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加山又造

| 1927-09-24 | 2004-04-06

KAYAMA Matazō

| 1927-09-24 | 2004-04-06

作家名
  • 加山又造
  • KAYAMA Matazō (index name)
  • Kayama Matazō (display name)
  • 加山又造 (Japanese display name)
  • かやま またぞう (transliterated hiragana)
生年月日/結成年月日
1927-09-24
生地/結成地
京都府京都市上京区相国寺東門前町
没年月日/解散年月日
2004-04-06
没地/解散地
東京都
性別
男性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1927年、京都に生まれる。父は西陣織の衣装図案を生業とし、とくに豪華な帯の意匠で名高い図案家であった。加山は幼少時より工房の空気を吸い、父が仕事で集めた図案集や画集を飽きることなく眺めていたという。1940年に京都市立美術工芸学校絵画科に入学、修了すると東京美術学校(現・東京藝術大学、以下美校)の日本画科に進学したが、戦時下の学徒動員で勉強どころではなかった。戦後、1946年1月に父を病気で亡くした後に復学した加山は、学費と実家への仕送りのためにポスター制作など20種類以上のアルバイトを経験した。1949年に美校を卒業し山本丘人に師事。山本丘人[きゅうじん]は1948年1月に「世界性に立脚する日本絵画の創造」を目標に掲げて創立された創造美術(現在の創画会の前身)の創立会員のひとりであったため、加山はその研究会に参加するようになった。1950年、《自画像》(個人蔵)、《動物園》(東京国立近代美術館)が春季創造美術展で研究会賞を受賞し、これが画壇へのデビューとなった。 創造美術は1951年に新制作派協会に合流し、新制作協会日本画部となる。加山はその展覧会を舞台に、動物をモチーフとした一連の作品を発表した。1950年、米国の雑誌『ライフ』に掲載されたラスコーの洞窟壁画に触発された《原始時代》(1951年、東京藝術大学)が新作家賞を受賞し会友に挙げられ、次いで1953年から1955年まで連続して新作家賞を受賞し、1956年に会員となる。これらの動物画のうち、《月と縞馬》(1954年、個人蔵)ではキュビスムによる形態の分解や、未来派の時間表現を取り込み、複数のイメージを重ねる手法によって、水を飲む縞馬の動きを幻想的に表現した。また、《悲しき鹿》(1954年、東京国立近代美術館)では、縞状の色面で背景を満たし、平面性と装飾性を際立たせた。これらの試みにより、加山は革新的な傾向を担う日本画家として大きな注目を浴びることとなった。 《悲しき鹿》に早くも示されているのは、すべてを模様と化すような様式性と余白のない平面性である。1958年には切金の技術保持者であった縣治朗について切金技術の習得に努め、その後は動物画を離れて、室町絵画や琳派等の古画に倣い、型紙や切金等の工芸的技法を用いた装飾的屏風絵に取り組んだ。大阪の金剛寺が所蔵する《日月四季山水図屏風》に想を得た《春秋波濤》(1966年、東京国立近代美術館)や《雪月花》(1967年、個人蔵)、琳派を念頭においた《天の川》(1968年、個人蔵)、《千羽鶴》(1970年、東京国立近代美術館)等がその代表的な作品である。これらはモデルとなった古画に比べ様式化と平面化が徹底され、その分、情緒を排したのびやかな爽快感がもたらされている。そこに現代人としての加山の特性を認めることができる。1973年、屏風の制作に多様な展開を示したことで第5回日本芸術大賞を受賞。1978年には東京国立近代美術館の吹き抜けを飾る《雪・月・花》(東京国立近代美術館)を完成させた。「現代の琳派」という評価はこの頃に定着し、幅広い人気を獲得した。 一方、1972年からは裸婦の連作を発表し、日本絵画における線の問題に取り組んだ。また、1978年に開催された個展に多数の水墨画を発表してからは、かねてより試みてきた水墨表現に本格的に取り組んでゆくこととなった。美しい墨色を出すために明墨を用い、古来のたらしこみ技法に加え、エアブラシ、噴霧器等の新しい機材を用いた水墨画の代表的作品が1979年の《月光波濤》(個人蔵)であり、この作品により1980年に芸術選奨文部大臣賞を授与された。また、1975年に初めて中国の地を踏んでからは幾度となく中国を訪れ、1982年には憧れていた黄山にも足を延ばし、1992年には日本中国文化交流協会の常任理事に就任した。台北の故宮博物院にも通い、水墨画の名品と水墨画を生んだ土地の両方を研究した末に、晩年の15年ほどは中国の北宋水墨山水画に倣い、《倣北宋水墨山水雪景》(1989年、多摩美術大学美術館)や、《倣北宋深山凍林》(1998年、東京藝術大学)といった作品を次々と発表した。 装飾的屏風絵を手掛けていた1960年代以降、加山は絵画制作の他にさまざまな装飾の仕事に意欲的に取り組んだ。その対象は、陶器の絵付け、洋食器のデザイン、着物、扇、団扇の絵付け、ジュエリーのデザインから劇場等の緞帳原画、陶板壁画、日本航空のボーイング747LR型機の壁面装飾(1968年)、祇園祭の山鉾を飾る綴織原画(1988年)、BMWのアートカー(1990年)等にまで広がりを見せた。装飾的屏風絵で展開した方法論を応用した装飾の仕事は、加山の創作活動のなかで次第に大きな位置を占めるようになり、1978年の個展で初めて一部を発表して以降は、回顧展に出品する他、絵付け陶器のみを紹介する展覧会や陶芸家との合作展も数度に及んだ。こうしたジャンル横断的な創作に関する加山の考えは、「私が思う『日本画家』」(『芸術新潮』338号、1978年2月)他の自筆文献にうかがうことができる。 1966から1973年、および1977から1988年にかけて多摩美術大学教授を務め、1988年から1995年にかけて東京藝術大学教授を務めた。1997年、文化功労者となる。1990年代以降は国内外で開催される回顧展に尽力する一方、1998年頃からはコンピューターを用いての絵画制作を試みるなど、常に新しい分野への挑戦を続けた。2003年、文化勲章を受章。翌年4月6日に肺炎により76歳で永眠した。 なお、《千羽鶴》等、加山の手もとに残されていた作品の多くは2004年に東京国立近代美術館に寄贈された。また、2005年には多摩美術大学に加山又造研究会が設立され、遺族より寄贈された作品や資料をもとに研究が進められている。 (鶴見 香織)(掲載日:2023-09-11)

