片岡球子

1905（明治38）年1月5日に北海道札幌区（現・札幌市）に父・片岡喜三郎、母・多賀の長女（8人兄弟の第一子）として生まれる。両親は岡山出身で、父の兄が札幌にて醸造業を営んでいた縁で札幌に移り、醸造業で成功していた。1923（大正12）年北海道庁立札幌高等女学校（現・札幌北高等学校）本科、師範部を卒業し小学校正教員免状を取得する。高等女学校入学当初は医者を目指したが、写生が得意な片岡を友人が促し、日本画家を志す。上京し女子美術専門学校（現・女子美術大学）日本画科高等科に入学。在学中から日本画家・吉村忠夫（1898-1952）に師事し、洋画家・富田温一郎［おんいちろう］（1887–1954）にデッサンの指導も受ける。卒業後自活するために、横浜市立大岡尋常小学校（現・横浜市立大岡小学校）にて教鞭をとる傍ら、帝国美術院展覧会（帝展）への出品を続けるも落選が続いた。日本美術院の中島清之［きよし］（1899–1989）の知遇を得て、院展入選を目指し、師・吉村忠夫から破門されるも、1930（昭和5）年、再興第17回日本美術院展（再興院展、東京都美術館）に《枇杷》（北海道立近代美術館）を出品、写生を基に伝統的な色彩や技法を用いた作品を制作し25歳で初入選を果たす。日本美術院研究会員となり、身近な人物を繊細に描いた作品を制作するも再興院展で落選が続き「落選の神様」と呼ばれた。1939（昭和14）年再興第26回院展に教え子をモデルにした《緑蔭》（横浜美術館）により再入選を果たし、院友に推挙される。1942（昭和17）年日本美術院絵画研究会の課題「雄渾」に《祈禱の僧》（北海道立近代美術館）を制作、かねてより温めていた行者をモデルに気迫あふれる個性的な人物描写により大観賞を受賞、同人・小林古径（1883-1957）から激励を受ける。1946（昭和21）年中島清之の勧めにより日本美術院の安田靫彦門下となり研鑽をつむ。この頃、戦後日本画は転換期を迎え、日本画滅亡論が起こるなど日本画を取り巻く状況は厳しいものがあった。片岡は1951（昭和26）年院展彫刻部同人山本豊市［とよいち］（1899–1987）に人体の骨格を描くためデッサンを学ぶなど鍛錬に励み院展での受賞を重ねた。 1952（昭和27）年の再興第37回院展に《美術部にて》（個人蔵）を出品。説明的に描く背景と人物を的確に捉える描写、意匠などに精細なこだわりをもつ作風を示し、日本美術院賞・大観賞を受賞し日本美術院同人となる。1953（昭和28）年、再興第38回院展に大胆な造形と鮮やかな色彩の《カンナ》（神奈川県立近代美術館）を出品し、以降、この個性が強調されてゆく。1954（昭和29）年第1回現代日本美術展（東京都美術館）に《飼育》（横浜市立大岡小学校）を出品。色彩の対比と短い筆致で塗り重ねられた画面はポスト印象派への関心を現し、デフォルメされた明快な人物表現により肖像への強い思いと共に画風の明らかな変化が伺える。 1954（昭和29）年再興第39回院展に《歌舞伎南蛮寺門前所見》（個人蔵）を出品。同人・前田青邨の手配により、歌舞伎座にて存分に取材し役者から様々な助言や姿勢を吸収した。1955（昭和30）年29年間勤めた小学校教師を退職し画業に専念するため母校・女子美術大学日本画科の専任講師となり、後年の主要なテーマとなる歌舞伎から能や雅楽を題材にした伝統芸能へ主題を広げて、《渇仰［かつぎょう］》（1960［昭和35］年、東京国立近代美術館）や《幻想》（1961［昭和36］年、神奈川県立近代美術館）を生み出す。力強い画面の背景には装束や意匠の入念な研究の上に生み出された片岡の探求心がある。1961（昭和36）年第11回芸術選奨文部大臣賞受賞、日本美術院評議員となる。 初個展「片岡球子日本画展 海」（1959［昭和34］年、日本橋三越本店、東京）を開催。荒々しい写生による構図と勢いのある波の表現は片岡の強い個性が発揮される。一方1960（昭和35）年北海道洞爺湖での有珠山の写生から日本各地の火山を行脚し第6回現代日本美術展に《山（富士山）》（1964［昭和39］年、北海道立近代美術館）を出品、《火山（浅間山）》（1965［昭和40］年、神奈川近代美術館）を発表、鮮烈な色彩と激しい筆致を画面に展開する力強い表現から、桜島、妙義山と範囲を広げ、やがて霊峰富士に焦点を定めていく。 1964（昭和39）年、美術評論家の針生一郎（1925–2010）を中心に作家の中村正義（1924–1977）、横山操（1920–1973）、加山又造（1927-2004）らの日本画研究会に参加を重ね「これが日本画だ」展（日本画廊、東京・日本橋）に3度出品し幅広い視野での活動を続ける。 片岡61歳、1966（昭和41）年愛知県立芸術大学が開学し、日本画の主任教授となる。これを機にライフワークとなる〈面構［つらがまえ］〉シリーズが生まれる。