A1204

小倉遊亀

| 1895-03-01 | 2000-07-23

OGURA Yuki

| 1895-03-01 | 2000-07-23

作家名
  • 小倉遊亀
  • OGURA Yuki (index name)
  • Ogura Yuki (display name)
  • 小倉遊亀 (Japanese display name)
  • おぐら ゆき (transliterated hiragana)
  • 溝上遊亀 (birth name)
生年月日/結成年月日
1895-03-01
生地/結成地
滋賀県滋賀郡大津町(現・滋賀県大津市)
没年月日/解散年月日
2000-07-23
没地/解散地
東京都中央区
性別
女性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1895(明治28)年3月1日、滋賀県滋賀郡大津町(現・滋賀県大津市)に時計商を営む父・溝上巳之助[みぞかみみのすけ]、母・朝枝[あさえ]の長女として生まれる。遊亀[ゆき]は本名。父の仕事の都合で幼少期を大阪の岸和田で過ごし、1905(明治38)年2月、父が事業のため満州に渡ったことを契機に大津市膳所[ぜぜ]の母の実家に転居する。幼い頃から学問に秀でていた遊亀は、滋賀師範附属小学校高等科を経て1907(明治40)年4月、滋賀県立大津高等女学校(現・滋賀県立大津高等学校)に進学。同校を優秀な成績で卒業し、1913(大正2)年4月には奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学、以下奈良女高師)国語漢文部に入学した。当時の奈良女高師は、国内最高峰の女子高等教育機関のひとつであり、また選修科目として、音楽や図画など学生の興味に応じた科目を履修できる課程が充実していた。遊亀は選修科目に図画を選択、東京美術学校(現・東京藝術大学)出身の横山常五郎[つねごろう]の指導を通し、伸びやかに絵を描くことの大切さを学んだ。また「大和[やまと]の生き字引」と呼ばれた名物教員で日本史担当の水木要太郎[ようたろう]の薫陶も受け、豊かな知識と教養を身につけた。 1917(大正6)年3月、遊亀は奈良女高師を総代で卒業すると国語・漢文・図画・修身・教育学・体操の中等教育免許を取得、同年4月から京都の第三高等小学校に教員として着任した。やがて1919(大正8)年5月、同校を辞して名古屋の椙山[すぎやま]高等女学校(現・椙山女学園)に着任。翌1920(大正9)年4月には横浜のミッションスクールである捜真[そうしん]女学校へ講師として移り、教壇に立つ傍ら絵画制作に取り組んだ。しかし独学の限界を感じた遊亀は、同年6月28日、大磯在住の安田靫彦[ゆきひこ]の門をたたき、弟子入りを認められた。以降、遊亀は靫彦を終生師と仰ぎ続ける。遊亀にとって靫彦は、奈良女高師時代に恩師の横山、水木らからその芸術性の素晴らしさを教示され、憧れ続けた存在であった。 師の助言を受けながら、遊亀は一層制作に励んだ。1925(大正14)年9月には再興第12回院展に《童女入浴》(滋賀県立美術館)を出品するが落選。作品の出来を惜しんだ靫彦は、翌年の第1回革丙会[かくへいかい]への出品を勧め、同会に入選した本作は小林古径、速水御舟の注目を得ることとなった。1926(大正15)年、遊亀は再興第13回院展に《胡瓜》(所在不明)を出品し、ついに初入選を果たした。以降の再興院展に落選はなく、1928(昭和3)年9月に日本美術院院友に推挙、1932(昭和7)年6月には女性初の日本美術院同人[どうにん]に推挙された。昭和初期の遊亀の作品には、精緻な筆遣いで対象を捉えた《山茶花[さざんか]》(1930年頃、滋賀県立美術館)、《アネモネ》(1935年、滋賀県立美術館)といった静物画のほか、《首夏[しゅか]》(1928年、滋賀県立美術館)、《故郷の人達》(1929年、滋賀県立美術館)のように、画家自身にとって身近な子供たちや故郷の人々をモティーフにしたものが見られる。 1936(昭和11)年1月、遊亀は捜真女学校を退職する。この年、山岡鉄舟門下の禅徒である小倉鉄樹[おぐらてつじゅ]を北鎌倉に訪ね、以後教えを受けるようになった。1938(昭和13)年、鉄樹と結婚。翌年には最後まで教鞭をとっていた東京府女子師範学校(現・東京学芸大学)、東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)を退職し、いよいよ画家の道に専念する。しかし1944(昭和19)年4月、鉄樹が逝去。1945(昭和20)年には戦火を逃れるため、母と共に郷里の大津で約1年間の疎開生活を送った。 戦争が終わり、遊亀は画家としての活動を本格的に再開させる。1947(昭和22)年5月、東京日本橋三越で初めての個展を開催。同年の再興第32回院展には、故郷の近江に伝わる伝承をテーマに、戦後の日本画の行方を案じて制作したという《磨針峠[すりはりとうげ]》(滋賀県立美術館)を発表する。また《娘》(1951年、滋賀県立美術館)、《美しき朝》(1952年、個人蔵)、《O夫人坐像》(1953年、東京国立近代美術館)など、新しい時代を生きる女性の姿を活写した。月光に照らされる女性のヌードを大胆に描いた《良夜》[りょうや](1957年、横浜美術館)や宝塚歌劇団出身で歌手、女優として活躍した越路吹雪をモデルにした《コーちゃんの休日》(1960年、東京都現代美術館)など、ピカソやマティスらの影響を強く受けたと思われる構図や線も積極的に取り入れた。また自身の息子夫婦をモデルとし、身近な家族像をテーマにした《家族達》(1958年、滋賀県立美術館)、《家族達》(1959年、滋賀県立美術館)を発表した。 昭和40年代に入ると、遊亀はますます画業を充実させてゆく。中国旅行の経験から着想を得た《径[こみち]》(1966年、東京藝術大学)、京都の舞妓や洋画家の息女といった少女たちをモデルにした《舞妓》(1969年、京都国立近代美術館)《姉妹[あねいもと]》(1970年、滋賀県立美術館)など、戦後の代表作を次々と発表した。 戦前から描き続け、師の靫彦からも激賞された静物画は、戦後にいたっても遊亀の重要なテーマであった。花木や果物、野菜などをさまざまな器と組み合わせて描くスタイルを得意としたが、昭和50年代頃からは《厨[くりや]のもの》(1980年、滋賀県立美術館)や《花三題》(1985年、滋賀県立美術館)のように、自らの作品を仏像の「三尊形式」に見立て、3点を一組として完結させる形式の作品を手掛けるようになった。 1976(昭和51)年12月、日本芸術院会員に任命。1978(昭和53)年3月には日本美術院理事に就任し、同年11月に文化功労者として顕彰された。翌年の1979(昭和54)年3月、第3回滋賀県文化賞受賞。1980(昭和55)年11月、女性画家としては2人目となる文化勲章を受章した。そして1990(平成2)年4月、95歳で女性として初の日本美術院理事長に就任した。 2000(平成12)年7月23日、急性呼吸器不全のため105歳で逝去。最晩年まで意欲的に制作を続け、真摯に絵と向き合った生涯であった。同年の再興第85回院展には絶筆として、鉢に盛られた大輪の椿の花を描いた《盛花》(滋賀県立美術館)が出品された。 (山口 真有香)(掲載日:2023-09-26)

