- 作家名
- 国吉康雄
- KUNIYOSHI Yasuo (index name)
- Kuniyoshi Yasuo (display name)
- 国吉康雄 (Japanese display name)
- くによし やすお (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1889-09-01
- 生地/結成地
- 岡山県岡山市
- 没年月日/解散年月日
- 1953-05-14
- 没地/解散地
- ニューヨーク市
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
作家解説
国吉康雄は、1889(明治22)年9月1日、父・宇吉と母・以登の一人息子として現在の岡山市北区出石町に生まれた。同市の尋常小学校と高等小学校を卒業後、15歳で岡山県立工業学校(現・岡山県立岡山工業高等学校)染織科に入学したが、1906年に中退して同年夏に単身渡米した。のちに20世紀前半のアメリカを代表する画家となる国吉だが、そもそもはアメリカ生活を夢みて、英語を習得することを目的とした渡航であった。
カナダのバンクーバーと米国ワシントン州シアトルを経て1907年春にロサンゼルスに移り、様々な仕事に就いて収入を得ながら、英語習得のためパブリック・スクールに通った。国吉は言葉が通じないため絵を描いてコミュニケーションを取っていたことから、それが1人の教師の目に留まり、絵の才能を見出されて画家になることを勧められた。そうして国吉は教師の助言に従ってロサンゼルスの美術学校に通いはじめ、昼に働き夜に絵を学ぶという生活を3年間続けた。
本格的に画家を志して1910年秋にニューヨークへ移った国吉は、同じ岡山出身で父の知り合いだった装飾美術家の河邊正夫(1874–1918)のもとに寄宿し、スタジオを手伝いながら絵を学んだ。1914年からインディペンデント・スクール・オブ・アーツに2年間通い、1916年には国吉にとって最重要な美術学校となるアート・スチューデンツ・リーグに入学して4年間学んだ。ここで国吉は優れた教師ケネス・ヘイズ・ミラー(1876–1952)の指導を受けて才能を伸ばし、のちにホイットニー美術館長となるロイド・グッドリッチ(1897–1987)や妻となるキャサリン・シュミット(1899–1978)らの学友とも出会った。同校在学中、ニューヨークにおける前衛的な若手芸術家集団であるペンギン・クラブに加わると、第一次世界大戦の戦禍を避けてパリからアメリカに来ていたジュール・パスキン(1885–1930)と知り合い、親しく交流するようになった。この頃の作品は、《ピクニック》(1919年、福武コレクション、岡山)に代表されるように、タッチやストロークが画面に残る明るい色彩のもので、当時ヨーロッパから紹介されていた印象派やポスト印象派の影響がみられる。
1919年にキャサリン・シュミットと結婚した国吉は、コレクターで批評家、美術家でもあったハミルトン・イースター・フィールド(1873–1922)の援助を受け、冬はブルックリンのアパート、夏はメイン州オガンキットのアトリエを与えられ、制作に集中できる環境が整えられた。1922年にはニューヨークのダニエル画廊で初の個展を開催し、好意的な批評を得て成功を収めた。《乳しぼり》(1921年、和歌山県立近代美術館)や《カーテンを引く子供》(1923年頃、岡山県立美術館)、《二人の赤ん坊》(1923年、福武コレクション)といった1920年代の国吉の初期作品は、アメリカのフォーク・アート(民衆芸術)の影響がみられ、牛や子どもをモティーフにしたユニークな造形のものや、鳥瞰図的な空間処理を行なった幻想的なものが多い。
独特ながら不自然さがつきまとう初期の素朴派的な作風から1930年代のリアリズムへの移行は、1925年と1928年の2度のヨーロッパ旅行が契機となった。国吉に渡欧を勧めたのは、第一次大戦後にパリへと戻っていた友人のパスキンで、滞欧中、彼の助言を受けて国吉は、サーカスを主題とすること、また、ほとんど想像と過去の記憶に基づいて描くそれまでのやり方から、対象を前にして直接リアルなものを描く制作方法を実践するようになったのである。とりわけ女性像は、パスキンのそれに通じる、官能性を秘めた物憂げで気怠そうなものが多くなり、その後、1930年代になると国吉の理想とする「ユニバーサル・ウーマン(普遍的なる女性像)」へと向かっていった。
