- 作家名
- 清水南山
- SHIMIZU Nanzan (index name)
- Shimizu Nanzan (display name)
- 清水南山 (Japanese display name)
- しみず なんざん (transliterated hiragana)
- 清水亀蔵 (real name)
- 生年月日/結成年月日
- 1875
- 生地/結成地
- 広島県豊田郡能地村(現・三原市幸崎町能地)
- 没年月日/解散年月日
- 1948-12-07
- 没地/解散地
- 東京
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 工芸
- 2014
- 東京文化財研究所「清水南山」日本美術年鑑所載物故者記事. 登録日2014-04-14. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8537.html
日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art
「清水南山」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(138頁)帝室技芸員、芸術院会員として彫金界の元老であつた南山清水亀蔵は、12月7日腹膜炎のため練馬区の自宅で逝去した。年74。明治8年3月30日広島県豊田郡に生れ、明治29年東京美術学校彫金科を卒業、同年11月研究科に入つて加納夏雄、海野勝珉につき、さらに32年9月には塑造科に入学、藤田文蔵に師事した。35年研究科修了後は自営して彫金にはげみ、明治42年6月から香川県立工芸学校に奉職して約6年にわたつた。...
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清水 南山(しみず なんざん、本名: 清水 亀蔵、1875年3月30日 - 1948年12月7日)は、広島県豊田郡能地村(現・三原市幸崎町能地)出身の彫金家。日本画の大家である平山郁夫の祖母の兄。広島県出身者としては初めて特待生として東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学した。最初は絵画科(日本画)へ所属していたが、後に彫金科に編入した。彫金科を卒業後に研究科で加納夏雄、海野勝珉に、塑造科で藤田文蔵に学んだ。その後は独自の創作活動を続け、彫金界の第一人者としての地位を築いた。1909年、香川県立工芸学校の教諭になるが、6年余りで退職し、奈良県に住んで法隆寺の古美術を研究した。1919年から1945年までは母校の東京美術学校の教授として、学生の指導に当たった。この間、帝室技芸員(1934年12月3日)、日本彫金会会長、帝国美術院会員を歴任した。その作風は伝統技法を大切にした格調高いもので、「梅花図鍍金印櫃」などの代表作を残している。南山の専門とする彫金は金属面を鏨で彫り崩し、絵画的文様を表現するという極めて装飾性の高い技術である。第二次世界大戦が終結する一か月前、東京美術学校を退官して故郷に疎開し、そこで終戦を迎える。戦後、物資がとぼしく材料や工具など不自由であったが創作活動を続けた。そして1948年12月7日、結核性腹膜炎を患い病床に伏し、東京の自宅で死去した。享年73。
- 2023-02-20