- 作家名
- 浅田孝
- ASADA Takashi (index name)
- Asada Takashi (display name)
- 浅田孝 (Japanese display name)
- あさだ たかし (transliterated hiragana)
- 生年月日/結成年月日
- 1921-03-19
- 生地/結成地
- 愛媛県松山市
- 没年月日/解散年月日
- 1990-12-04
- 没地/解散地
- 東京都渋谷区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 建築
- 2019
- 東京文化財研究所「浅田孝」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10323.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「浅田孝」『日本美術年鑑』平成3年版(326-327頁)自然と都市の共存を提唱した都市計画家、浅田孝は12月4日午後9時54分、心不全のため東京都渋谷区の都立広尾病院で死去した。享年69。大正10(1921)年3月19日、愛媛県松山市に生まれる。旧制松山高等学校理科甲類を経て、昭和18(1943)年、東京帝国大学工学部を卒業する。戦後、同21年から東京大学大学院で都市計画、地域計画を学び直す一方、丹下健三助教授と協力して丹下研究室を創立する。同26年東...
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浅田 孝(あさだ たかし、1921年3月19日 - 1990年12月4日)は、日本の都市計画家・建築家。香川県出身。戦後活躍する丹下健三の右腕として、丹下の数々の建築作品に関与。他、後に大阪万博を主導することになる建築家・デザイナーグループ「メタボリズム」を結成するなど、多方面で活躍。南極大陸昭和基地プレファブユニットの設計、横浜市六大事業(みなとみらい21地区の開発、横浜ベイブリッジ構想、港北ニュータウン等)横浜市における都市計画の骨格つくりから、横浜こどもの国、世界デザイン会議、香川県の五色台開発や坂出人工土地、美濃部亮吉東京都知事時代の「広場と青空の東京構想」、大阪万博と沖縄海洋博プロデュース、国レベルの政策研究機関である総合研究開発機構(NIRA)設立、さらに本四連絡橋(瀬戸大橋)を架ける提案をした人物として知られている。甥には『構造と力』などの著者で元京都大学経済研究所准教授で京都造形芸術大学教授の浅田彰がいる。
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- 2023-02-20