アメリカの視点から:アートプラットフォーム事業の現状と今後


2023年2月9日

対談企画

チェルシー・フォックスウェル(シカゴ大学准教授)、ガブリエル・リッター(カリフォルニア大学サンタバーバラ校准教授)、バート・ウィンザー=タマキ(カリフォルニア大学アーヴァイン校教授)の3人が、APJの成果と今後への期待を語る。(敬称略)

2名の男性と2名の女性が横並びに立ってこちらをみている写真
左から: ガブリエル・リッター、バート・ウィンザー=タマキ 、大館奈津子、チェルシー・フォックスウェル

2018年より文化庁主導で推進してきたアートプラットフォーム事業(Art Platform Japan、以下 APJ)。日本における現代アートの持続的発展を目指し、オンラインでの資料公開や国際的なワークショップなど、様々な活動を行ってきた。

今回レポートするのは2022年9月24日、世界から約50名のゲストを迎え、同時配信付きで開催された文化庁アートワークショップ(会場:愛知芸術文化センター)におけるランチディスカッションの模様である。

ランチの参加者はアメリカより来日した教授3人。チェルシー・フォックスウェル(シカゴ大学東アジア言語文明学科准教授)、ガブリエル・リッター(カリフォルニア大学サンタバーバラ校准教授・大学美術館館長)、バート・ウィンザー=タマキ(カリフォルニア大学アーヴァイン校教授)各氏に、今回のプログラム及びAPJに対する意見を伺った。

モデレーターは、APJのステアリングコミッティーである日本現代アート委員会会員でありNPO法人芸術公社の大館奈津子が務めた。以下、多岐に渡った議論の一部を抜粋して紹介する。

アート関連文献の選定と翻訳

大館奈津子(以下、大館): 私たちは100本近くの重要文献の翻訳を行っています。この取り組みについてどう思われますか?

バート・ウィンザー=タマキが話をしている写真Bert Winther-Tamaki

バート・ウィンザー=タマキ(以下、ウィンザー=タマキ): 私はフェミニズムの視点から日本の現代アートを考察している児島薫の作品に興味があります。うち一つ(「着物の女性像に見る近代日本のアイデンティティ」)は英訳が掲載されていますが、他の作品もぜひ追加なさると良いと思います。まだ新しい研究ですし、海外での日本現代アート研究における重要な文献となるでしょう。

私が大学で講義をしたくても、学生の興味を引き出すのに十分なレベルの英語教材がない限り、そのテーマを選ぶことはできません。

また、プレスリリースのようなリソースだけでも講義は成立しません。授業計画を立てるにあたり、そのテーマに関する良質の英語文献があるかどうかは、一つの選定基準となります。

チェルシー・フォックスウェル(以下、フォックスウェル):採用するのにふさわしい文献であるかどうかも見なければいけませんね。

バート・ウィンザー=タマキ:翻訳の精度が高くなければいけませんし、重要な歴史問題との紐付けができているかどうかも。アクセスできる文献は存在しますが、これらの条件を満たしていないことが多いです。

大館: 翻訳の質の向上は、私たちの課題の一つです。

APJでの翻訳プロセスは以下の通り。


日本現代アート委員会が文献を選定し、翻訳者を決定。翻訳された原稿は、そのトピックの有識者、あるいは文献の著者がクロスチェックを行ってから、翻訳者にフィードバック。その後、編集と校正、事実確認を経て、APJのウェブサイトで公開。


ウィンザー=タマキ氏は、選定文献の英訳を一つ手がけている(北川民次 「私の美術教育」)。

ウィンザー=タマキ:APJの翻訳を進めるにあたり、ガイドラインを受け取りました。読み応えのある大変興味深い内容で、アンドリュー・マークル氏と富井玲子氏によって書かれたものだったと思います。そこには翻訳作業で直面する問題に対処するための、あらゆる提案が詳細にまとめられています。 私が担当した翻訳文献にも、ある問題がありました。著者が明らかな地理の間違いをしており、アンデス山脈が北アメリカ大陸にあると書いていたのです。このような時にどう対応したらいいのか? APJの翻訳プロジェクトは、とても洗練されたやり方で、このような問題に立ち向かっています。それが違いを生みます。

大館:プロジェクトで扱っているテーマについてはどう思われますか?

