鏑木清方

1878年、東京神田区佐久間町に生まれる。本名は健一。父の條野採菊は、幕末から戯作者として活動したほか、『東京日日新聞』の創刊にたずさわった後に『やまと新聞』を主宰した新聞人としての顔をもつ。幼少より芝居や草双紙を好んだ清方は、採菊と落語家・三遊亭圓朝の勧めにより挿絵画家を志して1891年に水野年方に入門。1893年に「清方」の雅号を授けられ初めてのコマ絵を『やまと新聞』に描く。翌年に同紙の挿絵の仕事を年方から引き継ぎ、挿絵画家としての活動を始めた。その一方で、書画研究会に参加し山中古洞らを知り、肉筆画の手ほどきも受けた。また、『やまと新聞』の経営悪化による生活上の苦難の頃に、樋口一葉と泉鏡花の著作に出会い深い感銘を受ける。この一葉、鏡花文学への傾倒が、後に文芸色豊かな清方芸術の根幹となり醸成されていく。特に泉鏡花とは後に深い親交を結び、「鏡花作・清方えがく」と称された小説家と挿絵画家の名コンビぶりで知られた。1897年より地方紙の挿絵や雑誌の口絵を手がけ、1900年には雑誌『歌舞伎』、『新小説』、1903年からは『文芸倶楽部』にも描き、挿絵画家として確かな人気を得ていった。 挿絵画家の活動の傍らで、1901年に山中古洞らとともに浮世絵色の強い烏合会を結成。1902年には初期の名作《一葉女史の墓》（鎌倉市鏑木清方記念美術館、神奈川）を烏合会第5回展に出品した。この作品は、樋口一葉の墓に、小説「たけくらべ」（『文学界』1895年1〜3、8、11、12月、1896年1月）の主人公の美登利がもたれて想いにふけるという構図で、現実と空想が交差した本作を、清方は後年に自身の芸術の源流と位置付けた。挿絵業の傍ら、烏合会で肉筆画の研鑽を積んでいた清方であったが、1907年の文部省美術展覧会（文展）開設を機に、日本画家へ転向する意思を固めた。第1回文展に向けて敬愛する江戸戯作者の姿を描いた《曲亭馬琴》（1907年、鎌倉市鏑木清方記念美術館）は、細緻を極めた表現であったが落選。しかし1909年に、文化文政期（1804–30年）の風俗に取材した《鏡》（所在不明）で初入選を果たし、1910年の第4回文展に、女役者たちの舞台裏を描いた《女歌舞伎》（焼失）で三等賞首席を受賞した。その後も近世風俗画や浮世絵の研究を結実させた綿密な群像表現が高く評価され、1914年の《墨田川舟遊》（東京国立近代美術館）が二等賞を受賞し文部省買上げとなったことで、挿絵業から離れ日本画家として立つ自信を得た。 官展での作風の変化の始まりは、1915年の第9回文展で二等賞首席、実質上の最高賞を受賞した《霽れゆく村雨》（焼失）に見られる。それまで人物を中心に描いていた清方は、本作品で背景となる自然の風景を主題にした。その試みは1917年の《黒髪》（第11回文展特選、個人蔵）にも続く。また翌年に描いた人物画《ためさるゝ日》（第12回文展推薦、個人蔵）では、人物の内面を描出することに主眼を置くなど、1920年代半ばまで、風景と人物の表現について作域の模索を試みたようである。後年に清方は自身の芸術を「主情派」と名付けたが、すでにこの時期には主情的な気分が画面に充溢しており、ゆるぎない創作の芯を踏まえたうえの表現の試みであったことがうかがえる。風景画の制作は、1916年に吉川霊華らと結成した金鈴社で多く発表しており、清方にとり重要な研究の場であったようだ。5年以上に及ぶ清方の模索は、1925年に描いた《朝涼》（第6回帝展［帝国美術院美術展覧会］、鎌倉市鏑木清方記念美術館）によりひとつの決着をみる。本作は私的な生活の中から着想を得た作品で、モデルとなった長女と自然の風景を写実的に描き、女性と自然の美の合一を図ったものであった。 1927年に生まれた清方の代表作《築地明石町》（第8回帝展、東京国立近代美術館）は、《朝涼》の発展型として位置付けうる作品である。