- 作家名
- 奥村土牛
- OKUMURA Togyū (index name)
- Okumura Togyū (display name)
- 奥村土牛 (Japanese display name)
- おくむら とぎゅう (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1889-02-18
- 生地/結成地
- 東京府東京市京橋区南鞘町(現・東京都中央区京橋一丁目)
- 没年月日/解散年月日
- 1990-09-25
- 没地/解散地
- 東京都港区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
- 2019
- 東京文化財研究所「奥村土牛」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10366.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「奥村土牛」『日本美術年鑑』平成3年版(313-318頁)現代日本画壇の最長老で文化勲章受章者奥村土牛は、9月25日午後6時8分、脳梗塞のため東京都港区の虎の門病院で死去した。享年101。明治22(1889)年2月18日、東京京橋に出版社藍外堂を営む奥村金次郎、たまの長男として生まれ、本名義三。32年日本橋区城東尋常小学校尋常科を卒業し高等科に進むが、病弱のため1年で中退。同38年16才の時、梶田半古の画塾に入門し、塾頭だった小林古径の指導を受ける。翌3...
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奥村 土牛(おくむら とぎゅう、1889年〈明治22年〉2月18日 - 1990年〈平成2年〉9月25日)は現代日本の代表的な日本画家の一人。本名:奥村 義三(おくむら よしぞう)。号である「土牛」は、出版社を営んでいた父が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。院展理事長。芸術院会員。文化勲章受章。梶田半古、小林古径に師事。刷毛で胡粉などを100回とも200回ともいわれる塗り重ねをし、非常に微妙な色加減に成功した作品が特徴とされる。<富士山図>(または「富士」)が著名で、皇居にも飾られている。没後、作品に課せられた巨額の相続税に悩んだ子息が、比較的価値の低かったスケッチを焼却処分したことを告白し話題になった。このことは美術工芸品の相続税制の問題を世に問うことになった。
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- 2023-02-20