当サイト内にて推薦文献をテーマごとに紹介するページの画面キャプチャhttps://artplatform.go.jp/ja/resources/readings/themes (画像は2022年12月時点)

ウィンザー=タマキ:環境についての文献のことでしょうか?

大館:はい。「環境/社会/制度」について。

ウィンザー=タマキ:実を言うと、このテーマは良いとは思いませんでした。私は環境の分野にいますが、環境のテーマの中で社会や制度を扱うことに違和感を覚えます。他にも、私が考える環境とは相容れない内容がありました。“アーバニズムと環境” とでもいったほうが理解できそうです。

ガブリエル・リッター(以下、リッター):「80年代」は?

ウィンザー=タマキ:このテーマは素晴らしいですね。

リッター:キュレーターとして私は少し前に80年代の世界をテーマに展覧会を打ち出したことがありまして、その時の美術館側の反応は「なぜ80年代に興味を持つのか」という感じでした。思うに80年代はベルリンの壁崩壊やインターネットの誕生など、世界を変える大きな出来事が起こった時代です。日本から見た1980年代に関する文献があれば非常に役立つだろうと思います。

我々はAPJの翻訳プロジェクトと深く関わっていますが、対外的にはどうでしょうか?文化庁はこれらの英訳文献をどのように発信しているのでしょうか?これらの資料の存在を研究者たちや教授陣に知らせることが大切です。

3人は、これらの文献の存在を必要な人々に知らせる方法として、ソーシャルメディアの活用を提案する。

紙の書籍vsオンラインデータベース

フォックスウェル:英訳されている近現代の日本アートの数少ない文献の一つに、カイカイキキ(村上隆が率いるアートカンパニー)が出版した辻惟雄の『奇想の系譜』がありますね。彼らが声をかけたのは、当時コロンビア大学博士号課程の学生だったアーロン・リオ氏で、彼は現在ニューヨークのメトロポリタン美術館で日本アートのアソシエートキュレーターを務めています。彼が仕事を受けることができるように後押ししたのは、当時ニューヨークにいた塩野入弥生氏(芸術弁護士・ストラテジスト)でした。

リッター:彼は、私が当時在籍していたミネアポリス美術館の日本アートのアシスタントキュレーターでした。美術品の手配を手伝ってもらいまして、すばらしい展覧会を開催することができました。

フォックスウェル:翻訳文献が適切なものであるならば、1冊でもあると違いますね。

フォックスウェルが話をしている写真Chelsea Foxwell

リッター:APJは翻訳文献の出版は考えてないのでしょうか?

まるで辞書のような薄い紙に印刷されてびっくりするほどの厚さになった出版物を見かけることがありますが、実物のコピーを世界の図書館の閲覧室に所蔵することは、研究者にとって有益だと思います。インターネットのリサーチでは引っかからずに存在すら知り得なかった資料も、図書館に行けば司書がその在処を教えてくれますから。

大館:私たちは黒ダライ児の 『肉体のアナーキズム』 と 『美術の日本近現代史』(翻訳は7~9章、暮沢剛巳、北澤憲昭、光田由里・著)を翻訳しました。どちらも来年、ルーヴェン大学プレスから出版されます。

ウィンザー=タマキ:非常に重要な出版物になりますね。

リッター:かなりアカデミックな内容ではありますが、多くの学生や研究者に読まれていくことでしょう。カレッジや大学の研究図書館での主要なリソースの一つにAPJのウェブサイトを加えることはとても重要です。

日本の国立美術館のオンラインデータベースにアクセスしたことが何度かありますが、システムが未発達で、作者名を検索してもテキストしか表示されず、画像がほとんどないのが残念です。基本情報があるだけでも助かったりしますが。

ウィンザー=タマキ:それはAPJのプラットフォームのコンテンツですよね?

