A2086

若林奮

| 1936-01-09 | 2003-10-10

WAKABAYASHI Isamu

| 1936-01-09 | 2003-10-10

作家名
  • 若林奮
  • WAKABAYASHI Isamu (index name)
  • Wakabayashi Isamu (display name)
  • 若林奮 (Japanese display name)
  • わかばやし いさむ (transliterated hiragana)
生年月日/結成年月日
1936-01-09
生地/結成地
東京府南多摩郡町田町原町田
没年月日/解散年月日
2003-10-10
没地/解散地
東京都杉並区
性別
男性
活動領域
  • 彫刻
  • 版画

作家解説

1936年1月9日、東京府南多摩郡町田町原町田に生まれる。1954年3月、東京都立立川高等学校を卒業し、翌年4月、東京藝術大学美術学部彫刻科に入学。在学中の1959年2月、初個展を開催し(みつぎ画廊・東京)、翌3月に卒業後、製綿業を営む町田の生家で制作を始める。1960年の初出品から1966年の退会まで、二科会で受賞を重ねる一方、「彫刻の新世代」展(1963年、東京国立近代美術館)、「現代美術の新世代展」(1966年、同)、「第7回現代日本美術展」(1966年、東京都美術館)などに出品し、早くから注目された。 「鉄で彫刻をつくるのではなく、彫刻によって鉄をつくる」(註1)と述べるように、若林の彫刻は、その主要な素材である鉄をめぐる独自の思索と結びついていた。熱を与え、叩き、削り、溶接した鉄は塑造のごとく変容し、やがて錆びて腐蝕する。その具象とも抽象ともつかぬ不可思議な形態は、詩的なタイトルを伴うことで見る者の想像力を掻き立てた。《残り元素》I〜V(I〜IIIは1965年、神奈川県立近代美術館、IVは1966年、国立国際美術館、Vは1966年、豊田市美術館)や、《熱変へ》I〜II(Iは1964年、高松市美術館、II[3rd Stage]は1965/1990年、豊田市美術館)などが初期の代表作として挙げられるが、1966年の個展(秋山画廊・東京)でこれらを見た柳原義達は「鉄塊に挑み、鉄塊の生命をみつめている」(註2)と称賛し、詩人の加藤郁乎をして「鉄火の妖術師」(註3)と言わしめた。 1960年代、制作の傍ら、浜素紀との交流を通じて、FRP成形技法による自動車の制作に携わった経験は、技術のみならず彫刻の新たな知見をもたらした。「飛行機にせよ、自動車にせよ外側から見た形というのが一方にあり、他方に操縦者など中から見た形がある」(註3)といった認識から、空間の外部と内部、自身と対象である自然との関係性への意識が生まれ、「人間界に対する自然界の代表としての犬」(註4)が彫刻に現れ始めたのもこの頃である。 一方、各地で野外彫刻展が設立された1960年代後半、第2回現代日本彫刻展(1967年、宇部市野外彫刻美術館)や第1回現代彫刻展(1968年、神戸須磨離宮公園)に出品し、《中に犬・飛び方》(1967年、神奈川県立近代美術館)や《犬から出る水蒸気》(1968年、同)が受賞。その特異性を美術評論家の土方定一は「カフカ的思考を彫刻としている唯一の作家」(註5)と評したが、作家の関心は次第に「量塊」から「面」へと向かった。面とは、彫刻が空間に置かれるその表面であり、内部と外部、地上と地下を仕切る面である。その転回点となったのが大阪万博の前年に開催された「国際鉄鋼シンポジウム」に出品した《3.25 mのクロバエの羽》(1969年、万博記念公園・大阪)である。この彫刻は、現在も万博記念公園に残るが、見えるのは地表面の鉄板だけで、作家の「陰険な想像」(註6)によれば、本体であるハエの姿を地下に隠すことでみせるという逆説的な発想であった。 1973年、神奈川県立近代美術館で個展「若林奮デッサン・彫刻展」を開催し、同年秋、文化庁の芸術家在外研修員として渡仏。約1年間、エジプトの遺跡や南仏、スペイン北部の旧石器時代の洞窟壁画を見て回るなかで、目前の壁の向こうに目には見えない「幾重にも層になった『重ね描き』が形成されている」(註7)ことを感得する。現在から過去、自身と自然との間に堆積する時空の隔たりをいかに捉えるのか。その手がかりを、本来、不可測な「振動」をはかる観念上の「尺」に求めた。「振動尺」が彫刻として誕生したのは、滞欧中に制作した《立体ノート—気体・固体・液体・現在》I–VIII(1973–1974年、豊田市美術館)を経た帰国後のことである。1977年の個展(雅陶堂ギャラリー[現・Yokota Tokyo]、東京)で《振動尺試作》I-III(II[2nd Stage]は1976–1977年、東京国立近代美術館、IIIは1977年、高松市美術館)を発表。続く《振動尺》I–V(1977–1999年)も水平性を志向する棒状の形態であった。一方、銅板を上下に積み重ねた《100粒の雨滴》I–III(Iは1976年 豊田市美術館、IIは1976年 高松市美術館、IIIは1977–1979年 中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館)は垂直性を特徴とし、いずれも「振動尺」を根幹に据えた新たな展開として、1980年の第39回ヴェネツィア・ビエンナーレで発表された(コミッショナーは岡田隆彦)。 1980年代初め、若林は当時、勤務していた武蔵野美術大学(東京)の実習棟に「鉄の部屋」を設置し、それを起点に水平、垂直にかわる独自の座軸を探った。