- 作家名
- 倉俣史朗
- KURAMATA Shirō (index name)
- Kuramata Shirō (display name)
- 倉俣史朗 (Japanese display name)
- くらまた しろう (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1934-11-29
- 生地/結成地
- 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)
- 没年月日/解散年月日
- 1991-02-01
- 没地/解散地
- 東京都大田区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- デザイン
作家解説
1934年11月29日、父・倉俣吉治[よしじ]、母・清[せい]との間に、東京市本郷区(現・文京区本駒込)にあった理化学研究所の社宅で生まれる。理化学研究所の洋建築は倉俣史朗にとっての原風景となった。小学生の頃、大工の棟梁の仕事場に遊び場として通うなか、建築の青写真を見て建築家に憧れる。終戦後の1947年、文京区立第九中学校に入学。この頃より美術や文学に関心をもつようになり、日本アンデパンダン展(読売新聞社主催)は1949年の第1回展から観に行くようになる。1953年に東京都立工芸高等学校を卒業し、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)を受験するも入れず浪人となるが、父の体調悪化により働くことを決意する。最初は学校の教室用の家具を製造していた帝国器材家具工場の設計部に勤め、1年くらいで家具の商事会社に移る。
1955年、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科に2期生として入学。研究所には教師として渡辺力と剣持勇がいた。授業の一環として小原流会館で開催された第1回具体展を訪れ、強い衝撃を受ける。1956年に研究所を卒業するが、この頃イタリアの建築デザイン雑誌『ドムス』に出会い、この本が認めてくれるようなデザインをしたいと心に誓う。銀座4丁目交差点の角地に株式会社三愛のビルが建設されることを知り、そのインテリアを手がけることを希望し1957年に三愛へ入社、宣伝課に配属される。1963年に三愛ドリームセンターが竣工、倉俣はインテリアを担当した。1964年に三愛を退社、松屋インテリアデザイン室嘱託を経て、1965年に独立しクラマタデザイン事務所を設立。翌年には静岡市の女性洋品店「トンボヤ」のインテリアデザインを手がける。その際、天井画をイラストレーターの宇野亞喜良に依頼し、同時代のクリエイターと協働した最初の仕事となる。以降、伊坂芳太良、山﨑英介、横尾忠則、高松次郎らに壁画や天井画を依頼し、ともに空間をつくる仕事も数多く手がけた。
1969年2月の『デザイン』第118号で初めての特集となる「倉俣史朗の世界」が掲載。山口勝弘がデュシャンをテーマに主論文を執筆し、三愛時代の仕事も含め20頁以上にわたり紹介された。1970年、日本万国博覧会(大阪万博)において、山口勝弘がチーフプロデューサーを務める三井グループ館のインテリアデザインを担当する。同年6月、『ドムス』第487号に作品写真が初めて掲載される。1972年、商店建築における一連の家具とディスプレイが評価され、第18回毎日デザイン賞を受賞。1976年、初の作品集となる『倉俣史朗の仕事』を鹿島出版会より刊行。同年に東京・南青山のイッセイミヤケの店舗デザインを担当し、この後亡くなるまで国外を含めて各地のイッセイミヤケの店舗デザインを手がけることとなる。この頃から美術館でも作品が紹介されるようになる。
1981年、イタリアのデザイナー、エットレ・ソットサスからの誘いで、デザイン運動「メンフィス」に参加し、ミラノで開催されたメンフィス第1回展(Arc ’74)で自作を発表。同年ロンドンでも個展を開催し、ヨーロッパで知名度を上げるきっかけとなる。またこの年に日本文化デザインフォーラムが主宰する第2回日本文化デザイン賞を受賞。1980年代に入ると、国内はもとより海外からの依頼も増加し、店舗デザインや展覧会への参加も格段に増えた。1989年にはパリで個展(Galerie Yves Gastou, Paris)を開催、国立高等装飾美術学校で自作について講演を行った。翌年、フランス文化省芸術文化勲章を受章。1991年、心筋炎による心不全のため東京都大田区の東邦大学大森病院にて死去。