大館:はい。「SHŪZŌ」というデータベースです。

全国美術館収蔵品サーチ「SHŪZŌ」の画面キャプチャhttps://artplatform.go.jp/ja/resources/collections (画像は2022年12月時点)

ウィンザー=タマキ:それが今まさに改善されているのではないでしょうか。

大館:データベースと作品を、アーティストのレファレンスに結びつけています。アーティストを検索すれば、その作品やあらゆる関連ドキュメントが見つけられるように改善しています。

フォックスウェル:デジタル資料に関して図書館が抱えている問題の一つは、リンクが年月ともに頻繁に移行してしまうことです。例えば翻訳のアンソロジーが出版されると、図書館はその本を購入してコレクションし、検索できるようにします。最近は目次も索引できますから、掲載されている10人の作家うち誰かひとりが気になったら、検索すればその本もヒットするわけです。一方、アンソロジーがウェブサイトで公開となる場合は、リンクが移行していくため管理が及ばなくなってしまう。

図書館から言われるのは、もし良いデータベースがあるなら、本同様に図書目録に加えるから教えて欲しいということです。しかし3年も経てばリンクは移行してしまいますから、全く役に立たないのです。

大館:我々は国内外の日本現代美術展の開催記録も集積し、データベース化しています。また、1945年以降の日本の画廊の基本情報も収集して公開しています。これについてはどう思われますか?

フォックスウェル:プレゼンテーション用のリスト※をまとめるのに利用させていただきました。手伝いに入ってもらった私の生徒の一人が使いました(※ 「アメリカの美術館における戦後・現代日本美術展覧会の近年の傾向 成長と多様性の促進を見据えて」のリスト。同日午前中に開催された文化庁現代アートワークショップで発表)。

リッター:拝見しました。非常に広範囲にわたる情報で印象的でしたね。


写真と著作権問題

大館:SHŪZŌ」の検索機能は現在、日本全国152の主要博物館の収蔵品を集約したデータを公開しています。これについてご意見はありますか?

フォックスウェル:画像の数が足りませんね。もっと多くの、なおかつ大きな画像が必要です。

ウィンザー=タマキ:重要な点だと思います。作品名をリストの中から探し出すことができても、作品自体を見ることできないのは難点です。たまに画像が付いている作品もありますが、小さすぎて講義で使うことすらできません。

リッター:シェアもできない。

フォックスウェル:研究もできないです。

ウィンザー=タマキ:サムネイルではない高解像度の画像でなければ用途がありませんね。

フォックスウェル:パワーポイントで使うとしても600 x 800ピクセルは欲しいです。

リッター:アメリカでは、著作権によって制限されることがあります。日本にはフェアユースのサイズ規定があるのでしょうか?アメリカでは、オンライン使用で合意されたサイズがあり、それより大きくなると著作権侵害となります。日本でも同じようなサイズ規定があるかどうかは存じませんが、パワーポイントで使えるくらいのサイズは用意するべきです。

ウィンザー=タマキ:私たちは弁護士ではないので明言できませんが、法的な問題になってきますよね。パワーポイントで使うことができたら、他のことにも使えてしまう。

ちなみに東京では多くの図書館に行きましたが、スキャンを許可している図書館はありませんでした。スキャンしたければ、まず図書館で紙にコピーして、それをコンビニに持って行き、jpegファイルに変換するという手間が必要になります。

リッターが話をしている写真Gabriel Ritter

リッター:日本研究フェローシップでの滞在時、私は東京国立美術館の研究員でしたが、その立場でも原本のスキャンは一度もできませんでした。自前で購入したスキャナーを持ち込んでも、図書館で許可が下りるのは紙のコピーだけでした。

ウィンザー=タマキ:それは何年も前の話ですよね。私が図書館に行ったのは今週ですが、何も変わっていなくてショックでした。久々だったので、デジタル化させてもらえるだろうと期待していたのです。法が何を規制しているのかわかりませんが、非常にうんざりしてしまいます。

アメリカの図書館では棚から本を取ったらその場で、大型のスキャナーで高解析のスキャンができるのが普通です。私たちはそうすることに慣れています。

ここで疑問なのは、日本の法律とは何かということ。もし法で禁止されているのなら、従わないわけにはいかないですから。

リッター:このプロジェクトを立ち上げた文化庁が支持するかどうかが論点になりますね。政府が動かなければ、誰も実現できません。

ウィンザー=タマキ:アメリカの著作権法では、画像が商業目的の利用かどうかが分かれ目です。日本の法律でも同じでしょうか?

リッター:特別な収蔵品をアメリカではどのように扱うのかという話になっていますが、それらは特別な資料などではなく、書店や図書館にある本ばかりですよね。

ウィンザー=タマキ:良い指摘だと思います。

リッター:閲覧専用図書館や一連のテキストが公開されていて、利用者が写真を撮ったりスキャンをできる方法があり、過剰に保護されていなかったとしたら、非常に使いやすくなるのではないでしょうか。

国際交流を促進し、次世代をつなぐ

大館:APJは、文化庁現代アートワークショップをはじめ多様なワークショップや講演会を開催してきました。日本国内のキュレーター同士の交流や、海外キュレーターとのネットワークを推進するワークショップです。学者の方々も招聘します。この取り組みについてどう思われますか?