自らを取り囲む空間をめぐり、「部屋」の外と内の関係を捉え直すその試みは、自身と自然との関係を問い直すことでもあった。「以前から私は自分が自然の一部であることを確実に知りたいと考えていた。その確認のために様々なものを観察し、彫刻や絵をつくることが必要であった」(註8)という一文を1986年の個展に寄せている。また、時期は前後するが、『境川の氾濫』(発行:雅陶堂ギャラリー、1982年)は、川の氾濫をめぐる自然現象を観察し、素描と文章にまとめた画文集である。若林にとって、時々刻々と変化する自然の生命的な循環は、いずれ錆びて朽ちる鉄の変容と相即するものであった。 こうした構想をもとに、1984年に東京都西多摩郡瑞穂町にアトリエを構えた頃から、さまざまな実践が始まる。《大気中の緑色に属するもの I》(1982年、愛知県美術館)に続き、1986年、第45回ヴェネツィア・ビエンナーレに《大気中の緑色に属するものII》([1st Stage]1986年、その後改変、WAKABAYASHI STUDIO蔵)を発表し(コミッショナーは酒井忠康)、彫刻の形式は単体から複数の部分で構成する大規模なインスタレーションへと変貌した。その視座は庭という外部空間へと拡張し、《軽井沢・高輪美術館の庭》(1982–1985年、現・セゾン現代美術館、長野)や《神慈秀明会神苑[しんじしゅうめいかいみその]の庭》(1986–1996年、神慈秀明会、滋賀)に展開する。一方、小さな缶の中に風景を造作した連作〈100線〉も併行して進められ、自然と模型、外部と内部、地上と地下の関係を組み替え、往還するなかで、若林は互いの境界にある「地表面はあいまいである」(註9)という考えに至る。 ヴェネツィア・ビエンナーレ以降、各地で個展が開催された。1987年の個展(東京国立近代美術館ほか)に続く1988年の個展(北九州市立美術館)では、初期からの彫刻を網羅した図録が編纂された。1992年、初期からの素描類が東京国立近代美術館に寄贈されたのを機に『所蔵品目録補遺 若林奮資料』(同館、1994年)が編纂され、「若林奮展:素描という出来事」展(同館、1995年)が開催された。また、1990年の町田市立国際版画美術館での版画による個展に続き、「煙と霧」展(足利市立美術館ほか)では初期からの版画を収録した図録が編纂された。青梅市御岳にアトリエを移した1997年、国内での「1989年以後」展(名古屋市美術館ほか)とは別に、ドイツでも個展(マンハイム市立美術館ほか)が開催された。 1990年代に入り、東京都西多摩郡日の出町のゴミ処分場建設反対運動に参加した若林は、1995年にトラスト地(建設予定地)での庭の制作にかかる。詩人の吉増剛造により《緑の森の一角獣座》と命名されたこの庭は、その後、東京都の強制収用により2000年に破壊されたため現存しない。環境問題や行政が関与しつつも、本質的には、消滅することで残るという若林独自の芸術観に通底する作品であった。また、「休息」という構想をもとに、庭にあった石や植栽を日の出町内の別の土地に移して制作した「新しい庭」は、庭の死と再生という新たな展開を生んだ。2000年、霧島アートの森(鹿児島)に設置された《4個の鉄に囲まれた優雅な樹々》は、こうした経緯や発想をもとに手がけた最後の庭である。人は樹木について「その生長を見続けることは出来ない」(註10)が、それゆえに庭を植物の持つ時間に託すという構想は、府中市美術館屋外に設置した《地下のデイジー》(2002年)に繋がっていく。 2002年の豊田市美術館、2003年の川村記念美術館での個展開催後、病床で制作した小品の彫刻《飛葉と振動》(2003年、II, IV, VIは横須賀美術館)を発表したのが生前最後の個展(横田茂ギャラリー、東京)となった。芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。10月10日、胆管癌のため急逝(享年67)。没後、作家の遺志を受け継ぎ、随筆集『I.W—若林奮ノート』(書肆山田、2004年)が刊行され、2006年には《Valleys》[2nd stage]が横須賀美術館に設置された。その後も、《軽井沢・高輪美術館の庭》や《大気中の緑色に属するもの》II、《所有・雰囲気・振動—森のはずれ》(武蔵野美術大学 美術館・図書館)などの修復や再設置も含め、この類い稀な作家が戦後日本の彫刻史に残した業績の多様な検証が行われている。 (朝木由香)(掲載日:2025-12-01) 註1 若林奮、前田英樹著『対論・彫刻空間 物質と思考』書肆山田、2001年、74頁。 註2 柳原義達「若林奮:画廊から」『美術手帖』第264号、1966年3月、122頁。 註3 若林奮「自動車・犬・彫刻」『芸術新潮』第19巻第8号、1968年8月、119頁。 註4 同上書、119頁。 註5 土方定一「第2回現代日本彫刻展について」『現代日本彫刻展第2回 作品目録図録』1967年。 註6 若林奮「ある陰険な想像 現代彫刻の可能性 国際鉄鋼シンポジウム参加13作家の発言」『みづゑ』第779号、1969年12月、10–11頁。 註7 若林奮『境川の氾濫 1976–1979』雅陶堂ギャラリー、1982年2月、51頁。 註8 『若林奮Isamu Wakabayashi:Drawing1986』展カタログ、アキライケダギャラリー、名古屋、1986年。 註9 若林奮『7月の冷却と加熱』彌生画廊、1986年2月、37頁。 註10 同上書、37頁。

