- 作家名
- 久保田成子
- KUBOTA Shigeko (index name)
- Kubota Shigeko (display name)
- 久保田成子 (Japanese display name)
- くぼた しげこ (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1937-08-02
- 生地/結成地
- 新潟県西蒲原郡巻町(現・新潟県新潟市西蒲区)
- 没年月日/解散年月日
- 2015-07-23
- 没地/解散地
- ニューヨーク州ニューヨーク
- 性別
- 女性
- 活動領域
- 映像
- メディアアート
作家解説
1937年、新潟県西蒲原郡巻町(現・新潟市西蒲区)に生まれる。旧制中学校(のちの県立高等学校)の教師の父・隆円[りゅうえん]、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)卒業後、教師をしていた母・文枝[ふみえ]の次女(四姉妹)。母方の久保田家は新潟の小千谷の名家で、とりわけ祖父にあたる南画家の彌太郎[やたろう]に影響を受け、久保田は幼少期から音楽や美術に親しんだ。父の転勤や疎開などの理由により新潟県内各地で過ごすが、父の実家である西勝寺[さいしょうじ]への疎開や自然豊かな環境で育った経験が、自然や死といった作品テーマに影響を与えたと久保田は後年述懐している。美術を志す久保田のために、隆円は校長を務めていた直江津高校に彫刻家の寺島辰治を招聘するなど尽力した。高校2年の秋に二紀展に初出品した油彩《向日葵》(1954年、個人蔵)が入選。
1956年に入学した東京教育大学(現・筑波大学)では彫塑を専攻したが、これは、当時少なかった女性彫刻家になって大成したいという考えによるものであった。高校時代より師事していた新潟出身の彫刻家、高橋清のアトリエに通い、高橋と同じ新制作協会展に、第22回展(1958年)から3回出品している。いずれも頭像で、次第に抽象化が進んだ。学生時代には「全日本学生自治会総連合」(全学連)の安保闘争にも参加した。
1960年の大学卒業後は、東京都品川区立荏原第二中学校で教鞭を執りつつ作品発表を続けた。大学時代からこの時期にかけて久保田に大きな影響を与えたのが、母方の叔母で前衛舞踊家の邦千谷[くに ちや](本名・久保田芳枝)であった。1957年に設立した駒場の「邦千谷舞踊研究所」は、美術・音楽・舞踊などジャンルを超えた若手作家たちの交流の場であり、久保田はそこでより前衛的な表現と出会う。グループ音楽やハイレッド・センターのメンバーらとも邦千谷舞踊研究所を介して出会い、自らもパフォーマンス作品を発表し始める。1963年には第15回読売アンデパンダン展に鉄を溶接した抽象彫刻を出品、また同年に内科画廊にて「1st. LOVE, 2nd. LOVE… 久保田成子彫刻個展」を開催し、空間全体を使った作品を発表した。この時、批評家たちからの手応えを得られなかったことは、渡米への決意に繋がった。1964年5月には「白南準作品発表会」(草月アートセンター)でナムジュン・パイクのパフォーマンスに衝撃を受け、フルクサスへの関心を強くした。同年7月、ジョージ・マチューナスを頼って、塩見允枝子[みえこ](当時は千枝子)と共にニューヨークへ渡った。
渡米直後から、久保田はフルクサスの運営を手伝いながら《フルックス・ナプキン》(1967年頃、ニューヨーク近代美術館他)といったマルチプル作品を制作、また他のフルクサスメンバーのパフォーマンスにも参加した。1965年には、フルクサスが開催するイベント「永続的なフルックス・フェスト」にて、性器に装着した筆で床に描くパフォーマンス《ヴァギナ・ペインティング》を行った。晩年、久保田はこれが自らの発案ではなく、当時恋人であったパイクとマチューナスに依頼されたものだと述べている。ただし、1964年にはピーター・ムーアのスタジオで広報用と思しき写真が撮影されており、そこには刷毛のようなものが付いた下着、それを履いて描く久保田の姿が写っており、少なくとも入念な準備があったことがわかる。
この頃、作曲家のデイヴィッド・バーマンと出会い、バーマンが結成した実験音楽のグループ「ソニック・アーツ・ユニオン」に参加した。後にヴィデオ・アーティストとして活躍するメアリー・ルシエとはここでメンバーとして出会った。1967年にはバーマンと結婚、1967年、1969年にはヨーロッパ・ツアーに参加したが1970年に離婚、カリフォルニア芸術大学でヴィデオ・アートを教え始めたパイクを追ってロサンゼルスへ移り、1971年に共にニューヨークへ戻るまで居住した。パイクとは1977年に結婚、生涯のパートナーとなった。