ウィンザー=タマキ:私はこのプロジェクトの恩恵を受けている一人です。自分から積極的に表に出るタイプではないので、このようなフォーラムの機会がなければ素晴らしい方々と出会うことはなかったでしょう。とても感謝しています。

リッター:このプロジェクトはパンデミック中に始まりましたよね。見事なストリーミング技術による素晴らしい事業だと思います。文化庁が支援しているプロジェクトであり、ZoomやYou Tubeで生中継されて録画もある。以前のワークショップはそこまで進化していませんでした。参加者以外は見ることができませんでしたし、独占的な内容や批判的な意見を交わすといったこともありませんでした。現在、ワークショップが一般公開となっているのは、大きな進歩だと思います。

フォックスウェル:しかもオンラインなので、離席するのも戻るのも自由です。記録されたワークショップは、後で参考資料として使うこともできます。編集する作業と費用の面が大変だと思いますが。

リッター:視聴者にとっては、同時通訳があることが重要です。

フォックスウェル:大学院や博士課程の学生向けの取り組みもあるといいですね。

学生時代、日本美術史の国際ワークショップに参加した経験を持つフォックスウェル氏。このワークショップでは、日本とアメリカ、他の国々の博士課程の大学院生が出会い、研究を共有したという

フォックスウェル:日本と英語圏の教授が集まる場で、大学院生が研究や論文のトピックを発表したり、美術館を訪ねたりしました。著名な教授たちと他の博士課程の学生たちが一緒に美術館を巡り、保管されたアートを見るのです。

当時、ニコール・ルーマニエール氏(英センズベリー日本藝術研究所所長、イースト・アングリア大学日本美術文化教授)にこう言われたのを覚えています。将来、私たちはみな同僚になるだろうと。まだ若かったですし、それが本当になるなんて思ってもみませんでした。

このワークショップで一緒になったからこそ、他の国の研究者たちとつながったのです。彼らはそれぞれ自国において日本アートを牽引する第一人者たちです。

このようなプロジェクトは次世代へ広げていくべきです。直面する問題は、資金と組織構造の不在です。もし私がシカゴ大学でプロジェクトを進めようとしたら、資金を調達し、運営スタッフを見つけなければいけません。個人でやるには負担が大きすぎます。

リッター:研究年度に来日したことを思い出します。私は大学とは関係なく、東京国立美術館のアソシエイトという特殊な立場にありました。派遣社員のようですが、自分の研究をすることが仕事だったのです。資料にアクセスできて、日々アーカイブを掘ることができました。他の学生とつながるようなワークショップはありませんでしたが、私が東京にいることを知った他の学生たちとは研究会を通して出会い、交流しました。
このような交流の場を、文化庁の支援で作ることはできないのでしょうか?

フォックスウェル:アトリエ訪問など、実践的なことはできそうです。学生たちは読書会で集まったりできますし。プロジェクト実現のためには何か特別なことをしなければいけないのかもしれません。

リッター:文化庁がそのようなイニシアチブを支援できたら素晴らしいですね。ちょうど今日の会合をサポートしているように。

フォックスウェル:日本美術史の分野で共通するのは、ルートの問題です。私の学生の中には現代アートを研究したいのに、日本語の習得で苦労している人がいます。大学院生が日本語を短いルートで習得できなければ、日本アートの博士号は修得でいません。APJで入手できる翻訳文献やその他の資料を利用し、学生はなるべく早い段階で研究に着手する必要があります。

大館が話をしている写真Odate Natsuko

APJの今後の展望

大館:APJは美術館でも学会でもなく、文化庁の5ヵ年事業です。2023年3月31日に終了します。

ウィンザー=タマキ:学会となりそうな感じですね、現在の機能を継続したままの形で。

フォックスウェル:研究所のような?

ウィンザー=タマキ:そうですね。APJは価値ある事業となっていますし、継続されることを願います。

写真:仙石健(.new)
編集・文:ヨンシャン・ガオ
翻訳:齊藤香菜
構成:合六美和