A1042

荒川修作

| 1936-07-06 | 2010-05-19

ARAKAWA Shūsaku

| 1936-07-06 | 2010-05-19

作家名
  • 荒川修作
  • ARAKAWA Shūsaku (index name)
  • Arakawa Shūsaku (display name)
  • 荒川修作 (Japanese display name)
  • あらかわ しゅうさく (transliterated hiragana)
  • Arakawa Shusaku
生年月日/結成年月日
1936-07-06
生地/結成地
愛知県名古屋市瑞穂区雁道町
没年月日/解散年月日
2010-05-19
没地/解散地
ニューヨーク州ニューヨーク市
性別
男性
活動領域
  • 絵画
  • 彫刻
  • 建築
  • コンセプチュアルアート

作家解説

1936年、愛知県名古屋市に生まれる。愛知県立旭丘高等学校美術科を卒業し、1956年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学、東京)に入学するが中退。1957年より1961年まで読売アンデパンダン展(東京都美術館)に出品する。1958年に出品した《人間-砂の器》が注目され、瀧口修造、東野芳明の知遇を得た。1960年には吉村益信や篠原有司男、赤瀬川原平らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成し、「ネオダダ展」に出品するが、同年、個展を開催したことを機にグループを離脱することとなった。 この最初の個展「もうひとつの墓場」(村松画廊、東京)で発表されたのは〈棺桶〉シリーズと通称される荒川の初期代表作である。木箱に布団を敷き、セメントの塊を置いた連作で、観客は蓋を開けてその不気味な生命体のような物体に対面するよう仕組まれていたという。 1961年、2回目の個展(夢土画廊、東京)で発表された〈棺桶〉シリーズ15点には、《抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン》、《ワックスマンの胸》(ともに1958–1959年、国立国際美術館、大阪)、《惑星に乗ったトンボー氏》(1961年、宮城県美術館)など、科学者や哲学者の名前が付されており、後に科学と芸術、哲学を統合させる実践家「コーデノロジスト」を標榜する荒川の、活動の出発点を認めることができる。また、作品に描かれた矢印のような記号は、後の「図式絵画」への移行を予感させる。当時の制作について荒川は下記のように語っている。「奇怪で、恐ろしくてなかなかつかめないぶよぶよとした死をみつめ、死をのりこえるために、死に形を与える。これ以外に生きる仕事を持たない」(読売新聞夕刊、1961年10月27日)。 1961年12月、荒川は単身渡米。空港からマルセル・デュシャンに電話し、面会を果たしたという。1962年には生涯のパートナーとなるマドリン・ギンズと出会い、共同制作を開始、1963年から着手したシリーズは「意味のメカニズム」として、後の建築的実験の基礎となった。異色の立体作品《デュシャンの大ガラスを小さな細部としている図式》(1963–1964年、名古屋市美術館)は、一見オマージュのようであるが、デュシャンを乗り越えて新しい芸術へと向かう荒川の意思表示であろう。デュシャンが確立した「見る者が芸術をつくる」という芸術の在り方を反転し、以後、「見る者がつくられる場」をつくることに荒川は注力する。この頃から言葉や記号を用いた「図式絵画」が作品の主流となり、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランスなどでの個展が相次ぐ。1966年のニューヨークでの個展にはデュシャンも訪れ、談笑する写真が残されている。しかし、荒川は彼を敬愛しながらも、異なる方向へと舵を切る。 1960年代後半には日本での評価も高まっていく。絵画作品の受賞が続き、1968年の第8回現代日本美術展(東京都美術館)出品作《作品》(註1)は最優秀賞を受賞した。国際展では同年にドクメンタIVに参加、1970年には第35回ヴェネツィア・ビエンナーレで〈意味のメカニズム〉シリーズを出品してドイツの物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルクに称賛され、これを機に科学者や哲学者との交流を深めていく。