1947
小倉遊亀個展, 東京日本橋三越, 1947年.
1956
小倉遊亀・高間惣七展, 神奈川県立近代美術館, 1956–1957年.
1966
小倉遊亀回顧展, 滋賀県立琵琶湖文化館, 1966年.
1972
小倉遊亀展: 喜寿記念, 横浜高島屋, 静岡松坂屋, 1972年.
1975
小倉遊亀展: 画業六十年記念, 日本橋高島屋, 四条高島屋, 1975年.
1979
小倉遊亀展: 文化功労者: 滋賀県文化賞受賞記念, 滋賀県立琵琶湖文化館, 1979年.
1984
小倉遊亀回顧展, 滋賀県立近代美術館, 1984年.
1993
小倉遊亀展: 白寿記念, 日本橋三越, 名古屋松坂屋美術館, 大阪三越, 横浜高島屋, 1993年.
1995
小倉遊亀展: 百歳記念, 日本橋・三越本店, 札幌・三越, なんば・高島屋, 四条・大丸, 横浜高島屋, 1995–1996年.
1999
Ogura Yuki: Un Siècle d'inspiration: La Passion d'une Femme Pour La Peinture [小倉遊亀展], 三越エトワール, パリ, 1999年.
1999
小倉遊亀展: パリ展帰国記念, 日本橋三越本店, 大丸大阪心斎橋店, 三越札幌店, 福岡三越, 1999年.
2001
小倉遊亀: 追悼特別展 105歳まで、画業輝く。 , 滋賀県立近代美術館, 2001年.
2002
小倉遊亀展, 東京国立近代美術館, 滋賀県立近代美術館, 2002年.
2007
小倉遊亀展, 茨城県天心記念五浦美術館, 2007年.
2010
小倉遊亀展: 没後10年: とうとう絵かきになってしまった。, 兵庫県立美術館, 宇都宮美術館, 2010年.
2011
小倉遊亀: 一枚の葉っぱに宇宙をみる: 没後10年日本画家, 佐野美術館, 2011年.
2014
遊亀と靫彦: 師からのたまもの・受け継がれた美, 滋賀県立近代美術館, 愛媛県美術館, 宇都宮美術館, 2014–2015年.
2016
小倉遊亀: 明るく、温かく、楽しいもの: 特別展, 名都美術館, 2016年.
2018
小倉遊亀: おぐらゆき展, 平塚市美術館, 2018年.
2019
小倉遊亀と院展の画家たち展: 滋賀県立近代美術館所蔵作品による, 静岡市美術館, 島根県立美術館, 富山県水墨美術館, 2019年.
2023
小倉遊亀と日本美術院の画家たち, 滋賀県立美術館, 2023年.