しばしば倉俣のデザインは「浮遊感」や「詩情」といった言葉で形容されるが、これには晩年の代表作のひとつ《ミス・ブランチ》(1988年デザイン)のイメージが大きい。透明アクリル樹脂のなかに造花のバラを封じ込めた座部を細いアルミ製の脚で支えたこの椅子は、実際には相当の重量であるにもかかわらず、視覚的には非常に軽快である。重量感を感じさせない素材使いという点では、透明アクリルのほかにも板ガラスやメッキ仕上げのエキスパンドメタル、電灯を仕込んだ乳白アクリルなどを用い、光の透過と反射の効果をいかすことによる物質としての存在感の消失を意図して制作されているものも数多い。また、《ミス・ブランチ》のタイトルは戯曲『欲望という名の列車』の主人公の名前からとられており、そのイメージをリンクさせているが、このような即物的でないタイトルを冠しはじめたのは1985年の《シング・シング・シング》以降であり、それ以前の作品は「〇〇の椅子」「〇〇の家具」など素材や形状を端的に表すものがほとんどである。
造形面に目を向けると、6枚の四角い板ガラスを組み合わせ接着した《硝子の椅子》(1976年)、側面もしくは前面が曲線で構成された可動式の引き出し家具《変形の家具》(1970年)をはじめ、非常にシンプルで匿名性の高いものが多い。その形状の単純さがかえって、機能性や実用性を超えたところで記憶や精神に作用するデザインを希求する倉俣の意図を先鋭化する。倉俣の家具のまるで夢の中に出てくるかのような非現実感は、光の透過と反射を意識した素材使い、匿名的でシンプルな形状、そして家具の既成概念を覆す自由な発想が合わさって生み出されるものであり、このラディカルなデザイン手法は装飾や色彩を大きな問題とした1970–1980年代のデザイン界においても異彩を放っている。倉俣の仕事がデザインというよりもアート作品のような作家性や表現性を強く感じさせるのはそのためであろう。
日本人インテリアデザイナーのなかでは傑出して世界中にファンの多い倉俣だが、没後開催された回顧展としては、原美術館ほかで開催された世界巡回展(1996–1999年)と、ソットサスとの二人展(2011年)など、その人気に比して紹介される機会はそれほど多くはなかった。それは倉俣の仕事の多くが店舗等の内装デザインであるため、空間として現存する作品自体が少ないことも決して無関係ではない。しかし、2021年には倉俣が晩年に手がけた新橋の寿司店「きよ友」を移設した香港の美術館M+が開館、2022年には事務所で保管していた作品に加えインテリアや家具の図面、掲載雑誌の切り抜き、写真・映像資料が一括で石橋財団アーティゾン美術館に収蔵され、作品資料の保存に一定の筋道がついた。それとともに2023–2024年には国内3館による約10年ぶり回顧展(「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」世田谷美術館ほか巡回)が開催されるなど、近年になって倉俣の仕事にたいする再評価の環境が整いつつあり、今後さらなる調査研究の進展が期待される。
(三木敬介)(掲載日:2024-10-21)
- 1975
- 倉俣史朗・思索への試作 第173回デザインギャラリー1953, 松屋デザインギャラリー, 1975年.
- 1977
- 見えることの構造: 6人の目; Art Today '77, 西武美術館, 1977年.
- 1978
- イスのかたち: デザインからアートへ, 国立国際美術館, 1978年.
- 1978
- 間: 日本の時空間, パリ装飾美術館, 1978年.
- 1981
- Shiro Kuramata Designs, アラム・デザイン, ロンドン, 1981年.
- 1981
- メンフィス, ミラノ, 1981年.
- 1981
- テラゾー <破片> 倉俣史朗・個展 第302回デザインギャラリー1953, 松屋デザインギャラリー, 東京, 1983年.
- 1984
- 現代のユーモア, 埼玉県立近代美術館, 1984年.
- 1985
- 現代デザインの展望: ポストモダンの地平から, 京都国立近代美術館, 東京国立近代美術館, 1985–1986年.
- 1985
- 現代日本美術の展望: 生活造形展, 富山県立近代美術館, 1985年.
- 1988
- Kagu 東京 デザイナーズウィーク’88, アクシスギャラリー・アネックス1, 東京, 1988年.
- 1989
- イタリアン・ネオ・モダン: ‘80年代のアート&デザイン, ふくやま美術館, 東高現代美術館, 1989年.
- 1989
- Kuramata Shiro, ギャルリー・イヴ・ガストゥ, パリ, 1989年.
- 1996
- 倉俣史朗の世界, 原美術館, メキシコ現代美術センター, サンフランシスコ近代美術館, ニューヨーク大学グレイ・アート・ギャラリー アンド スタディ・センター, モントリオール装飾美術館, パリ国立装飾美術館, オーストリア応用美術館, 京都国立近代美術館, 1996–1999年.
- 2011
- 倉俣史朗とエットレ・ソットサス, 21_21 Design Sight, 2011年.
- 2013
- 浮遊するデザイン: 倉俣史朗とともに, 埼玉県立近代美術館, 2013年.
- 2023
- 倉俣史朗のデザイン: 記憶の中の小宇宙, 世田谷美術館, 富山県美術館, 京都国立近代美術館, 2023–2024年.