1971年にはマドリン・ギンズとの共著『意味のメカニズム』第1版(ドイツ語版、ブルックマン社、ミュンヘン)を刊行、1972年には「意味のメカニズム」展がドイツを巡回。同時期にドイツ学術交流会(DAAD)の奨学金を得て西ベルリン、フランス、イタリア、スイスに滞在し、物理学者や生化学者との交流を果たした。 1979年には『意味のメカニズム』第2版をアメリカ、フランス、日本で刊行。同年、西武美術館(東京)、兵庫県立美術館、国立国際美術館等での個展を機に18年ぶりに帰国し、この時、瀧口修造の臨終に立ち会った。 「意味のメカニズム」を発展させ、建築的な実践に向かいはじめた荒川とギンズは、1983年、ヴェネツィア市の依頼で小島マドンナ・デル・モンテを舞台とした「世界で最もスピリチュアルな装置」を設置するプロジェクトに、1987年にはフランス、エピナール市のモーゼル川に巨大な橋状の体験装置を架けるプロジェクトに着手するが、いずれも実現には至らなかった。後者の「エピナール・プロジェクト」には1/10模型《問われているプロセス/天命反転の橋》(1973–1989年、Reversible Destiny Foundation)が存在し、以後の建築プロジェクトの具体的なプランを実見することができる。 1991年、東京国立近代美術館を皮切りに京都、名古屋へ巡回した回顧展「荒川修作の実験展 — 見る者がつくられる場」では、「図式絵画」が「体験装置」に移行する過渡期の作品が展示された。例えば《「何」を繰り返すこと。置き換えること。大地、いや、しかしそれは多くの瞬間的なもの。変わることなく不連続な世界へ立ち返ること。この過程が問題だ。》(1987–1988年、名古屋市美術館)では、生や死、歴史を連想させるイメージを傾斜のある踏み台とすることで、常識的な概念を意識させ踏み越えさせると同時に、重力を意識させ身体感覚に働きかけようとしている。 1994年、建築的作品としては初めて「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」(奈義町現代美術館、岡山/設計:磯崎新、註2)が実現し、翌1995年には屋外型の体験施設「養老天命反転地」(岐阜)が完成。いずれも傾いた地平によって身体に負荷をかけ、慣れ親しんだ感覚に揺さぶりをかけるものであった。1997年には「意味のメカニズム」から建築に至るプロジェクトを俯瞰する展覧会「天命反転 — 死なないために」がグッゲンハイム美術館ソーホーにて開催された。 さらに建築的実験は都市計画に向けられ、世界各地を舞台に独自の構想が進められた。日本では東京都レインボータウン臨海副都心まちづくりコンペティションに応募(特別賞受賞)したほか、愛知県、福岡県、高知県等を想定した多くのプランが残されている。また、日常的な場での実践としては、ニューヨークの個人宅「バイオスクリーブ・ハウス」(2008年完成)を皮切りに、2005年に「志段味循環型モデル住宅」(名古屋市)、「三鷹天命反転住宅~イン メモリー オブ ヘレン・ケラー~」(東京・三鷹市)が実現している。 前述の1961年の発言からわかるように、一貫して「死」を見つめ、死という「天命」に抗うことを自らの使命として活動してきた荒川は、哲学的に「死」の概念を探究し、科学的な「生」のシステムを解析し、「死なない」生命を建築する可能性を発見した。しかし、自身の創造が「芸術」の名のもとに現実性を欠く机上の空論と捉えられることを危惧したのであろうか、彼は「芸術家」の肩書きを「コーデノロジスト」と改め、講演会やシンポジウム、著作を通じて「天命反転」の思想とその実現を訴え続けていた。 2010年、「死なないための葬送 — 荒川修作初期作品展」(国立国際美術館、大阪)開催中、ニューヨークにて荒川が他界。2014年にはギンズも逝去し、両者が2010年に設立した財団「Reversible Destiny Foundation」(註3)が、その遺志を引き継ぎ、活動を続けている。 (平林 恵)(掲載日:2023-09-11) 註1 荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所では、東野芳明氏が本作を「窓辺にて」と言及していることから、タイトル《作品(窓辺にて)》としている。『現代の眼』1968年6月号参照。 註2 開設当初のタイトルは「遍在の場・奈義の龍安寺・心」であったが、「遍在の場・奈義の龍安寺・建築的身体」への改題を経て現在のタイトルとなっている。 註3 https://www.reversibledestiny.org

