上村松園

1875年、京都府京都市に生まれる。本名は津禰［つね］。幼い頃より絵を描くことを好み、1887年に京都府画学校の北宗（狩野派系）に入学。人物画の修練に強い志を抱くも、基礎から順序立てて学ぶ画学校の課程ではその希望は即座には叶わなかったため、同校北宗の教授・鈴木松年の画塾で並行して学んだ。翌年、松年の画学校退職により彼女も画学校を退学、正式に松年門下となった。松年の命名により松園と号するようになったのもこの1888年頃からである。 1890年、第3回内国勧業博覧会に《四季美人図》（所在不明）を出品し褒状を受ける。作品は英国のアーサー王子（コンノート皇子）の買い上げとなり、大いに注目を集めた。その後も日本美術協会展や日本青年絵画共進会などに出品、受賞を重ね、1893年には農商務省の命によりシカゴ・コロンブス万国博覧会の女性館に《四季美人図》（1892年、岐阜プラスチック工業株式会社）を出品。またより幅広く画を学ぶため、松年の許可を得て1893年より四条派の幸野楳嶺［ばいれい］の画塾に通い、1895年の楳嶺没後は楳嶺門下の竹内栖鳳［せいほう］に学んだ。松年の荒く力強い画風に対し柔和な筆致に重きをなす楳嶺塾で非常に苦労したのちに、写生を基礎に置き各人の個性を伸ばす方針の栖鳳門での修練を経て、独自の作風を切り拓くこととなった。1900年の第9回日本絵画協会・第4回日本美術院連合絵画共進会に《花ざかり》（所在不明）を出品、銀牌を受け画壇に広く認められた。 1907年の第1回文展（文部省美術展覧会）に《長夜》（福田美術館、京都）を出品、以降時折不出品の回があったものの同展に出品を重ねた。高い技術にはすでに定評があったが、それゆえ出品画に対する評には技巧偏重、着想や構図における創意工夫の欠如を指摘するものも見受けられた。折しもこの時期、師の竹内栖鳳、同じ栖鳳門下の土田麦僊が文展に人物画を出品、さらには画壇での美人画の隆盛から1915年の第9回文展に「美人画室」が設けられ、美人画は大衆の人気と批評家による非難とのはざまにあった。同時期の《娘深雪》（1914年、東京大正博覧会出品、足立美術館、島根）、《花がたみ》（1915年、第9回文展出品、松伯美術館、奈良）は、伝統的な浮世絵や風俗画の影響が濃いそれまでの作品とは異なり、人物の内面の描出に焦点を合わせたもので、松園が作画の方向性を手探りしていたことを示す。1918年の第12回文展に出品した《焔》（東京国立博物館）は対象の感情表現の極みで、制作当時スランプに陥っていたことを、のちに作家自ら明かしている。その後も細部の緻密な描写に注力した《楊貴妃》（1922年、第4回帝展出品、松伯美術館）、構図に工夫を凝らした《待月》（1926年、第7回帝展出品、京都市美術館）などさまざまな試みの跡が見られる。 こうした苦心の一方、画壇での松園の地位は着実に高まっていった。1916年の第10回文展で永久無鑑査の資格を得、1924年より帝展委員を務め、1935年には帝展参与となる。依頼画の数も次第に増加した。 1934年、母仲子が没した。仲子は松園を女手一つで育て、親類による反対のなか画業の道に進むことを後押しした存在で、松園は随筆集『青眉抄』（中村達男編、六合書院、1943年）で「私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」（「母への追慕」、同上書205頁）と述べている。以降、《青眉》（1934年、大礼記念京都美術館美術展出品、吉野石膏コレクション）、《母子》（1934年、第15回帝展出品、東京国立近代美術館、重要文化財）、《夕暮》（1941年、第4回新文展出品、京都府立鴨沂高等学校）など、過去の風俗を描いた作品群の一部に亡き母への追慕の念を託したものが見られるようになった。