  • 滋賀県立美術館
  • 東京国立近代美術館
  • 京都国立近代美術館
  • 東京都現代美術館
  • 山種美術館, 東京

1975
『小倉遊亀画集』東京: 朝日新聞社, 1975年.
1979
小倉遊亀『画室の中から』[正]・続. 東京: 中央公論美術出版, 1979年 [自筆文献].
1979
『小倉遊亀 アサヒグラフ別冊, 美術特集 '79秋』18 (1979年).
1980
石丸正運『近江の画人たち 近江文化叢書: 7』京都: サンブライト出版, 1980年.
1984
小倉遊亀, 小川津根子『小倉遊亀画室のうちそと』東京: 読売新聞社, 1984年 [自筆文献].
1986
『小倉遊亀画集: 画業七十年』東京: 朝日新聞社, 1986年.
1991
橋秀文編『小倉遊亀 現代の日本画: 4』東京: 学習研究社, 1991年.
1993
河北倫明監修『小倉遊亀: 画集』東京: 日本経済新聞社, 1993年.
1993
『小倉遊亀: 白寿記念――自選名作集』東京: 学習研究社, 1993年.
1995
滋賀県立近代美術館編『小倉遊亀 滋賀県立近代美術館名品選』[大津]: 滋賀県立近代美術館, 1995年.
1996
『小倉遊亀: 現代の日本画 朝日美術館: 日本編4』東京: 朝日新聞社, 1996年.
2002
岩田由美子, 中島理壽編『小倉遊亀展』小川紀久子, 勝矢桂子, マーサ・マクリントク, 山本仁志翻訳. 東京: 朝日新聞社, 2002年 (会場: 東京国立近代美術館, 滋賀県立近代美術館).
2010
兵庫県立美術館, 宇都宮美術館, 朝日新聞社編『小倉遊亀展: 没後10年: とうとう絵かきになってしまった。』[東京]: 朝日新聞社, 2010年 (会場: 兵庫県立美術館, 宇都宮美術館).
2014
國賀由美子, 山口真有香, 梶岡秀一, 福島文靖, NHKプロモーション編『遊亀と靫彦: 師からのたまもの・受け継がれた美』[東京]: NHKプロモーション, 2014年 (会場: 滋賀県立近代美術館, 愛媛県美術館, 宇都宮美術館) [展覧会カタログ].
2016
『小倉遊亀: 明るく、温かく、楽しいもの: 特別展』[長久手]: 名都美術館, 2016年 (会場: 名都美術館).
2018
平塚市美術館編『小倉遊亀: おぐらゆき展』[平塚]: 平塚市美術館, 2018年 (会場: 平塚市美術館).
2019
東京文化財研究所「小倉遊亀」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28191.html
2019
静岡市美術館 [ほか] 編『小倉遊亀と院展の画家たち展: 滋賀県立近代美術館所蔵作品による』[東京]: NHKプロモーション, 2019年 (会場: 静岡市美術館, 島根県立美術館, 富山県水墨美術館).
2019
井上ひろ美, 大原由佳子, 國賀由美子, 髙木文恵, 森岡榮一, 山口真有香『近江の画人: 海北友松から小倉遊亀まで』石丸正運編. 彦根: サンライズ出版, 2019年.
2023
滋賀県立美術館, NHKプロモーション編『小倉遊亀と日本美術院の画家たち展: 横山大観, 菱田春草, 安田靫彦, 前田青邨, 速水御舟ほか』[大津]: 滋賀県立美術館, 2023年 (会場: 滋賀県立美術館).

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

日本画家で院展同人の小倉遊亀は7月23日午後10時11分、急性呼吸不全のため東京都中央区の病院で死去した。享年105。1895(明治28)年3月1日、滋賀県大津市丸屋町(現 大津市中央1丁目)に、溝上巳之助、朝枝の長女として生まれる。本名同じ。奈良女子高等師範学校(現 奈良女子大学)国語漢文部に学びながら、図画の科目を履修。そこで横山常五郎に絵を学び、また歴史研究者の水木要太郎により古美術への関心...

「小倉遊亀」『日本美術年鑑』平成13年版(238頁)

Wikipedia

小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。滋賀県大津市出身。奈良女子高等師範学校卒。1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となった。色彩に富む人物画や静物画が特徴で、上村松園とともに日本を代表する女性画家で、作「O夫人坐像」「小女」「浴女」など。奈良女子大学の講堂の緞帳は、小倉遊亀の「爛漫」、滋賀県立大津高等学校の体育館の緞帳は「うす霜」という原画によるものであった。

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VIAF ID
74723421
AOW ID
_00065595
Benezit ID
B00132515
NDL ID
00058362
Wikidata ID
Q3079504
  • 2024-03-01