1960
もうひとつの墓場, 村松画廊, 1960年.
1961
荒川修作, 夢土画廊, 1961年.
1964
Arakawa: Dieagrams, Dwan Gallery, Los Angeles, 1964.
1966
Arakawa: For Instance, Instant, Dwan Gallery, New York, 1966.
1968
第8回現代日本美術展, 東京都美術館, 京都市美術館, 愛知県美術館, 福岡県文化会館, 長崎県立美術博物館, 北九州市八幡美術館, 佐世保市中央公民館, 1968年.
1968
ドクメンタIV, カッセル, 1968年.
1970
第35回ヴェネツィア・ビエンナーレ, ヴェネツィア, 1970年.
1972
意味のメカニズム展, ベルリン市立美術館 [ほか], 1972年.
1977
Arakawa, デュッセルドルフ市立美術館, Nationalgalerie Berlin, アムステルダム市立美術館, Neue Galerie am Landesmuseum Johanneum, Graz, Stadtische Kunstsammlungen, Ludwigshafen, Germany, 1977年.
1979
現代美術の最先端: 荒川修作, 西武美術館, 1979年.
1979
荒川修作の世界・意味のメカニズム, 国立国際美術館, 1979年.
1986
前衛芸術の日本 1919–1970展, ポンピドゥー・センター, 1986年.
1990
荒川修作展: 宮川淳へ, 東高現代美術館, 1990年.
1991
荒川修作の実験展: 見る者がつくられる場, 東京国立近代美術館, 京都国立近代美術館, 松坂屋美術館, 1991–1992年.
1995
Reversible Destiny: Arakawa/Gins, グッゲンハイム美術館ソーホー, 1995年.
1998
新しい日本の風景を建設し, 常識を変え, 日常の生活空間を創りだすために: 荒川修作 / マドリン・ギンズ , NTTインターコミュニケーションセンター, 1998年.
2005
荒川修作を解読する展, 名古屋市美術館, 2005年.
2010
死なないための葬送: 荒川修作初期作品展, 国立国際美術館, 2010年.
2019
インポッシブル・アーキテクチャー: もうひとつの建築史, 埼玉県立近代美術館, 新潟市美術館, 広島市現代美術館, 2019年.
2020
インポッシブル・アーキテクチャー: 建築家たちの夢, 国立国際美術館, 2020年.
2022
国際芸術祭「あいち2022」: Still Alive, 愛知芸術文化センター [ほか], 2022年.

  • 東京国立近代美術館
  • セゾン現代美術館, 長野県軽井沢町
  • 名古屋市美術館
  • 岐阜県美術館
  • 国立国際美術館, 大阪
  • 北九州市立美術館, 福岡県
  • ニューヨーク近代美術館
  • レンバッハハウス美術館, ミュンヘン
  • ポンピドゥー・センター, パリ
  • オーストラリア国立美術館

