A1727

濤川惣助

| 1847 | 1910-02-09

NAMIKAWA Sōsuke

| 1847 | 1910-02-09

作家名
  • 濤川惣助
  • NAMIKAWA Sōsuke (index name)
  • Namikawa Sōsuke (display name)
  • 濤川惣助 (Japanese display name)
  • なみかわ そうすけ (transliterated hiragana)
生年月日/結成年月日
1847
生地/結成地
下総国海上郡(現・千葉県旭市)
没年月日/解散年月日
1910-02-09
性別
男性
活動領域
  • 工芸

作家解説

1847(弘化4)年6月15日、下総国海上郡蛇園村(現・千葉県旭市蛇園)の農家に生まれる。父・濤川源左衛門は農業のかたわら商いを手掛け、篤志家としても知られており、二男の惣助を幼少期より同郷の医師で学問に精通した堤純慶[つつみじゅんけい]の元で学ばせる。惣助は15歳の時に商業を志し商家に奉公に出て、18歳頃の1864(元治1)年に江戸に出て日本橋小田原町の魚商にて手傳、行商を行い、1869(明治2)年、日本橋浪花町(現・人形町)の綿商に就き、海外輸入綿糸取引に従事する。1870(明治3)年、縁あって24歳で日本橋小田原町にて酒商を営む橘家の婿養子となり、橘直吉を名乗り商人として独立した。家業を富ませ1875(明治8)年、店を義弟にゆずり、自身は姓を濤川に戻して小間物商をしつつ、新たな起業の機会をみていた(註)。 1877(明治10)年に東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会が惣助の転機となる。いづれも驚くばかりの種々の展示物が会場に並ぶなか、ことに七宝焼に興味を持ち、会場にて惣助は「取り分けて七宝焼といへる輸出多き陶器を認め、美術の品ハ少なからねどこの品こそハ見込みあり、吾れハ是よりこれに類する品を工夫し又此品とても新機軸を出して今一層盛んに行ハれしめんと思い」(篠田正作『実業立志―日本新豪傑傳』大阪: 偉業館、1892年)との思いを抱いた。会期中は足しげく会場に通い、出品されている商工業品をくまなく見て、新たな時代に即した製品を探し求め、七宝に着目したのである。輸出工芸品の中でも七宝は最も高雅で、上流層の嗜好に適しているが、製造方法は千有余年の旧法で、その進歩は未だ僅かといえ、新たな手法を用いれば進歩は著しと見たのである。博覧会の閉会後、惣助は直ちに三河地方の七宝や陶磁器の産地を巡り視察し、製造・販路も含め熟慮し、自らが望む製品づくりを実現できる製造元と特約を結び、惣助が考案する七宝および陶磁器の改良や開発、製造に着手する。 1878(明治11)年1月には日本橋区新右衛門町8番地(現・中央区)に美術品貿易商を開業し、外国人向けに七宝や陶磁器の販売を始める。当初は磁器に色彩を施す絵付け法の「彩磁」に力を注ぎ、陶工、画工らと共同で製作した「濤川製」の陶磁器を国内外で販売し始める。同年の第3回パリ万国博覧会では外国人に任せて、自身の手掛けた製品を販売し、実業家として製品開発や市場動向の感覚を養う。一方で、志である新機軸となる七宝の製作技法の開発に取り組み、後に惣助七宝の図柄を担う、画家・渡辺省亭[わたなべせいてい](1851–1918年)にであう。省亭は起立工商会社[きりつこうしょうかいしゃ]の製品図案を手掛け、同社から第3回パリ万国博覧会に派遣され、最先端の海外事情を見聞きしきた人物で、帰国後に惣助の七宝改良に携わる。1879(明治12)年3月に惣助が自ら「千古未曽有ノ新法」「嵌線ヲ省テ書画ヲ顕出スル新式ノ製造ヲ発明」(岡本隆志「濤川惣助『七宝製墨画月夜深林図額』について」『三の丸尚蔵館紀要』15号、宮内庁、2010年)と、述べたように線を省いた省線、いわゆる無線七宝技法を発明した。5月には、東京牛込区神楽町に工場を持つ名古屋七宝会社に事業協力を持ちかけ、資金等の協力は得られなかったが、名古屋七宝会社名義で惣助が製品を製造する場を得た。同工場は翌1880(明治13)年に惣助の実質的経営となる。 1881(明治14)年の第2回内国勧業博覧会では「惣助製」で出品した「彩磁」の磁器が二等有功賞となる。同博覧会では名古屋七宝会社が《七寶畫製器》で名誉賞牌を得ているが、これは惣助が携わった新式の七宝であった。1883(明治16)年アムステルダム万国博覧会にて一等賞金牌、1885(明治18)年ロンドン発明品博覧会銅牌を得る。ニュルンベルク金工博覧会に際しては、農商務省博覧会掛より国内の出品評価人を命じられる。同博では名古屋七宝会社の名義で出品した七宝が金牌となった。1887(明治20)年5月には皇居御造営事務局より皇城後席の間《七宝製鳩飛遊べる釘隠し》の製造を拝命する。1888(明治21)年5月の美術展覧会にて《七宝焼扁額》が二等賞銀牌を得て、伏見宮の御用品となり、後にデンマーク皇室への贈答品となる。1889(明治22)年第4回パリ万国博覧会では七宝が大賞、彩磁は三等賞となった。同年、《七宝唐花文花盛器》(皇居三の丸尚蔵館、東京)が、前年に竣工した明治宮殿の調度品となる。 1890(明治23)年の第3回内国勧業博覧会に向け、内閣より審査官、博覧会事務局より第一部兼第二部勤務を拝命する。同展では二部へ出品した《七宝畫史屏風》(現・《七宝貼込屏風》、東京国立博物館)が名誉金牌となる。