぶりにパリのスタドラー画廊で個展を開催、1999年にベルリンのゲオルグ・ノートヘルファー画廊、2001年にロンドンのアネリー・ジュダ画廊などヨーロッパ各地で新作を発表、高い評価を得た。1987年、兵庫県文化賞を受賞。フット・ペインティングに回帰後は、1960年代のクリムゾンレーキを基調にした陰惨なイメージから脱却し、明るい色を多用したり、黒や白のみで描くなど、表現の幅を広げた。2001年には、兵庫県立近代美術館(現・兵庫県立美術館王子分館 原田の森ギャラリー)で初の大規模な回顧展が開催される。2002年、大阪芸術賞受賞。
2008(平成20)年4月8日、敗血症のため83歳で尼崎市にて没。2009年から翌年にかけて、生前から準備が進められていた全国巡回の回顧展が、遺作展として尼崎市総合文化センターほか3ヶ所で開催された。白髪は戦中の一時期を除き、生涯、尼崎を離れることはなかった。精神と物質、意識と無意識、古典文学や古事にもとづく主題と革新的な描法。これら「両極的なもの」の統合を特徴とする白髪の絵画は、古くから京都と大阪を結ぶ物流の拠点として栄え、貴族性と庶民性を併せ持つ独自の文化を育んだ尼崎とのつながりを強く感じさせる。そうしたこともあり、尼崎では、白髪の没後、2013年の「白髪一雄記念室」開設(尼崎市総合文化センター内)、2021年の「白髪一雄現代美術賞」創設、2024年の尼崎市・公益財団法人尼崎市文化振興財団・尼崎商工会議所・尼崎信用金庫主催による「生誕100周年記念事業」(生誕100年 白髪一雄展 行為にこそ総てをかけて」尼崎市総合文化センター、2024年7月27日–9月23日)の実施など、画業の顕彰が熱心に行われている。
(平井章一)(掲載日:2024-10-16)
- 1955
- 真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展, 芦屋川畔芦屋公園, 1955年.
- 1955
- 第1回具体美術展, 小原会館 (東京), 1955年.
- 1957
- 舞台を使用する具体美術, 産経会館 (大阪), 産経ホール (東京), 1957年.
- 1962
- Shiraga, Galerie Stadler, Paris, 1962.
- 1962
- Dipinti di Shiraga, International Center of Aesthetic Research, Galleria Notizie, Torino, 1962.
- 1962
- 白髪一雄展, 東京画廊, 1962年.
- 1962
- 白髪一雄個展, グタイピナコテカ (大阪), 1962年.
- 1980
- 白髪一雄展, 東京画廊, 1980年.
- 1986
- Japon des Avant-Gardes 1910–1970 = 前衛芸術の日本1910–1970, Musée National d’Art Moderne, Centre George Pompidou, Paris, 1986.
- 1986
- Shiraga, Galerie Stadler, Paris, 1986–1987.
- 1990
- 白髪一雄展 : 黒の世界, カサハラ画廊 (大阪), 1990年.
- 1992
- Kazuo Shiraga: Bilder 1956–1991, Galerie George Nothelfer, Berlin, 1992.
- 1993
- Kazuo Shiraga, Musée d’Art Moderne, Réfectoire des Jacobins, Toulouse and Centre Régional d’Art Contemporain Midi-Pyrénées, Labége, 1993.
- 2001
- アクションペインター 白髪一雄展, 兵庫県立近代美術館, 2001年.
- 2001
- Kazuo Shiraga: Paintings and Watercolors, Annely Juda Fine Art, London, 2001.
- 2009
- 白髪一雄展: 格闘から生まれた絵画, 安曇野市豊科近代美術館, 尼崎市総合文化センター, 横須賀美術館, 碧南市藤井達吉現代美術館, 2009年.
- 2009
- Kazuo Shiraga: Six Decades, Fergus McCaffrey, New York, 2009.
- 2015
- Between Action and the Unknown: The Art of Kazuo Shiraga and Sadamasa Motonaga, Dallas Museum of Art, 2015.
- 2017
- Kazuo Shiraga, Lévy Gorvy, London, 2017.
- 2017
- Kazuo Shiraga: Inaugural Exhibition Kannal, Axel Vervoordt Gallery, 2017.
- 2018
- 水滸伝豪傑シリーズ: 白髪一雄, 尼崎市総合文化センター, 2018年.
- 2020
- 白髪一雄, 東京オペラシティアートギャラリー, 2020年.
- 2024
- 白髪一雄: 行為にこそ総てをかけて, 尼崎市総合文化センター, 2024年.