1959
若林奮個展, みつぎ画廊, 東京, 1959年.
1963
彫刻の新世代, 国立近代美術館 (京橋), 1963年.
1965
第50回二科展, 東京都美術館, 1965年.
1966
若林奮彫刻展, 秋山画廊, 東京, 1966年.
1967
第2回 現代日本彫刻展, 宇部市野外彫刻美術館, 1967年.
1969
国際鉄鋼彫刻シンポジウム, 大阪後藤鍛工内特設アトリエ (展示: 日本万国博覧会場,大阪, 1970年), 1969年.
1973
若林奮: デッサン・彫刻展, 神奈川県立近代美術館, 1973年.
1977
若林奮: 彫刻, 雅陶堂ギャラリー, 1977年.
1980
第39回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展, ヴェネツィア, 1980年.
1984
若林奮: 所有・雰囲気・振動-森のはずれ, アキライケダギャラリー, 東京, 1984年.
1986
第42回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展, ヴェネツィア, 1986年.
1987
若林奮展: 今日の作家, 東京国立近代美術館, 京都国立近代美術館, 1987年.
1988
若林奮: 1986.10–1988.2, 北九州市立美術館, 1988年.
1995
若林奮展: 素描という出来事, 東京国立近代美術館, 1995年.
1996
煙と霧: 若林奮展, 足利市立美術館, 郡山市立美術館, 山形美術館, 1996–1997年.
1997
Isamu Wakabayashi, マンハイム市立美術館, ドイツ, ルートヴィヒ・フォーラム・アーヘン, ドイツ,1997–1998年.
1997
若林奮: 1989年以後, 名古屋市美術館, 神奈川県立近代美術館, 大原美術館, 高知県立美術館, 1997年.
1999
若林奮 新作展: 犬は旋回する, ケンジタキギャラリー, 名古屋, 1999年.
2001
Ikiro / Be Alive: Contemporary Art from Japan, 1980 until Now, クレラー・ミュラー美術館, 2001年.
2002
若林奮, 豊田市美術館, 2002年.
2003
若林奮: 振動尺をめぐって, 川村記念美術館, 2003年.
2003
若林奮: 飛葉と振動, 横田茂ギャラリー, 2003年.
2005
若林奮: くるみの樹: Drawing 1999–2003, 多摩美術大学美術館, 2005年.
2008
若林奮: Valleys, 横須賀美術館, 2008年.
2015
若林奮: 飛葉と振動, 名古屋市美術館,足利市立美術館, 神奈川県立近代美術館 葉山,府中市美術館,うらわ美術館, 2015–2016年.
2021
コレクション展: 若林奮 新収蔵作品: 河合コレクション, 神奈川県立近代美術館 葉山,2021年.
2023
若林奮: 森のはずれ, 武蔵野美術大学美術館・図書館, 2023年.