1971
Arakawa; in Zusammenarbeit mit Madeline Gins. Mechanismus der Bedeutung: Werk im Entstehen, 1963-1971. München: Bruckmann, 1971 (日本語版: 荒川修作, マドリン・ギンズ『意味のメカニズム』全2冊, 市川浩訳・監修. 東京: リブロポート, 1988年) [自筆文献].
1987
Arakawa Shūsaku, Madeline Gins. Pour ne pas mourir= To not to die. Paris: Éditions de la Différence, 1987 (日本語版: 荒川修作, マドリン・ギンズ『死なないために』三浦雅士訳, 東京: リブロポート, 1988年) [自筆文献].
1991
東京国立近代美術館編『荒川修作の実験展: 見る者がつくられる場』東京: 東京国立近代美術館, 1991年(会場: 東京国立近代美術館, 京都国立近代美術館, 松坂屋美術館(名古屋)).
1995
荒川修作, マドリン・ギンズ『建築―宿命反転の場-アウシュヴィッツ―広島以降の建築的実験』工藤順一, 塚本明子訳. 東京: 水声社, 1995年.
1995
工藤順一 『なつかしい未来の世界: 荒川修作の仕事』東京: 新曜社, 1995年.
1996
「荒川修作+マドリン・ギンズ: 総特集」『現代思想』臨時増刊, 第24巻第10号 (1996年8月).
1997
Reversible Destiny: Arakawa/Gins. [exh. cat.], New York: Guggenheim Museum, 1997 (Venue: Guggenheim Museum SoHo).
1999
荒川修作, 藤井博巳『生命の建築: 荒川修作・藤井博巳対談集』東京: 水声社, 1999年.
2004
荒川修作, マドリン・ギンズ『建築する身体: 人間を超えていくために』河本英夫訳, 東京: 春秋社, 2004年 [自筆文献].
2005
名古屋市美術館編『「荒川修作を解読する」展』[名古屋, 東京]: 名古屋市美術館, 読売新聞社, 2005年 (会場: 名古屋市美術館).
2007
荒川修作, マドリン・ギンズ『死ぬのは法律違反です: 死に抗する建築: 21世紀への源流』河本英夫, 稲垣諭訳, 東京: 春秋社, 2007年 [自筆文献].
2008
荒川修作, マドリン・ギンズ『三鷹天命反転住宅: ヘレン・ケラーのために: 荒川修作+マドリン・ギンズの死に抗する建築』東京: 水声社, 2008年 [自筆文献].
2009
塚原史『荒川修作の軌跡と奇跡』東京: NTT出版, 2009年.
2010
「荒川修作オーラル・ヒストリー. 2009年4月4日」日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ. 更新日2010-09-26. http://www.oralarthistory.org/archives/arakawa_shusaku/interview_01.php
2010
荒川修作, マドリン・ギンズ『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』渡部桃子監訳. 東京: 新書館, 2010年 [自筆文献].
2010
平芳幸浩編『死なないための葬送: 荒川修作初期作品展』大阪: 国立国際美術館, 2010年 (会場: 国立国際美術館).
2010
山岡信貴監督『死なない子供, 荒川修作』東京: リタピクチャル, 2010年, DVD.
2011
山岡信貴監督『WE, マドリン・ギンズ』東京: リタピクチャル, 2011年, DVD.
2015
荒川修作, 小林康夫『幽霊の真理: 絶対自由に向かうために: 対話集 水声文庫』東京: 水声社, 2015年.
2016
馬場駿吉『意味の彼方へ: 荒川修作に寄り添って』東京: 書肆山田, 2016年.
2019
東京文化財研究所「荒川修作」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28492.html
2019
三村尚彦, 門林岳史編著『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ: 天命反転する経験と身体』東京: フィルムアート社, 2019年.

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

美術家の荒川修作は5月19日、ニューヨークの病院で死去した。享年73。1936(昭和11)年7月6日、名古屋市瑞穂区雁道町に生まれる。51年、愛知県立旭ヶ丘高校(旧制愛知一中)美術課程に入学。同級生に美術家赤瀬川原平、一学年上に彫刻家石黒鏘二がいた。56年、武蔵野美術学校(現、武蔵野美術大学)に入学(のちに中退)。57年、第9回読売アンデパンダン展に初出品(以降、61年まで出品をつづける)。翌年の...

「荒川修作」『日本美術年鑑』平成23年版(435-436頁)

Wikipedia

荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年7月6日 - 2010年5月19日)は、日本の美術家である。愛知県名古屋市出身。

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VIAF ID
6613
ULAN ID
500123705
AOW ID
_10060723
Benezit ID
B00006431
Grove Art Online ID
T003608
NDL ID
00110123
Wikidata ID
Q478264
  • 2024-04-03