2度目の滞欧を終えてアメリカへ帰国すると、1929年にニューヨーク近代美術館で開催された「19人の現存アメリカ作家展」に選ばれ、その後、アメリカ画壇で確固たる地位を確立して活躍していくことになる。ちょうどこの年に大恐慌がはじまり、アメリカの社会状況は深刻化し、不穏な空気がアメリカ社会全体を覆うようになっていく。そうした時代性を反映した表現は、《もの思う女》(1935年、福武コレクション)や《バンダナをつけた女》(1936年、福武コレクション)といった物憂げな女性像をはじめ、《ソファーの上の風見など》(1933年、サンタ・バーバラ美術館、カリフォルニア)のような静物画や、《荒天》(1936年、愛知県美術館)のような暗雲立ち込める景色を描いた風景画など1930年代の国吉の絵画に認められる。この間、1931年には父の病気の見舞いのために25年ぶりの日本帰国を果たし、東京と大阪で個展を開催した。翌1932年2月にアメリカへ戻る船上で父の訃報に接し、同年キャサリンと離婚したが、1935年にサラ・メゾ(1910–2006年)と再婚した。1933年には母校のアート・スチューデンツ・リーグの教授職に就き、1936年からはニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチでも教鞭をとるようになり、亡くなるまで後進の育成に尽力した。
日本の軍国主義化が進むにつれて日米関係はどんどん悪化し、1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、国吉は「敵性外国人」の立場となってしまう。アメリカ市民権を得てはいなかったが、日本人としてアメリカ美術界で地位を確立していた国吉は、アメリカの自由と民主主義の理念を信じ、反戦ポスターを作るなどして日本の軍国主義を批判した。しかし、日米間の対立と戦争に深く心を痛め、その心中の苦悩や孤独感は、作品に暗い影を落とすことになった。1930年代の憂いを帯びた女性像の延長線上にある《誰かが私のポスターを破った》(1943年、個人蔵)や《夜明けが来る》(1944年、岡山県立美術館)、意味深なオブジェが不安定なバランスで組み合わされた《逆さのテーブルとマスク》(1940年、福武コレクション)や《飛び上がろうとする頭のない馬》(1945年、大原美術館、岡山)、《祭りは終わった》(1947年、岡山県立美術館)といった、戦争の暗鬱で不穏な空気が漂う、メッセージ性の強い作品が制作された。
戦後になると1948年にホイットニー美術館(ニューヨーク)において現存画家として初の回顧展が開催され、アメリカ画壇における最大の栄誉を得ることになった。そしてその頃から国吉の作風は結果的に最後の変化を遂げることになる。それまでの作品に特徴的だった「クニヨシ・ブラウン」と呼ばれた独自の茶系の色彩から基調色が鮮やかな薄塗りの朱色や青色に変化し、フレスコ壁画のような絵肌が生まれた。《ミスターエース》(1952年、福武コレクション)に代表されるように、マスクや仮装の不気味な表情の人物が頻繁に登場し、再びサーカスのモティーフが描かれるようになった。そうした最晩年の作品は、鮮やかな色彩と道化やサーカスといった楽し気な主題ではあるものの、画面には深刻な憂鬱さが漂っている。
日米間で自らのアイデンティティを問い続けた国吉は、望んでいた祖国日本での回顧展を実現することなく、また、もうひとつの積年の念願だったアメリカ市民権取得の手続きの完了を目前にして、1953年5月14日に胃癌のために亡くなった。没後まもなくニューヨーク近代美術館で追悼展が開かれ、翌年には東京の国立近代美術館で遺作展が開催され、大阪、名古屋と巡回した。
(橋村 直樹)(掲載日:2023-09-27)
- 1931
- 母国訪問記念 ヤスオ国吉氏洋画展覧会, 東京日本橋三越, 大阪白木屋, 1931年.