  • 神奈川県立近代美術館
  • 豊田市美術館, 愛知県
  • 高知県立美術館
  • 東京国立近代美術館
  • 愛知県美術館
  • 国立国際美術館
  • 横須賀美術館, 神奈川県
  • 高松市美術館, 香川県
  • 千葉市美術館
  • セゾン現代美術館, 長野県軽井沢町
  • いわき市立美術館, 福島県
  • 東京都現代美術館
  • うらわ美術館, 埼玉県
  • 世田谷美術館, 東京
  • クレラー・ミュラー美術館, オランダ

1966
柳原義達「若林奮: 画廊から」『美術手帖』第264号 (1966年3月): 120–122頁.
1968
若林奮「自動車・犬・彫刻」『芸術新潮』第19巻第8号 (1968年8月): 119頁. [自筆文献].
1969
加藤郁乎「若林奮 鉄火の妖術師 作家に聞く」『美術手帖』第309号 (1969年2月): 143–151頁.
1969
若林奮「ある陰険な想像 現代彫刻の可能性 国際鉄鋼シンポジウム参加13作家の発言」『みづゑ』第779号 (1969年12月): 10–11頁. [自筆文献].
1973
神奈川県立近代美術館編『若林奮: デッサン・彫刻展』[鎌倉]: [神奈川県立近代美術館], [1973年] (会場: 神奈川県立近代美術館).
1973
土方定一「若林奮の経験の集約 真夏の夜の、ひとりごと」『三彩』307号 (1973年9月): 38–51頁.
1974
酒井忠康「若林奮論 あるいは魯迅に駆られた断章」『美術手帖』第376号 (1974年1月): 140–165頁.
1974
若林奮「エジプトへ 消去と不明の補充」『美術手帖』第376号 (1974年1月): 168–169頁. [自筆文献].
1982
若林奮『境川の氾濫: 1976-1979』東京: 雅陶堂ギャラリー, 1982年. [自筆文献].
1986
若林奮「自分の部屋のなかに森を作ることを考えた。自分が自然の一部であることを確実に知りたかった」『Isamu Wakabayashi: Drawing 1986』Nagoya: Akira Ikeda Gallery, 1986年 (再録: 『アトリエ』第711号 (1986年5月): 53–60頁). [自筆文献].
1987
東京国立近代美術館編『若林奮展: 今日の作家』東京: 東京国立近代美術館, 1987年 (会場: 東京国立近代美術館, 京都国立近代美術館).
1988
北九州市立美術館編『若林奮: 1986.10–1988.2』[北九州]: 北九州市立美術館, 1988年 (会場: 北九州市立美術館). [彫刻レゾネ].
1994
東京国立近代美術館編『若林奮資料 東京国立近代美術館所蔵品目録 補遺』東京: 東京国立近代美術館, 1994年.
1995
東京国立近代美術館編『若林奮展: 素描という出来事』[東京]: 東京国立近代美術館, 1995年 (会場: 東京国立近代美術館).
1996
郡山市立美術館[ほか]編『煙と霧: 若林奮展カタログ』[出版地不明]: 若林奮展実行委員会, 1996年. (会場:足利市立美術館, 郡山市立美術館, 山形美術館). [版画レゾネ].
1997
神奈川県立近代美術館編『若林奮: 1989年以後』[東京]: 東京新聞, 1997年. (会場: 名古屋市美術館, 神奈川県立近代美術館, 大原美術館, 高知県立美術館). [展覧会カタログ].
1997
Städtische Kunsthalle Mannheim, Ludwig Forum für Internationale Kunst, eds. “ISAMU WAKABAYASHI.” Mannheim: Städtische Kunsthalle, 1997. (Venues: Städtische Kunsthalle Mannheim and Ludwig Forum für Internationale Kunst). [Exh. cat.].
1997
吉増剛造, 若林奮挿画「緑の森の一角獣 旅」[連載]1–8『武蔵野美術』104号 (1997年5月): 1–2頁; 105号 (1997年7月): 1–2頁; 106号 (1997年10月): 1–2頁; 107号 (1998年1月): 1–2頁; 108号 (1998年4月): 1–2頁; 109号 (1998年7月): 1–2頁; 110号 (1998年10月): 1–2頁; 111号 (1999年1月): 1–2頁.
1999
ユミコ チバ アソシエイツ編『緑の森の一角獣座 若林奮』東京: ユミコ チバ アソシエイツ, 1999年.
2001
若林奮, 前田英樹『対論・彫刻空間 物質と思考』東京: 書肆山田, 2001年.
2001
Bremer, Jaap. ‘Isamu Wakabayashi 1936.’ In “IKIRO / Be Alive: Contemporary Art from Japan, 1980 until Now,” 43–47. Otterlo: Kröller-Müller Museum, 2001. [Exh. cat.].
2002
豊田市美術館編『若林奮』豊田: 豊田市美術館, 2002年. (会場: 豊田市美術館). [展覧会カタログ].
2003
『若林奮 銅・弧』東京: ケンジタキギャラリー, 2003年. (会場: ケンジタキギャラリー, 東京). [展覧会カタログ].
2004
若林奮『I.W: 若林奮ノート』東京: 書肆山田, 2004年. [自筆文献].
2005
多摩美術大学美術館編『若林奮: くるみの樹DRAWING 1999-2003』東京: 多摩美術大学, 2005年. (会場: 多摩美術大学美術館). [展覧会カタログ].
2008
横須賀美術館編『若林奮 VALLEYS』横須賀: 横須賀美術館, 2008年. (会場: 横須賀美術館). [展覧会カタログ].
2008
酒井忠康『若林奮 犬になった彫刻家』東京: みすず書房, 2008年.
2015
名古屋市美術館[ほか]編『若林奮 飛葉と振動』東京: 読売新聞社[ほか], 2015年. (会場: 名古屋市美術館, 足利市立美術館, 神奈川県立近代美術館 葉山, 府中市美術館, うらわ美術館). [展覧会カタログ].
2015
一角獣座を緑の森に残す会編『若林奮《緑の森の一角獣座》記録集1995–2015』東京: 一角獣座を緑の森に残す会, 2015年.
2017
市川政憲『近さと隔たり/存在する、美術』東京: 書肆山田, 2017年.
2019
東京文化財研究所「若林奮」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28279.html
2021
神奈川県立近代美術館編『若林奮 河合コレクション』[出版地不明]: 河合孝典, 2021年. (会場: 神奈川県立近代美術館 葉山). [展覧会カタログ].
2021
平出隆『丘と杖 若林奮短懐. via wwalnuts 叢書28』[出版地不明]: via wwalnuts 28, 2021年.
2023
鳥越麻由編『若林奮 森のはずれ』東京: 武蔵野美術大学美術館・図書館, 2023年. (会場: 武蔵野美術大学美術館・図書館). [展覧会カタログ].

