- 作家名
- 下村良之介
- SHIMOMURA Ryōnosuke (index name)
- Shimomura Ryōnosuke (display name)
- 下村良之介 (Japanese display name)
- しもむら りょうのすけ (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1923-10-15
- 生地/結成地
- 大阪府大阪市
- 没年月日/解散年月日
- 1998-12-30
- 没地/解散地
- 京都府京都市上京区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
- 2019
- 東京文化財研究所「下村良之介」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10593.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「下村良之介」『日本美術年鑑』平成11年版(428頁)日本画家の下村良之介は12月30日午前11時8分、肺気腫のため京都市上京区の病院で死去した。享年75。大正12(1923)年10月15日、大阪市の能楽師の家に生まれる。本名良之助。5歳より謡・仕舞の稽古のために桃谷の能楽堂に通う。昭和10(1935)年12歳の時に京都に移り、翌年京都市立美術工芸学校に入学。同16年からは京都市立絵画専門学校に学び、同18年学徒動員のため繰り上げで同校を卒業。同年、...
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下村 良之介(しもむら りょうのすけ、1923年10月15日 - 1998年12月30日)は、戦後に活躍した日本画家である。本名・良之助。1923年10月15日大阪市に生まれる。1935年12歳の時に京都に移る。1943年京都市立絵画専門学校日本画科を学徒動員のため繰上げ卒業。1949年パンリアル美術協会の結成に参加。戦後の日本画界にあって革新運動を展開した同協会第1回展から出品を続け、やがて指導者的役割を果たし、旺盛な活動を展開、最晩年まで協会とともに歩んだ。「反骨の画人」とも称されているその貴重な足跡は、「日本画」という伝統的なジャンルにとどまりながら開拓精神に貫かれている。初期はキュビズムの影響下に制作をすすめるが、一方で戦争体験を機に、優雅で美しい花鳥風月の表現を中心とする日本画に不信感を抱き、社会的な主題にも熱い眼差しを注いだ。次第に「鳥」を主題とした作品を主軸に据えるようになり、建築用の墨つぼを使用した鋭い線描による画面へと移行していく。1958年カーネギー財団主催のピッツバーグ国際現代絵画彫刻展、1960年中南米巡回日本現代絵画展に出品するなど、海外展にも発表するようになる。この頃から紙粘土を画面に盛り上げてレリーフ状にし、あたかも化石のような鳥の形象を表現するという、独自の質感を持った強靱な作風を完成させていく。日本画のみならず、版画や陶芸、舞台美術なども手掛け、エッセイも数多く残した。1971年から1989年まで大谷大学教授もつとめた。1998年12月30日肺気腫のため京都市の病院で死去。
- VIAF ID
- 258149066628865602535
- AOW ID
- _00108303
- Benezit ID
- B00168745
- NDL ID
- 00182194
- Wikidata ID
- Q102246550
- 2023-02-20