- 石橋財団アーティゾン美術館, 東京
- 富山県美術館
- 大阪中之島美術館
- 武蔵野美術大学 美術館・図書館, 東京
- 京都国立近代美術館
- ニューヨーク近代美術館
- ポンピドゥー・センター, パリ
- ヴィクトリア & アルバート博物館, ロンドン
- ヴィトラ・デザイン・ミュージアム, ドイツ
- M+, 香港
- 1969
- 山口勝弘「倉俣史朗の世界」『デザイン』第118号 (1969年2月): 20–41頁. 東京: 美術出版社.
- 1971
- 多木浩二「合理的制度へのアイロニー 倉俣史朗の仕事」『SD: Space Design: スペースデザイン』第75号 (1971年1月): 26–28頁.
- 1975
- 倉俣史朗, 多木浩二「事物の逆説 倉俣史朗+多木浩二」『多木浩二対談集・四人のデザイナーとの対話キサデコールセミナーシリーズ: 1』東京: 新建築社, 1975年, 190–236頁.
- 1976
- 『倉俣史朗の仕事』東京: 鹿島出版会, 1976年.
- 1981
- 長谷川堯「倉俣史朗が語る ガラスあるいは浮遊への手がかり」『Space Modulator』第58号 (1981年2月): 1–16頁.
- 1988
- 『倉俣史朗: 1967–1987』新装改訂版. 東京: Parco出版局, 1988年.
- 1991
- 倉俣史朗『Star Piece: 倉俣史朗のイメージスケッチ』東京: TOTO出版, 1991年.
- 1991
- 倉俣史朗『未現像の風景: 記憶・夢・かたち 住まい学大系: 037』東京; 東京: 住まいの図書館出版局, 星雲社 (発売), 1991年. [自筆文献].
- 1996
- 「特集 倉俣史朗」『Axis』第62号 (1996年7月): 17–73頁.
- 1996
- 原美術館[ほか]編『倉俣史朗の世界』[東京]: アルカンシェール美術財団, 1996年 (会場: 京都国立近代美術館, 原美術館). [展覧会カタログ].
- 2008
- 「倉俣史朗の仕事(デザイン)」『Pen』第225号 (2008年7月): 34–91頁. 東京: 阪急コミュニケーションズ.
- 2010
- 21_21 Design Sight編『倉俣史朗とエットレ・ソットサス』東京: ADP (Art Design Publishing), 2010年 (会場: 21_21 Design Sight). [展覧会カタログ].
- 2011
- 鈴木紀慶編著『1971–1991 倉俣史朗を読む』東京: 鹿島出版会, 2011年.
- 2012
- 関康子構成・編『倉俣史朗読本: 21_21 Design Sight企画展「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」レクチャー集』東京: ADP (Art Design Publishing), 2012年.
- 2013
- Sudjic, Deyan. “Shiro Kuramata.” London: Phaidon, 2013.
- 2016
- 倉俣美恵子, 宮本かほるインタビューイ「倉俣史朗 インテリアデザイナー 日本のデザインアーカイブ実態調査」関康子, 涌井彰子インタビュアー, 関康子ライティング. 建築思考プラットフォーム. 閲覧日2024-11-20. https://npo-plat.org/kuramata-shiro.html
- 2018
- 「橋本啓子のエッセイ 倉俣史朗の宇宙」全9回. ギャラリーときの忘れもの. 公開日2023-12-6. http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53357580.html
- 2023
- 倉俣美恵子, 植田実監修『倉俣史朗カイエ: 1-2』東京: ときの忘れもの, 2023年.
- 2023
- 稲塚展子[ほか]編著『倉俣史朗のデザイン: 記憶のなかの小宇宙』[東京]: 朝日新聞社, 2023年 (会場: 世田谷美術館, 富山県美術館, 京都国立近代美術館). [展覧会カタログ].
- 2023
- 鈴木紀慶『倉俣史朗を再読する: 現代インテリアデザインへとつながる思想, 文化, 技術』東京: TOTO出版, 2023年.
Wikipedia
倉俣 史朗(くらまた しろう、1934年11月29日 - 1991年2月1日)は、日本のインテリアデザイナーである。空間デザイン、家具デザインの分野で60年代初めから90年代にかけて世界的に傑出した仕事をしたデザイナー。欧米の追随に陥らず日本的な形態に頼るでもなく日本国固有の文化や美意識を感じる独自のデザインによってフランス文化省芸術文化勲章を受章するなど国際的に評価をうけていた。そのあまりの独創性ゆえ「クラマタ・ショック」という言葉まで生まれた。
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- VIAF ID
- 3484149108408068780003
- ULAN ID
- 500093619
- AOW ID
- _42002115
- NDL ID
- 00037607
- Wikidata ID
- Q2759674
- 2025-03-17