ロサンゼルスでヴィデオを用いた制作を始めた久保田はSONYのポータブルヴィデオカメラ「ポータパック」を入手、カメラと共にヨーロッパを旅してシングル・チャンネル・ヴィデオ作品《ヨーロッパを一日ハーフ・インチで》(1972年)を完成させる。以後、久保田はシングル・チャンネル・ヴィデオ作品(〈ブロークン・ダイアリー〉シリーズとして後にまとめられる)を継続的に制作・発表する。
1972年、ルシエと共に、異なる人種の4名の女性から成るグループ「ホワイト ブラック レッド イエロー」を結成。第二波フェミニズムに呼応するかたちで、ザ・キッチン(ニューヨーク)にて二度のライヴイベントを行っている。
1968年、久保田はバーマンに帯同してジョン・ケージとマルセル・デュシャンのチェス・コンサート《リユニオン》の写真を公式に撮影。コンサートの記録写真はケージによるアクロスティックと、一部の音源をソノシートに付属し『マルセル・デュシャンとジョン・ケージ』とし、日本国内で私家版として1970年に出版した。その後、デュシャンは久保田にとっての重要な主題となる。1975年以後、ヴィデオと彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」を発表するが、その代表的シリーズ〈デュシャンピアナ〉は、《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》(1975–1976年、富山県美術館他)などデュシャンの作品に直接言及している。とりわけドイツ出身のキュレーター、ルネ・ブロックが当時ニューヨークに開いていたギャラリーでの個展で大きな注目を得た久保田は、アメリカのみならずドイツを中心とした欧州でも、作品発表の機会を大きく広げた。1979年にはドイツ学術交流会(DAAD)の奨学金を得てベルリンに滞在。1978年にはニューヨーク近代美術館の〈Projects〉シリーズで久保田が取り上げられ、出品した《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》は、1981年にヴィデオ・インスタレーションとして初めて同館に収蔵されている。
以後、ドクメンタ6(1977年)、ホイットニー・ビエンナーレ(1983年)、ヴェネチア・ビエンナーレ(1993年)など、国際展も含め世界中で多数の展覧会に参加。ホイットニー・ビエンナーレ出品作《河》(1979–1981年、久保田成子ヴィデオ・アート財団)は雑誌『アート・イン・アメリカ』(1984年2月号)の表紙を飾った。1991年にはニューヨークのアメリカン・ミュージアム・オブ・ムーヴィング・イメージで大規模回顧展を実現、アムステルダム市立美術館(オランダ)など欧州や、原美術館へも巡回した。
1974年から1982年までは、ジョナス・メカスの主宰するアンソロジー・フィルム・アーカイヴズでビデオ・キュレーターとして毎週末の上映プログラムを組み、勃興するニューヨークのヴィデオ・アートシーンをキュレーターとしても支えた。シカゴ美術館附属美術大学などで教鞭も執っている。
1996年にパイクが脳梗塞で倒れて以後、2006年に亡くなるまで献身的に看護し、その中で制作した作品を2000年に「セクシュアル・ヒーリング」(ランス・ファング・ギャラリー、ニューヨーク)と題した個展で発表。2007年にマヤ・ステンダール・ギャラリー(ニューヨーク)で開催した「久保田成子:ナムジュン・パイクとの私の人生」が生前最後の個展となった。
2015年、ニューヨークにて乳がんのため死去。同年、久保田より遺贈を受けたノーマン・バラードがディレクターとなり、「久保田成子ヴィデオ・アート財団」が同地で設立された。財団は、久保田が残した作品や資料群の保存・公開、またヴィデオ・アートの歴史研究や発展・振興への寄与を使命としている。2021年には新潟県立近代美術館を皮切りに、没後初の大型個展「Viva Video! 久保田成子」が国立国際美術館(大阪)、東京都現代美術館を巡回、また同時期にニューヨーク近代美術館でも個展「シゲコ・クボタ リキッド・リアリティ」が開催された。
(橋本 梓)(掲載日:2023-09-11)
- 1963
- 1st. LOVE, 2nd. LOVE… 久保田成子彫刻個展, 内科画廊, 1963年.