歴代の絵師による名画を七宝で巧みに製作し屏風に仕立てたもので、七宝製作の種々の技法を組み合わせ、原画に倣って名画を忠実に再現した。惣助が開発した新たで多様な七宝技法が高く評価され、まさしく七宝に新機軸を打ち立てた。1893(明治26)年のシカゴ・コロンブス博覧会に向け、七宝や陶磁器を大量に準備する様子が、「世界博覧会へ六トンの七宝を出品」(『国民新聞』1892年1月27日付)と前年の新聞記事に見え、そこでは「宮中製造品御用達七宝考案家」とも紹介され、実業も名声も高めており、博覧会では《七寶富嶽図》(東京国立博物館)が米国の現地でも賞賛された。本作は2011(平成23)年に重要文化財となった。 1895(明治28)年4月緑綬褒章を拝し、「濤川惣助に緑綬褒章」(『東京新聞』1895年4月23日付)にて「七宝王の名ある濤川惣助」と評され、褒章の理由が次のように報じられた。「顔料を探煉し、窯技を研鑽し、ついに省線、無線、無紋、截透、透明の製法及び各色濃淡暈しなど三百六十種の彩釉を発明し、古今の図画を応用し、人物、山水、花卉、翎毛を模写して巧みに真趣を露わし、或いは写生設色以て動物の形像を肇造す。(中略)本邦美術の光輝を赭揚すること尠なしとせず、洵に実業に精励し、発色の模範となすと」。同年の第4回内国勧業博覧会では七宝扁額《七寶春暁山櫻額》にて妙技一等賞となる。 1896(明治29)年には帝室技芸員となり、同年には日本銀行から壁面を飾る大きな額の注文を受けて、七宝界のためにも自分の力を尽さなくてはと自負し、製作に取り組んでいたことが關如来[厳二郎]『当世名家 蓄音機』(東京: 文禄堂、1900年)に見える。1897(明治30)年からは1900(明治33)年第5回パリ万国博覧会への出品製作の準備を始め、1899年春には水墨画調の出品作《七宝製墨画月夜森林図額》(皇居三の丸尚蔵館、東京)が完成した。同博覧会には日本政府の補助金を得て製作した色鮮やかな《有線七寶岩上孔雀額》とともに大賞を受ける。1903(明治36)年第5回内国勧業博覧会では《無線七寶雲月圖額》が一等賞、1904(明治37)年セントルイス万国博覧会では《省線七寶額富士》、《無線七宝額芦ニ鴨》、《無線七宝額雲ニ月》などを出品し大賞を受ける。博覧会での名声のみならず、『萬朝報』(1906年2月2日付)には、東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮、国宝)の七宝製作に関わる惣助と省亭を伝える記事がある。惣助の七宝業の集大成となった東宮御所の花鳥の間と小宴の間の七宝額絵の製作で、下絵は省亭が担当した。合計32枚の額絵を1908(明治41)年1月までに御造営局に納品している。東宮御所の造営においては、1904(明治37)年に建築の総指揮を行う内匠頭に片山東熊[とうくま](1854–1917年)が就き、室内装飾には黒田清輝(1866–1924年)も携わり、本格的な西洋の建築や美術を学んだ人材が力を尽くし、近代国家の威信をかけた事業であった。 しかし、そのわずか2年後、1910(明治43)年2月9日、惣助は神奈川県平塚の別荘で67歳の生涯を閉じた。訃報を伝える新聞の見出しは、「七宝の大家死去」(『都新聞』1910年2月11日付)で、記事にはその気質を「気の勝った人」とあり、日本橋の「店」では夫人が外国人に英語で接客し、惣助は製作に集中したとある。同年5月からの日英博覧会への出品が予定され、《海上月掛額》、《芙蓉花扁額》、《月下飛鴨扁額》、《冬富士掛額》が美術品出品鑑査合格となった。 惣助の七宝業への参入は、尾張や京都の七宝業より後発であったが、それゆえに徹底して他所とは異なる技法や製品の開発に取り組んでいる。惣助は実業家として日本橋の「店」と神楽町の「工場」を軸に、画家や七宝工、陶磁器工らと協働して、惣助が考案した先進的な製品を次々と創り出した。その展開の地が、新たな時代の新都・東京であったことも惣助の七宝業の可能性を開かせたといえる。七宝技法の改良により、七宝額絵に発揮された技術力は、工芸を新たな時代の生活空間における調度品にもし、先端的であった。「魁」の字を梅花の輪花で囲んだ銘は、惣助に相応しい銘といえよう。一方で惣助は職工たちの養成にも力を注ぎ、熱心な職工が亡くなるとその遺族の教育を支援した(浦上慎吾編『國鏡 信用公録 第17編』東京: 國鏡社、1904年)。また、社会奉仕にも取り組み、囚人救済を目的に技術を習得させ、工賃を支給し製作を行わせ、放免後にその技で社会復帰する者を育成することなどを行っている(吉丸一昌『修身訓和―精神修養』大阪: 武田交盛館、1911年)。 惣助の七宝は、皇居三の丸尚蔵館(《七宝桃色暈花瓶》1889年、《七宝莞宇無双図瓶》1894年、《七宝桜図花瓶瓶》1910年、《七宝双蝶香合瓶》1970年)、京都国立近代美術館、東京国立博物館、清水三年坂美術館(京都)、濤川惣助顕彰会(千葉)ほかで所蔵されている。 (武藤 夕佳里)(掲載日:2023-10-02) 註 篠田正作『実業立志―日本新豪傑傳』(大阪: 偉業館、1892年、338–346頁) 河合壽造『日本立志編』(大阪: 偉業館、1893年、319–323頁) 關厳二郎『当世名家 蓄音機』(東京: 文禄堂、1900年、122–126頁) 浦上慎吾編『國鏡 信用公録 第17編』東京: 國鏡社、1904年、16–17頁) 吉丸一昌『修身訓和―精神修養』大阪: 武田交盛館、1911年、189–193頁) 林天然『房総の偉人』(千葉: 多田屋支店出版部、1925年、145頁)