最後の仕事は画題だけでも印象に残り、人間の魂をなんとか絵にしたいと考えた「現代の眼で、歴史に残った人を解剖して、わたくしの考え方で現わしてゆきたいのです」（註1）と片岡は語る。面構は単なる模写ではなく、片岡がその人物を独自に解釈して血肉を付けて表現した。 再興第51回院展に《面構 足利尊氏》、《面構 足利義満》、《面構 足利義政》（いずれも1966［昭和41］年、神奈川県立近代美術館）を出品、京都・等持院の足利将軍の木彫像を基にその個性を膨らませた解釈により、黄不動・赤不動・青不動の三体に見立て、画面一杯に描き分け鮮烈な印象を残した。当初はパロディや土俗的といわれ院展の中で異色の存在であったが、人物の捉え方や衣冠束帯の文様まで入念に調べ描く姿勢は次第に評価されてゆく。「一見装飾的な色彩の背後には、あらゆる対象をねじふせてしまう、したたかな腕力があり（中略）あらゆる拘束をはみだしてしまう情熱がある」（註2）と針生一郎は記している。院展への出品に加え、1967（昭和42）年第9回サンパウロ・ビエンナーレに招待出品し活動の場を広げ、画室を藤沢市に移し、面構のモデルは戦国武将から、小田原浄永寺日蓮像など眼光鋭い僧を経て浮世絵師が登場する。 1971（昭和46）年再興第56回院展に《面構 東洲斎写楽》、《面構 葛飾北斎》（いずれも神奈川県立近代美術館）を出品。かつてパリでゴッホの遺品に浮世絵の女性像を見て、印象派の原動力になったこの画家たちの実力と芸術性を高く評価し「江戸の庶民相手に精いっぱい描き、生きた人、（中略）命を張って絵を描き続けた浮世絵師のかれらは、いまのわたしにとって神さまともいえる存在なのです」（註3）と記している。こうした思いの中、東洲斎写楽（生没年不詳）と葛飾北斎（1760-1849）をそれぞれの代表作を背景に描いた。1974（昭和49）年の再興第59回院展出品作《面構 鳥文斎栄之［ちょうぶんさいえいし］》（神奈川県立近代美術館）は、栄之と彼の美人画を基に鮮やかで豪華な衣装の美人と大きく余白をとる構図は、静かな中にも緊張感が際立つ作品となり、1975（昭和50）年第31回日本芸術院恩賜賞を受賞する。1979（昭和54）年の再興第64回院展《面構 葛飾北斎・瀧澤馬琴》（愛知県美術館）を制作、浮世絵師と戯作者・曲亭（瀧澤）馬琴（1767-1848）という同時代を生きた才気溢れる二人の背景にそれぞれ著作を並べ江戸後期の空気をも感じさせる作品を生む。同年「片岡球子展 ―人間心理の鮮烈な描写―」（銀座松屋、東京）初期からの代表作を集めた初の回顧展を開催。1982（昭和57）年日本芸術院会員となる。 浮世絵師と戯作者の組み合わせをさらに進めて作品に登場する人物を同じ空間に配した《面構 狂言作者河竹黙阿弥［かわたけもくあみ］・浮世絵師三代豊国》(1983［昭和58］年、再興第68回院展、神奈川県立近代美術館） を制作。「白浪五人男」の役者を前に黙阿弥と豊国が所作を論じあう場面は、躍動感がみなぎり、迫力ある画面が展開する。一方、執拗に繊細に描きこまれた衣装には片岡の並々ならぬ気迫と執念さえも感じられ、〈面構〉シリーズの白眉といえる作品である。 浮世絵師を描く背景には、浮世絵研究家・鈴木重三（1919–2010）からの絶大な資料提供があり、敬意を表して画面に登場させた《面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生》（1988［昭和63］年、再興第73回院展、北海道立近代美術館）を制作。1989（平成元）年文化勲章を受章し、2008（平成20）年1月16日103歳の長寿を全うした。 片岡の〈面構〉シリーズは時代を敏感に感じ主題を戦国武将、浮世絵師から雪舟へ、そのため水墨画を探究するなど、常に学ぶ姿を崩さず邁進した。片岡は、日本美術院を活動の軸に60年余り出品を続け、人物の表情は一気に迷いなく描いた。衣装には繊細な描きこみがあり、その対比が画面の中で展開する作品には圧倒的エネルギーとその鮮烈な色彩、大胆な造形表現が見られ独自の境地を切り拓いた。そして春の院展には《裸婦》を出品し、また富士を主題に鮮やかな草花と共に華麗な色彩が展開する《富士に献花》（1990［平成2］年、個人蔵）などの代表作を制作した。 晩年の《面構 鍬形恵斎》（2004［平成16］年、個人蔵）は面構から鋭い眼光から遠くを見つめる眼差しへ変化を見せた。片岡は気力と体力の全てを注ぎ立ち向かい続け、その作品は、激動の昭和を生き抜いた生涯を物語るかのようでもある。 （大塚 保子）（掲載日：2023-09-11） 註1 「『面構』に挑む、生ざまを見る」『日本美術』135号、1976（昭和51）年12月。 註2 『芸術新潮』202号、1966（昭和41）年10月。 註3 註1前掲書。