- 東京国立近代美術館
- 国立国際美術館, 大阪
- 京都国立近代美術館
- 東京都現代美術館
- 兵庫県立美術館
- 奈良県立美術館
- 芦屋市立美術博物館, 兵庫県
- 福岡市美術館
- 兵庫県尼崎市
- 石橋財団アーティゾン美術館, 東京
- 東京オペラシティアートギャラリー
- ニューヨーク近代美術館
- ポンピドゥー・センター
- ダラス美術館, アメリカ
- カンティーニ美術館, マルセイユ, フランス
- レ・ザバトワール現代美術館, トゥールーズ, フランス
- シカゴ美術館
- ルーヴル・アブダビ, アラブ首長国連邦
- ウォーカー・アート・センター, アメリカ
- 1955
- 白髪一雄「行為こそ」『具体』3号 (1955年10月): 22頁 [自筆文献].
- 1956
- 白髪一雄「個体の確立」『具体』4号 (1956年7月): 6-7頁 [自筆文献].
- 1956
- 白髪一雄「資質について」『具体』5号 (1956年10月): [n.p.] [自筆文献].
- 1957
- 白髪一雄「精神の生理的な表現 (形而上学的表現に対するもの)」『具体』6号 (1957年4月): [n.p.] [自筆文献].
- 1973
- 白髪⼀雄・針生⼀郎対談「上方あくしょんだんぎ」『白髪一雄展: 十二年間の作品から』東京: 東京画廊, 1973年 (会場: 東京画廊).
- 1992
- “Kazuo Shiraga.” Berlin: Galerie Georg Nothelfer, 1992 (Venue: Galerie Georg Nothelfer). [Exh. cat.].
- 1993
- 白髪一雄, 山村徳太郎, 尾﨑信一郎「白髪一雄氏インタビュー」『具体資料集: ドキュメント具体1954-1972』芦屋市立美術博物館編. 芦屋: 芦屋市文化振興財団, 1993年, 379–387頁.
- 1993
- “Kazuo Shiraga.” [Toulouse]: Ed. ARPAP, 1993 (Venues: Centre Régional d'Art Contemporain Midi-Pyrénées, Labège and Musée d'Art Moderne, Réfectoire des Jacobins, Ville de Toulouse). [Exh. cat.].
- 2001
- 兵庫県立近代美術館編『白髪一雄展: アクション ぺインター』神戸: 兵庫県立近代美術館,2001年 (会場: 兵庫県立近代美術館).
- 2009
- Tomii, Reiko, and Fergus McCaffrey. “Kazuo Shiraga: Six Decades.” New York: Fergus McCaffrey, 2009 (Venue: McCaffey Fine Art, New York). [Exh. cat.].
- 2009
- 白髪一雄展実行委員会事務局, 植松篤編『白髪一雄展: 格闘から生まれた絵画』[出版地不明]: 白髪一雄展実行委員会, 2009年 (会場: 安曇野市豊科近代美術館, 尼崎市総合文化センター, 横須賀美術館, 碧南市藤井達吉現代美術館).
- 2013
- 「白髪一雄オーラル・ヒストリー. 2007年8月23日」日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ. 更新日2013-09-15. http://www.oralarthistory.org/archives/shiraga_kazuo/interview_01.php
- 2015
- “Kazuo Shiraga.” New York; Antwerp: Dominique Levy Gallery; Axel Vervoordt Gallery, 2015 (Venues: Dominique Levy Gallery and Axel Vervoordt Gallery). [Exh. cat.].
- 2015
- Ritter, Gabriel ed. Between Action and the Unknown: The Art of Kazuo Shiraga and Sadamasa Motonaga. Dallas, New Haven; London: Dallas Museum of Art; Yale University Press, 2015 (Venue: Dallas Museum of Art). [Exh. cat.].
- 2018
- 妹尾綾, 藤巻佐和子編『水滸伝豪傑シリーズ: 白髪一雄』大阪: ライブアートブックス, 2018年 (会場: 尼崎市総合文化センター) [展覧会カタログ].
- 2018
- 生田博編『白髪一雄: 講演会の記録––1985–2001』[出版地不明]: 生田博, 2018年.
- 2019
- 東京文化財研究所「白髪一雄」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28420.html
- 2024
- 白髪一雄生誕100年記念事業実行委員会『白髪一雄: 行為にこそ総てをかけて』平井章一監修. 京都: 青幻舎, 2024年 (会場: 尼崎市総合文化センター) [展覧会カタログ].
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「白髪一雄」『日本美術年鑑』平成21年版(429-430頁)足で絵を描くフット・ペインティングと呼ばれる独自の技法を確立し、戦後美術を代表する一人として国際的に活躍した白髪一雄は4月8日午前7時25分、敗血症のため兵庫県尼崎市内の病院で死去した。享年83。1924(大正13)年8月12日、兵庫県尼崎市の呉服商の長男として生まれる。幼少の頃から書画や骨董に親しみ、旧制中学時代に画家を志すようになる。東京美術学校(現、東京芸術大学)への進学を夢見るが、家業を継...
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白髪 一雄(しらが かずお、1924年8月12日 - 2008年4月8日)は、日本の抽象画家。
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- 2025-03-17