1957
加山又造展, 東京画廊, 1957年.
1978
加山又造展, 東京・日本橋高島屋, 横浜高島屋, 大阪・なんば高島屋, 京都・四条高島屋, 名古屋・丸栄, 1978年.
1984
加山又造展, いわき近代美術館 , 1984年.
1986
戦後日本画の一断面: 模索と葛藤, 山口県立美術館, 1986年.
1988
加山又造展: 画業40年記念・華麗なる美の世界, 天満屋広島店, 天満屋岡山店, 1988年.
1992
加山又造展, 松坂屋美術館, 1992年.
1994
加山又造屏風絵展, 東京・大丸ミュージアム, 福岡・天神・大丸, 大阪・心斎橋・大丸, 京都・大丸ミュージアム, 1994年.
1995
加山又造展, 富山県立近代美術館, 1995年.
1996
Kayama Matazō: New Triumphs for Old Traditions, 大英博物館, 1996年.
1997
横山操・加山又造展, 新潟県立近代美術館, 1997年.
1998
加山又造展, 東京国立近代美術館, 北海道立近代美術館, 1998年.
2004
琳派: Rimpa, 東京国立近代美術館, 2004年.
2005
加山又造: アトリエの記憶, 多摩美術大学美術館, 2005年.
2006
加山又造展, 大丸ミュージアムKobe, 松坂屋美術館, 水野美術館, 富山県水墨美術館, 2006年.
2007
加山又造: アトリエの記憶 Ⅱ, 多摩美術大学美術館, 2007年.
2007
加山又造展, 茨城県近代美術館, 2007年.
2008
加山又造: アトリエの記憶 Ⅲ, 多摩美術大学美術館, 2008年.
2009
加山又造展, 国立新美術館, 高松市美術館, 2009年.
2015
光琳art: 光琳と現代美術, MOA美術館, 2015年.
2015
琳派イメージ展: 琳派400年記念, 京都国立近代美術館, 2015年.

  • 東京国立近代美術館
  • 多摩美術大学美術館, 東京
  • 駒形十吉記念美術館, 新潟県長岡市
  • 富山県水墨美術館
  • 光ミュージアム, 岐阜県高山市

1973
土方定一「加山又造論: 計算された造型の知性のうえに」『芸術新潮』第24巻第7号 (1973年7月): 10-15頁 (再録: 『近代日本の画家論 III 土方定一著作集: 8』東京: 平凡社, 1977年, 275-286頁).
1975
座右宝刊行会編『加山又造自選画集』東京: 集英社, 1975年.
1979
『加山又造: 装飾の世界』京都: 京都書院, 1979年.
1980
加山又造, 瀧悌三『加山又造 現代日本画全集: 第17巻』東京: 集英社, 1980年.
1983
佐々木直比古解説『加山又造・横山操 現代の水墨画: 8』東京: 講談社, 1983年.
1985
田中穣『天才奇人 現代画人伝: 3』 東京: 読売新聞社, 1985年, 85-116頁.
1989
河北倫明監修『加山又造全集』全5巻, 東京: 学習研究社, 1989-1990年 [自筆文献].
1991
岩崎吉一責任編集『加山又造 現代の日本画: 11』東京: 学習研究社, 1991年.
1992
加山又造『白い画布: 私の履歴書』東京: 日本経済新聞社, 1992年 [自筆文献].
1994
『加山又造屏風絵集成』東京: 小学館, 1994年.
1994
加山又造『無限の空間』東京: 小学館, 1994年 [自筆文献].
2008
『加山又造美いのり Art & words』東京: 二玄社, 2008年.
2019
東京文化財研究所「加山又造」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28294.html
2021
『加山又造全版画集』東京: 阿部出版, 2021年.

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

日本画家の加山又造は4月6日午後10時25分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年76。1927(昭和2)年9月24日、京都市上京区相国寺東門前町に、西陣織の衣装図案家の父加山勝也、母千恵の長男として生まれる。祖父は京狩野派の画師。44年京都市立美術工芸学校絵画科を修了後、東京美術学校日本画科に入学。45年学徒動員で学業を中断するが、翌年再開し、49年同校を卒業、山本丘人に師事する。丘人らが結...

「加山又造」『日本美術年鑑』平成17年版(346-347頁)

Wikipedia

加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。

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VIAF ID
91506568
ULAN ID
500320433
AOW ID
_00056883
Grove Art Online ID
T046091
NDL ID
00029989
Wikidata ID
Q3194396
  • 2023-09-26