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

彫刻家で、多摩美術大学教授の若林奮は、10月10日、胆管がんのため東京都杉並区の病院で死去した。享年67。1936(昭和11)年1月9日、東京府町田町原町田1番地に生まれる。55年4月、東京芸術大学美術学部彫刻科に入学。59年2月、みつぎ画廊(東京)で最初の個展を開催。同年3月同大学を卒業、基礎実技教室の副手となる(61年まで)。60年9月、第45回二科展に初入選。同展には、66年の第51回展まで...

「若林奮」『日本美術年鑑』平成16年版(303-304頁)

Wikipedia

若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 2003年10月10日)は日本の彫刻家。東京都町田市出身。東京都立立川高等学校、東京芸術大学美術学部彫刻学科卒業。鉄、銅、鉛などの金属素材を用いて自然をモチーフとした彫刻を制作した。1980年、1986年のベネチア・ビエンナーレに出品。武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を歴任した。詩人の吉増剛造や河野道代と共同制作を試みている。また700点の銅版画作品も制作しており、吉増剛造は没後に銅板を譲り受けてオブジェ作品を制作している。

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VIAF ID
110311861
ULAN ID
500327853
AOW ID
_00712303
Benezit ID
B00193633
Grove Art Online ID
T090387
NDL ID
00090121
Wikidata ID
Q11616480
  • 2025-10-14