1997
海を渡った明治の美術: 再見! 1893年シカゴ・コロンブス世界博覧会, 東京国立博物館, 1997年.
2002
明治天皇と明治美術の名宝: 明治天皇御生誕百五十年記念展, 明治神宮, 2002年.
2004
世紀の祭典万国博覧会の美術: 2005年日本国際博覧会開催記念展: パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品, 東京国立博物館, 大阪市立美術館, 名古屋市博物館, 2004–2005年.
2009
皇室の名宝: 日本美の華: 御即位二十年記念特別展, 東京国立博物館, 2009年.
2010
帝室技芸員濤川惣助の七宝: 没後100年記念 : 特別展, あま市七宝焼アートヴィレッジ, 2010年.
2012
内国勧業博覧会: 明治美術の幕開け, 宮内庁三の丸尚蔵館, 2012年.
2013
皇室の名品: 近代日本美術の粋, 京都国立近代美術館, 2013–2014年.
2014
超絶技巧! 明治工芸の粋, 三井記念美術館, 佐野美術館, 山口県立美術館, 2014–2015年.
2016
驚きの明治工藝, 東京藝術大学大学美術館, 細見美術館, 川越市立美術館, 2016–2017年.
2017
驚異の超絶技巧! 明治工芸から現代アートへ, 三井記念美術館, 岐阜県現代陶芸美術館, 山口県立美術館, 富山県水墨美術館, あべのハルカス美術館, 2017–2019年.
2017
Polished to Perfection: Japanese Cloisonné from The Collection of Donald K. Gerber and Sueann E. Sherry, ロサンゼルス・カウンティ美術館, 2017–2018年.
2018
明治150年展: 明治の日本画と工芸, 京都国立近代美術館, 2018年.
2019
Seven Treasures A Trove of Japanese Cloisonné, フランクフルト工芸美術館 (Museum Angewandte Kunst), 2019年.
2021
渡辺省亭: 欧米を魅了した花鳥画, 東京藝術大学大学美術館, 岡崎市美術博物館, 佐野美術館, 2021年.
2022
日本美術をひも解く: 皇室、美の玉手箱: 特別展, 東京藝術大学大学美術館, 2022年.
2022
綺羅めく京の明治美術: 世界が驚いた帝室技芸員の神業: 特別展, 京都市京セラ美術館, 2022年.