- 1975
- Video Poem by Shigeko Kubota, ザ・キッチン, 1975年.
- 1976
- Shigeko Kubota: 3 Video Installations. Duchampiana, ルネ・ブロックギャラリー [René Block Gallery], 1976年.
- 1977
- Meta-Marcel by Shigeko Kubota 3 Video Sculptures: Window, Door, Mountain, ルネ・ブロックギャラリー [René Block Gallery], 1977年.
- 1977
- ドクメンタ6, ドイツ カッセル, 1977年.
- 1978
- Shigeko Kubota 4 Video Sculptures: Duchampiana, ジャパンハウスギャラリー [Japan House Gallery], 1978年.
- 1978
- Projects: Shigeko Kubota, Museum of Modern Art, New York, 1978.
- 1979
- Shigeko Kubota, Taka Iimura, New Video, Whitney Museum of American Art, 1979.
- 1981
- マルセル・デュシャン展 : 反芸術「ダダ」の巨匠 見る人が芸術をつくる, 高輪美術館/ 西武美術館, 1981年.
- 1981
- Shigeko Kubota Video Sculptures, daadgalerie and Museum Folkwang and Kunsthaus Zürich, 1981–1982.
- 1987
- ドクメンタ8, ドイツ カッセル, 1987年.
- 1987
- JAPAN 87 ビデオ・テレビ・フェスティバル, 青山スパイラル, 1987年.
- 1990
- Venice Biennale Ubi Fluxus ibi motus 1990-1962 , ヴェネツィア, 1990年.
- 1992
- クボタ シゲコ ビデオ インスタレーション, 原美術館, 1992年.
- 1994
- 戦後日本の前衛美術, 横浜美術館, グッゲンハイム美術館 ソーホー, サンフランシスコ近代美術館, イェルバ・ブエナ・ガーデンズ視覚美術センター, 1994–1995年.
- 1995
- Collection in Context: Gazing Back, Shigeko Kubota and Mary Lucier, ホイットニー美術館, 1995年.
- 1996
- Shigeko Kubota, ホイットニー美術館, 1996年.
- 2000
- Shigeko Kubota: Sexual Healing, ランス・ファングギャラリー [Lance Fung Gallery], 2000年.
- 2007
- Shigeko Kubota: My Life with Nam June Paik, マヤ・スタンダールギャラリー [Maya Stendhal Gallery], 2007年.
- 2021
- Viva Video! 久保田成子, 新潟県立近代美術館, 国立国際美術館, 東京都現代美術館, 2021年.
- 国立国際美術館, 大阪
- 富山県美術館
- ニューヨーク近代美術館
- カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター(ZKM), ドイツ
- ボノット財団, イタリア
- ホイットニー美術館, ニューヨーク
- ソフィア王妃芸術センター, マドリード
- ポンピドゥー・センター, パリ
- サンフランシスコ近代美術館, カリフォルニア
- 1969
- 久保田成子「創造的媒体としてのTV:ニューヨーク通信」『美術手帖』第317号 (1969年9月): 168-175頁.
- 1974
- 久保田成子「ヴィデオ: 開かれた回路」『芸術倶楽部』第9号 (1974年6月): 173-181頁.