1923年に起きた関東大震災の後から、清方は過ぎ去った明治の面影を追懐する作品を手がけ始め、明治半ばに流行した装いに身を包む女性像を主題に《築地明石町》を制作した。風景は淡い線描と彩色に留まり、写実性を追い求めすぎずに表した女性は、実在のモデルと幸田露伴の小説『天うつ浪』（春陽堂、1906–1907年）の登場人物の印象を組み合わせた人物像である。その女性は、明治時代に外国人居留地として栄えた明石町に佇み、江戸時代より漁師町として栄えた対岸の佃島に停泊する帆前船を振り返る。時代性を抒情的に表した《築地明石町》はその年の帝国美術院賞を受賞し、大きな話題となった。 その後の清方は、肖像画にも画域を広げていく。1930年の《三遊亭圓朝像》（第11回帝展、東京国立近代美術館）は、青少年期に接した名落語家の佇まいを、人物の内面に迫るかのように表した。肖像画の追究は、《妓女像》（1934年、第15回帝展、焼失）や樋口一葉の姿を描いた《一葉》（1940年、紀元二千六百年奉祝美術展覧会、東京藝術大学）、戦後は最後の官展出品作《先師の面影》（1949年、第5回日展、鎌倉市鏑木清方記念美術館）や《女役者粂八》（1954年、鎌倉市鏑木清方記念美術館）に続く。 清方芸術には二筋あるといわれる。ひとつがこのような官展での歩みであり、もう一方に彼が提唱した卓上芸術がある。卓上芸術は、1910年代後半の模索の時期に立ち上がってきた概念で、大画面の芸術に対する、小画面の芸術を示す。卓上芸術の真髄は、鑑賞者が作品を手に取り、細やかな筆遣いや色遣いを味わうことのできる点にあり、画巻や折帖、色紙などの小さな画面に描かれた作品から、小説の挿絵や画集などの印刷物まで含まれ、その範囲は広い。清方の卓上芸術作品は、1921年金鈴社第6回展に出品した《雨月物語》（霊友会、東京）にその始まりをみることができる。1927年には泉鏡花の小説を絵画化した《註文帖》（鎌倉市鏑木清方記念美術館）、1934年に樋口一葉の小説をもとに《にごりえ》（鎌倉市鏑木清方記念美術館）を連作として描いた。幼き日を過ごした東京下町の暮らしを追懐した折帖《築地川》（1941年、上原美術館、静岡）もある。戦前のこのような卓上芸術作品は、金鈴社や清方の弟子たちによる郷土会展、市井展など小規模の展覧会で発表されていたが、戦後に描いた、明治半ばの市井生活に取材した画巻《朝夕安居》（1948年、鎌倉市鏑木清方記念美術館）は、大画面が並ぶような展覧会芸術の場である日本美術展覧会（日展）に出品された。そんなところに卓上芸術に対する清方の確固たる思いをみることができる。 その他にも、生涯にわたり日常的に好んだ芝居や文学作品に取材した作品も多く、清方芸術の大きな特徴を示す。また演劇の舞台装置や衣裳デザインなどの仕事、挿絵や装幀、図案、劇評や随筆の執筆も手がけ、清方の活動は画業にとどまることなく実に幅広いことでも知られる。特に自伝的随筆『こしかたの記』（中央公論美術出版、1961年）と『續こしかたの記』（中央公論美術出版、1967年）は、明治から昭和の世相や画壇の様相が綴られ、文化史的な価値が高い文献として現代まで広く読まれている。 清方は1971年まで絵筆をとり続け、1972年に93歳で老衰により没した。その後、女婿の山田肇により編纂された随筆集『鏑木清方文集』全8巻（白凰社、1979–1980年）は、清方研究の基礎文献となっている。晩年に過ごした鎌倉の住まいは、遺族により鎌倉市へ寄贈され、1998年に鎌倉市鏑木清方記念美術館として開館。2003年に《三遊亭圓朝像》が重要文化財に指定。2019年には《築地明石町》を含む三部作が44年ぶりに発見されて東京国立近代美術館に収蔵され、没後50年となった2022年に重要文化財に指定された。 （今西 彩子）（掲載日：2023-09-11）