- 1948
- Yasuo Kuniyoshi: Retrospective Exhibition, Whitney Museum of American Art, New York, 1948.
- 1953
- Yasuo Kuniyoshi and Niles Spencer Memorial Exhibition, The Museum of Modern Art, New York, 1953.
- 1954
- 国吉康雄遺作展, 国立近代美術館, 大阪市立美術館, 1954年.
- 1971
- 第2回郷土作家展: 国吉康雄・坂田一男, 岡山県総合文化センター, 1971年.
- 1975
- 国吉康雄展, ブリヂストン美術館, 愛知県美術館, 兵庫県立近代美術館, 1975年.
- 1987
- 国吉康雄: 特別展: 福武コレクション, 渋谷区立松濤美術館, 1987年.
- 1989
- 国吉康雄展: ニューヨークの憂愁: 生誕100年記念, 東京都庭園美術館, 岡山県立美術館, 京都国立近代美術館, 1989–90年.
- 1996
- The Shores of a Dream, Yasuo Kuniyoshi's Early Work in America, Amon Carter Museum of American Art, Fort Worth and Portland Museum of Art, Portland, 1996–1997.
- 2004
- 国吉康雄展: アメリカと日本、ふたつの世界のあいだで, 東京国立近代美術館, 富山県立近代美術館, 愛知県美術館, 2004年.
- 2006
- 国吉康雄展, 岡山県立美術館, 2006年.
- 2008
- 国吉康雄 (1889–1953) 展: アメリカンドリームの光と影: 福武コレクションによる絵画・版画・素描・写真, 群馬県立館林美術館, 2008年.
- 2011
- 国吉康雄: 福武コレクション, 岡山県立美術館, 2011年.
- 2012
- 国吉康雄: 福武コレクション, ふくやま美術館, 2012年.
- 2012
- 国吉康雄展: アメリカ美術を変えた、日本人。, 横須賀美術館, 2012年.
- 2015
- The Artistic Journey of Yasuo Kuniyoshi, Smithsonian American Art Museum, Washington, D.C., 2015.
- 2016
- 国吉康雄: 日本とアメリカ: 岡山のコレクションから, 岡山県立美術館, 2016年.
- 2017
- アメリカへ渡った二人: 国吉康雄と石垣栄太郎, 和歌山県立美術館, 2017年.
- 2018
- 国吉康雄と清水登之: ふたつの道, 栃木県立美術館, 2018年.
- 2019
- 福武コレクション 西へ東へ。藤田嗣治と国吉康雄, 熊本県立美術館, 2019年.
- 石橋財団アーティゾン美術館, 東京
- 愛知県美術館
- 大原美術館, 岡山県倉敷市
- 岡山県立美術館
- 京都国立近代美術館
- 国立国際美術館, 大阪
- 東京国立近代美術館
- 目黒区美術館
- メナード美術館, 愛知県小牧市
- 和歌山県立近代美術館
- 1948
- Yasuo Kuniyoshi: Retrospective Exhibition, March 27 to May 9, 1948. [exh. cat.]. New York: Whitney Museum of American Art, 1948 (Venue: Whitney Museum of American Art).
- 1953
- 今泉篤男「国吉康雄逝く」『美術手帖』第71号 (1953年7月): 3頁.
- 1953
- 仲田好江「国吉康雄のこと」『美術手帖』第71号 (1953年7月): 4-7頁.
- 1971
- 「特別記事 国吉康雄」『美術手帖』第343号 (1971年6月): 178-191頁.
- 1974
- 小沢善雄『国吉康雄: 評伝』東京: 新潮社, 1974年.
- 1975
- 「国吉康雄: 郷愁のエトランジェ 特集」『美術手帖』第399号 (1975年10月): 5-81頁.
- 1976
- 村木明「国吉康雄の生涯と芸術」村木明, 匠秀夫解説『国吉康雄・三岸好太郎 現代日本の美術: 第8巻』座右宝刊行会編. 東京: 集英社, 1976年, 77-84頁.