- 1977
- Kubota Shigeko. “Women’s Video in the U.S. and Japan” in The New Television: A Public/Private Art. Douglas Davis, Allison Simmons (eds.), 96-101. Cambridge, Massachusetts: MIT Press, 1977.
- 1986
- 島敦彦「久保田成子の『メタ・マルセル:窓』をめぐって」『収蔵作品についての報告』富山: 富山県立近代美術館, 1986年, 42-45頁.
- 1991
- Jacob, Mary Jane (ed.). Shigeko Kubota: Video Sculpture. New York: American Museum of Moving Image, 1991.
- 1992
- 原美術館編『クボタシゲコ: ビデオインスタレーション』東京: アルカンシェール美術財団, 1992年 (会場: 原美術館) [展覧会カタログ].
- 1994
- Oliva, Achille Bonito. Shigeko Kubota: Video as a form of Spiritual Collision with the World. [exh.cat.], Milan: Fundazione Mudima, 1994 (Venue: Fundazione Mudima).
- 2005
- 小勝禮子, 由本みどり編『前衛の女性, 1950-1975』宇都宮: 栃木県立美術館, 2005年 (会場: 栃木県立美術館) [展覧会カタログ].
- 2005
- Yoshimoto Midori. Into performance: Japanese Women Artists in New York. 1-10, 169-200, New Brunswick, N.J.: Rutgers University Press, 2005.
- 2012
- 久保田成子インタヴューイ, 手塚美和子インタヴューア「久保田成子インタヴュー 2009年10月11 日」日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ, https://oralarthistory.org/archives/kubota_shigeko/interview_01.php, 金岡直子(書き起こし) , 更新日2018年6月7日.
- 2012
- 濱田真由美「ヴィデオ・アーティスト久保田成子についての調査ノート」『新潟県立近代美術館研究紀要』第11号 (2012年3月): 17-23頁.
- 2013
- 久保田成子, 南禎鎬『私の愛, ナムジュン・パイク』高晟埈訳. 東京: 平凡社, 2013年.
- 2014
- 濱田真由美「ヴィデオ・アーティスト 久保田成子の初期制作について: フルクサスおよびナムジュン・パイクとの関係を中心に」『鹿島美術財団年報』31号 (2014年11月): 555-564頁.
- 2018
- Huldisch, Henriette. Before Projection: Video Sculpture 1974-1995. Cambridge, Massachusetts: MIT List Visual Arts and Center, 2018.
- 2019
- 濱田真由美「久保田成子ヴィデオ・アート財団における作品調査」『新潟県立近代美術館研究紀要』第17号 (2019年3月): 52-58頁.
- 2019
- 東京文化財研究所「久保田成子」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809101.html
- 2021
- 濱田真由美, 橋本梓, 西川美穂子, 由本みどり, 吉住唯編『Viva Video! 久保田成子』東京: 河出書房新社, 2021年 (会場: 新潟県立近代美術館, 国立国際美術館, 東京都現代美術館) [展覧会カタログ].
- 2021
- Sutton, Gloria, and Erica Papernik-Shimizu. Kubota Shigeko: Liquid Reality. [Exh. cat.]. New York: Museum of Modern Art, 2021 (Venue: The Museum of Modern Art, New York).
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「久保田成子」『日本美術年鑑』平成28年版(545-546頁)美術家・映像作家の久保田成子は7月23日午後8時50分、癌のためニューヨークで死去した。享年77。 1937(昭和12)年8月2日、高校教師の父・隆円と、東京音楽学校(現、東京藝術大学音楽学部)でピアノを専攻した母・文枝の次女として、新潟県西蒲原郡巻町(現、新潟市西蒲区)に生まれる。母方久保田家の曾祖父・十代右作は貴族院議員となり、地元小千谷の発展に尽力した。母方の祖父・久保田彌太郎は水墨画家(雅...
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久保田 成子(くぼた しげこ、1937年8月2日 - 2015年7月23日)は、日本の美術家・映像作家である。新潟県出身。ナム・ジュン・パイクの妻。
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- 2024-03-01