  • 京都国立近代美術館
  • 京都国立博物館
  • あま市七宝焼アートヴィレッジ, 愛知県
  • 清水三年坂美術館, 京都
  • 東京国立博物館
  • 三の丸尚蔵館, 東京
  • 東京藝術大学大学美術館
  • 静嘉堂文庫美術館, 東京
  • ビクトリア&アルバート博物館, ロンドン
  • ロサンゼルス・カウンティ美術館

1979
鈴木規夫, 榊原悟『日本の七宝』京都: マリア書房, 1979年.
1993
鈴木規夫執筆・編集『七宝 日本の美術』322号 (1993年3月).
1994
Impey, Oliver, Malcom Fairley [et al.] (eds.). 明治の宝 = Meiji no Takara: Treasures of Imperial Japan, Vol. III. The Nasser D. Khalili Collection of Japanese art. London: Kibo Foundation, 1994.
1996
大熊敏之「明治“美術”史の一断面: 一九〇〇年パリ万国博覧会と帝室および宮内省」『三の丸尚蔵館年報・紀要』創刊号 (1996年3月): 35-52頁.
1996
名古屋市博物館編『明治期博覧会出品七宝工総覧: 明治期勧業博覧会に関する調査研究 名古屋市博物館調査報告: 3』名古屋: 名古屋市博物館, 1996年.
2002
大熊敏之「下手・輸出品・御用品: 明治工芸の三つの貌」要邦治, 江馬潤一郎[ほか]編 『明治天皇と明治美術の名宝: 明治天皇御生誕百五十年記念展』東京: 明治神宮, 2002年 (会場: 明治神宮文化館(宝物展示室)).
2004
東京国立博物館 [ほか]編『世紀の祭典万国博覧会の美術: 2005年日本国際博覧会開催記念展: パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品』[東京]: NHK, NHKプロモーション, 日本経済新聞社, 2004年 (会場: 東京国立博物館, 大阪市立美術館, 名古屋市博物館).
2006
村田理如『幕末・明治の工芸: 世界を魅了した日本の技と美』京都: 淡交社, 2006年.
2009
東京国立博物館[ほか]編『皇室の名宝: 日本美の華: 御即位二十年記念特別展』1期, 2期. 東京: NHK, NHKプロモーション, 読売新聞社, 日本経済新聞社, 2009年 (会場: 東京国立博物館).
2010
岡本隆志「濤川惣助「七宝製墨画月夜森林図額」について」『三の丸尚蔵館年報・紀要』15号 (2010年3月): 69-76頁.
2010
『帝室技芸員濤川惣助の七宝: 没後100年記念: 特別展』あま (愛知県): あま市七宝焼アートヴィレッジ, 2010年 (会場: あま市七宝焼アートヴィレッジ).
2012
宮内庁三の丸尚蔵館編『内国勧業博覧会: 明治美術の幕開け』東京: 宮内庁, 2012年 (会場: 宮内庁三の丸尚蔵館) [展覧会カタログ].
2013
京都国立近代美術館, 宮内庁三の丸尚蔵館, 日本経済新聞社編『皇室の名品: 近代日本美術の粋』東京: 日本経済新聞社, 2013年 (会場: 京都国立近代美術館) [展覧会カタログ].
2017
村田理如『明治工芸入門: 清水三年坂美術館村田理如コレクション』東京: 古美術宝満堂, 2017年.
2018
平井啓修, 大長智広編『明治150年展: 明治の日本画と工芸』京都: 京都国立近代美術館, 2018年 (会場: 京都国立近代美術館).
2021
東京藝術大学大学美術館編『渡辺省亭: 欧米を魅了した花鳥画』東京: 小学館, 2021年(会場: 東京藝術大学大学美術館, 岡崎市美術博物館, 佐野美術館)[展覧会カタログ].
2022
京都市京セラ美術館学芸課編『綺羅めく京の明治美術: 世界が驚いた帝室技芸員の神業: 特別展』京都: 京都市京セラ美術館, 2022年 (会場: 京都市京セラ美術館).

Wikipedia

濤川 惣助(なみかわ そうすけ、弘化4年(1847年) - 明治43年(1910年)2月9日)は、日本の七宝家。東京を中心にして活躍、無線七宝による絵画的表現を特色とし、京都で活躍した並河靖之と共に二人のナミカワと並び評された。

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VIAF ID
304238515
AOW ID
_43000302
Wikidata ID
Q11566135
  • 2023-12-01