- 1989
- 瀬木慎一「国吉康雄の孤愁と成熟 アメリカ派の位置付け」『異貌の美術史: 日本近代の作家たち』東京: 青土社, 1989年, 175-188頁.
- 1989
- 京都国立近代美術館編『ニューヨークの憂愁: 国吉康雄展』東京: 日本テレビ放送網, 1989年 (会場: 東京都庭園美術館, 岡山県立美術館, 京都国立近代美術館).
- 1991
- Davis, Richard A.. Yasuo Kuniyoshi: The Complete Graphic Work. San Francisco: Alan Wofsy Fine Arts, 1991 [Catalogue Raisonné].
- 1991
- 福武書店編『Yasuo Kuniyoshi: ネオ・アメリカン・アーティストの軌跡』岡山: 福武書店, 1991年.
- 1992
- 妹尾克己「国吉康雄の『祭りは終わった』(1939-47年)について」『美術史の六つの断面 高階秀爾先生に捧げる美術史論集』高階秀爾先生還暦記念論文集編集委員会編. 東京: 美術出版社, 1992年, 504-518頁.
- 2004
- 蔵屋美香, 尾崎正明編『国吉康雄展: アメリカと日本, ふたつの世界のあいだで』小川紀久子, 勝矢桂子訳. [東京]: 東京国立近代美術館, 2004年 (会場: 東京国立近代美術館, 富山県立近代美術館, 愛知県美術館).
- 2004
- 「特集: 国吉康雄――ふたつの世界の間で」『現代の眼』第544号 (2004年2月): 2-6頁.
- 2004
- 山口泰二『アメリカ美術と国吉康雄: 開拓者の軌跡 NHKブックス』東京: 日本放送出版協会, 2004年.
- 2005
- 小沢善雄「人と作品 国吉康雄: 見えない壁」『紫明: 芸術文化雑誌』第17号 (2005年10月): 42-49頁.
- 2006
- 守安收, 中村麻里子, 妹尾克己, 廣瀬就久編『国吉康雄展』岡山: 岡山県立美術館, 2006年 (会場: 岡山県立美術館).
- 2011
- Wang, ShiPu. Becoming American?: The Art and Identity Crisis of Yasuo Kuniyoshi. Honolulu: University of Hawai'i, 2011.
- 2013
- 岡山県立美術館編『みることからはじめる国吉康雄: 「鯉のぼり」「ここは私の遊び場」: みる知る調べる広がる』岡山: 岡山県立美術館, 2013年.
- 2015
- Wolf, Tom. The Artistic Journey of Yasuo Kuniyoshi. [exh. cat.]. Washington, DC: Smithsonian American Art Museum, 2015 (Venue: Smithsonian American Art Museum).
- 2019
- 東京文化財研究所「国吉康雄」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8895.html
- 2020
- 廣瀬就久「国吉康雄:一九四〇年代の女性像と晩年における仮面の人物像」『日本美術のつくられ方:佐藤康宏先生の退職によせて』板倉聖哲・高岸輝編. 東京: 羽鳥書店, 2020年, 701-720頁.
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「国吉康雄」『日本美術年鑑』昭和29年版(157-159頁)米国に於いて国際的作家としての地位を築いた日本人画家国吉康雄は、5月14日ニューヨーク・グリニッチヴィレッジの自宅で、胃潰瘍のため死去した。享年63才。1889年(明治22年)岡山市の商家に生れ、小学校卒業後工業学校で染色を学んだが中退して、1906年17才の時英語習得の目的でアメリカに渡つた。 憧れの新天地も少年の夢からは遙かに遠く、鉄道掃除夫、ボーイ、運搬夫等の仕事に従い乍ら、英語を学んでいた...
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国吉 康雄(くによし やすお、1889年9月1日 - 1953年5月14日)は、日本の洋画家。岡山県岡山市中出石町(現・岡山市北区出石町一丁目)出身。20世紀前半にアメリカ合衆国を拠点に活動した。
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- 2023-10-02