浅井忠

安政3年6月21日（太陽暦では1856年7月22日）、江戸木挽町（現・東京都中央区）の佐倉藩中屋敷に生まれた。幼名は忠之丞常保。 幼少より絵を好み、漢学や書にも勤しんだ。1863（文久3）年、参勤交代の緩和に伴って佐倉へ移住し、父の病死に伴って家督を相続。1868（明治元）年頃、南宗画家の黒沼槐山に師事して槐庭の号を与えられた。1873（明治6）年には東京へ出て英学も学んだ。 1876（明治9）年、周囲の反対を押し切って画家を志し、国沢新九郎の画塾・彰技堂に入門。次いで工部美術学校へ入学した。ここでイタリア人画学教師アントニオ・フォンタネージから西洋絵画教育を受けた。同期入学者には小山正太郎、松岡壽、高橋源吉、印藤真楯、守住勇魚、藤雅三、中丸精十郎、山本芳翠、五姓田義松等がいて、翌月には女子の入学も許され、神中糸子、山下りん等が入学した。フォンタネージは高尚な教育と高邁な人格によって画学生たちを魅了したが、1878（明治11）年に辞任し、「今後は一途に天然を師として勉強せよ」（松岡寿先生伝記編纂会編『松岡寿先生』松岡寿先生伝記編纂会、1941年、29頁）との教えを残して帰国。プロスペロ・フェレッティが後任となったが、その程度の低さに憤慨した浅井、小山、松岡、印藤、高橋等は同年11月に連袂退学し、研究団体・十一会を結成（1880年4月に解散）。松井昇、本多錦吉郎等もこれに合流した。翌年、浅井は東京師範学校（のち高等師範学校）の図画教員となったが、1881（明治14）年、同校助教諭任官の直後に退官。この間、小山等とともに各地へ旅行し、風景写生に励んだ。 アーネスト・フェノロサが日本画保護と洋画排斥を唱えたのに対し、1883（明治16）年、浅井は小山、高橋、松井、本多等とともに挽回の策を話し合い、1887（明治20）年の東京府工芸品共進会には浅井と小山を中心に、仲間たちで32点もの油彩画を出品して「日本画を圧打し得るの気勢を示した」（「浅井忠氏逝く」読売新聞1907年12月17日付［再録：島田康寛・前川公秀監修『浅井忠全作品集』東京美術俱楽部、2016年、589頁］）。このときの出品作と考えられる《農夫帰路》（1887年、ひろしま美術館）は国内に現存する浅井の最初期の作である。1889（明治22）年には小山、松岡、松井、高橋、本多、長沼守敬とともに洋風美術家大同団結の発起人となり、「明治美術会」を創設。その事業のひとつとして、英国から来日中の水彩画家アルフレッド・イーストの講演会を開催したが、これは水彩画ブームの端緒をなした。明治美術会第1回展も開催され、浅井は《春畝》（1888年、東京国立博物館、重要文化財）等3点を出品。1892（明治25）年からは同会事務所に仮教場を開設し（1894年からは「明治美術学校」へ改称）、浅井は本多、高橋、松井、松岡等とともに絵画科教授を務めた。 1894（明治27）年、日清戦争に際しては「時事新報」の画報隊員として従軍。従軍は9月14日から12月6日まで及んだが、その間、日本では明治美術会にフランス帰りの黒田清輝、久米桂一郎が参加したことで洋画家たちの間に足並みの乱れが生じた。1896（明治29）年、黒田は独立して白馬会を結成し、東京美術学校に新設された西洋画科の教員にもなったのに対し、明治美術学校と明治美術会は活動を一時休止したため、ジャーナリズムは黒田の新派「紫派」と浅井の旧派「脂派」との対立を囃し立てたが、浅井はむしろこれを岡倉天心による洋画界への分断工作であると見ていた。浅井も小山も、黒田とは良好な関係にあり、1897（明治30）年には浅井と黒田が千葉の海辺で正月をともに祝うという出来事もあった。このときの作と考えられている浅井の《御宿海岸》（1897年頃、京都国立近代美術館）には外光派の色彩表現からの影響が窺える。 明治美術会創立10年紀念美術展覧会が開催された1898（明治31）年の7月、浅井は東京美術学校西洋画科の教授に就任した。白馬会と明治美術会とのバランスを考慮し、後者からも代表者を起用することにした結果であるといわれ、浅井自身「人身御供」にされたと述べた。翌年には東京高等師範学校の西洋画講師を兼ねたが、これは、小山が図画教育方針をめぐる岡倉天心との対立の末に同校を追われたあと美術教育において劣勢となっていた洋画式の教育法が、勢いを挽回することにつながった（約半年後に浅井から小山へ交代）。 1899（明治32）年には黒田、久米、松岡、小山、長沼等とともにパリ万国博覧会の臨時博覧会鑑査官に任命され、翌1900（明治33）年、パリ万国博覧会に合わせてフランスへ留学。デザインの研究に取り組んだ。かねて正岡子規の雑誌『ホトトギス』における図案改良運動に関係していた浅井は、博覧会場でアール・ヌーヴォー様式の最新デザインや世界各地のデザインを学び、フランスの美術館、博物館、美術学校、織物や鋳物の工場を熱心に見学した。そうした中で同年9月、中沢岩太と出会い、美術工芸を談じて意気投合し、帰国後には、中沢が創設準備を進めていた京都高等工芸学校（現・京都工芸繊維大学）の教授に迎えられた。 留学中には画家としても飛躍を遂げた。同年8月、河北道介とともにパリ近郊のグレー村に赴いて以後、1902（明治35）年までの間に4回も同地を訪ね、特に和田英作とのグレー滞在は半年間にも及んだが、油彩画《グレーの秋》（1901年、東京国立博物館）や水彩画《河畔洋館》（1902年、泉屋博古館）等の名作群がグレーで制作された。 1902（明治35）年7月に帰国し、9月には京都へ移住。京都高等工芸学校の教授に就任した。翌年6月には自宅の門長屋に聖護院洋画研究所を開設し、伊藤快彦、桜井忠剛、牧野克次の画塾をここに吸収して多くの塾生を指導したが、1906（明治39）年3月、これを解消する形で関西美術院が創設され、浅井が院長に就任した。聖護院洋画研究所と関西美術院からは安井曾太郎、梅原龍三郎、津田青楓をはじめ多くの画家たちが輩出された。 浅井は京都の工芸界からも指導者として仰がれることとなった。1903（明治36）年4月頃には中沢を中心に図案家の神坂雪佳や武田五一等、陶芸家の錦光山宗兵衛、五代清水六兵衛、宮永東山、伊東陶山、沢田宗山等とともに遊陶園を結成し、陶器図案の改良運動を指導。1906（明治39）年8月には同じく中沢を中心に武田五一や神坂雪佳、谷口香嶠、古谷紅麟、伊東陶山等、漆芸家の迎田秋悦、杉林古香、戸島光孚、岩村真次郎、富田誠等とともに京漆園を結成し、ここでも図案改良運動を指導した。浅井が京都において多彩に試みた新たな図案は、彼の号「黙語」に因んで「黙語図案」と呼ばれた。もっとも、遊陶園や京漆園に集った作家たちが黙語図案の影響下にあったのは浅井の生前だけで、没後その影響は神坂雪佳によって一掃されたが、京都の工芸図案の近代化において浅井の活動が重要な画期をなしたのは間違いない。 1907（明治40）年、飛騨旅行中に体調を崩し、2度の東京出張からの帰洛後に卒倒。12月9日に京都帝国大学病院に入院し、同月16日に逝去。 （梶岡 秀一）（掲載日：2024-12-16）