- 作家名
- 有島生馬
- ARISHIMA Ikuma (index name)
- Arishima Ikuma (display name)
- 有島生馬 (Japanese display name)
- ありしま いくま (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1882-11-26
- 生地/結成地
- 神奈川県横浜市
- 没年月日/解散年月日
- 1974-09-15
- 没地/解散地
- 神奈川県鎌倉市
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
- 2019
- 東京文化財研究所「有島生馬」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9364.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「有島生馬」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(256-257頁)文化功労者、日本芸術院会員、一水会会員の洋画家、有島生馬は、9月15日、老衰のため鎌倉市の額田病院で死去した。享年91歳であった。有島生馬は本名を壬生馬また十月亭の別号がある。小説家としても知られ、兄の武郎、弟の里見弴と共に文芸家兄弟として著名であったが、生馬は、初めイタリア文学研究を志し、絵画勉強に転じて藤島武二に師事、イタリア、フランスに留学し、帰国後は雑誌『白樺』同人として西洋美術の紹介につ...
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有島 生馬(ありしま いくま、本名・有島壬生馬、1882年〈明治15年〉11月26日 - 1974年〈昭和49年〉9月15日)は、神奈川県横浜市出身の日本の画家。有島武郎の弟、里見弴の兄。号は雨東生、十月亭。妻の信子は原田熊雄の妹でドイツとのクォーター。妹のシマは医学者の高木喜寛に嫁いだ。甥には武郎の長男である俳優の森雅之がおり、1923年(大正12年)に武郎が心中した後は彼の親代わりとなって育てた。姪には高木喜寛・シマ夫妻の長女・園子がおり、西洋古典学者の呉茂一に嫁いだ。志賀直哉や児島喜久雄とは少年時代からの友人で、『白樺』創刊に参加し、代表作『蝙蝠の如く』を書いた。長くヨーロッパに留学したが、その際、有島家の女中の恋人を志賀らに託し、帰国後、彼女と結婚の意志がないことを示したため、志賀との間に疎隔が生まれ、敗戦後、志賀は『蝕まれた友情』(1946年(昭和24年))を書いて絶交。一人娘の暁子は東京川崎財閥の3代目当主・川崎守之助に嫁いだ。
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- 2023-02-20