またこの1930年代は松園芸術の集大成とも言うべき大作が次々と生み出された時期でもある。松園には珍しく現代風俗に取材し、作家自身「私の理想の女性の最高のもの」（「作画について」のうち「序の舞」『青眉抄』153頁）と語る《序の舞》（1936年、文展招待展出品、東京藝術大学、重要文化財）、依頼から21年を経て完成し貞明皇太后に献上した《雪月花》（1937年、皇居三の丸尚蔵館、東京）、余技ながら長年熱心に打ち込んだ謡曲を制作に生かした《草紙洗小町》（1937年、第1回新文展出品、東京藝術大学）、《砧》（1938年、第2回新文展出品、山種美術館、東京）などである。 晩年にあたる1940年代は小品の数が増えるが、過去の市井の人の暮らしを取り上げた《夕暮》（1941年、京都府立鴨沂高等学校）、《晩秋》（1943年、関西邦画展出品、大阪市立美術館）をはじめ優品は多い。戦争が本格化するなか1941年には三谷十糸子と中国戦線へ慰問旅行、また《静》（1944年、戦艦献納画展出品、東京国立近代美術館）など各種献納画展へも出品した。1941年帝国芸術院会員、1944年帝室技芸員。1948年女性として初めて文化勲章受章。1949年の絶筆《初夏の夕》（松坂屋現代美術巨匠作品鑑賞会展出品、京都市美術館）でも筆力の衰えを見せることはなかった。同年8月27日、疎開先であった子息松篁の画室「唳禽荘［れいきんそう］」（奈良）で永眠した。 「女性の美に対する理想やあこがれを描き出したい」（「棲霞軒雑記」『青眉抄』129頁）と述べる松園は、一貫して、女性の、とりわけ過去の風俗を身にまとった姿を中心に描いてきた。そんな作家は、常に新しい表現を追求することが好ましいとされる当時の画壇から距離を置いていたかのように見える。しかし松園は、体調を崩した母の世話で展覧会出品を控えていた時期でさえも東京にこっそりと展示を観に行くなど、常に画壇の動きを注視していたことが彼女の著述からうかがえる。松園が好んで画の主題や人物の髪型、衣装などを古い時代の風俗、古典芸能・文学、古画から採った背景には、彼女が目配りしていた同時代の画壇の作品 — なかでも当世風俗に取材したもの — が必ずしも成功を収めていたわけではなかったことがある。松園は言う。「私は古い方を振り返つてみることが、特に好きだといふわけではありませんですが、さうする事が、表現に深みがあると思ふ（中略）今を今のまゝに描くといふことは、画としての深みに於て、何うかと思はれるやうな気もちがします（中略）徳川期を眺めて見ると、全く感じがちがひます。明治期でさへも、もう今とは感じがちがひます。それは時代といふ空気がいゝ加減にぼかしをかけてくれるからです（中略）私はこの美しい靄を隔てた、過去の時代を眺めたい」（「靄の彼方」『大毎美術』11巻8号、1932年8月、9–10頁）。古画や古典は、松園の世代の日本画家にとって基礎的な修練として誰もが一度は学ぶものであったが、彼女にとってそれらは同時代の他の美人画と一線を画すための戦略的な参照項であったといってよい。 女性初の文化勲章受章者であり、近代の日本における代表的な女性画家として今日でも認識されている松園をそうたらしめたのは、彼女の画業の始まりが、学校、展覧会といった美術の各種制度の成立期と重なっていたことによるところが大きい。しかしその制度はすべての人に平等に制作への門戸を開いていたわけではなく、社会のシステムや人々の価値観とあいまって、芸術を志す多くの女性の筆を折ってきた。松園は自身の苦労も含め、同時代の女性画家の境遇についても言葉を残している。こうした観点から松園の著述や彼女に関する言説、作品を精査することも重要な作業であろう。 （中村 麗子）（掲載日：2023-09-11）