A1363

古賀春江

| 1895-06-18 | 1933-09-10

KOGA Harue

| 1895-06-18 | 1933-09-10

作家名
  • 古賀春江
  • KOGA Harue (index name)
  • Koga Harue (display name)
  • 古賀春江 (Japanese display name)
  • こが はるえ (transliterated hiragana)
  • 古賀亀雄 (real name)
生年月日/結成年月日
1895-06-18
生地/結成地
福岡県久留米市
没年月日/解散年月日
1933-09-10
没地/解散地
東京府
性別
男性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1895年、福岡県久留米市に生まれる。本名は亀雄[よしお]。父は浄土宗善福寺の住職で、古賀自身も1915年に得度を受け、良昌[りょうしょう]と改名し、同時に呼び名として春江[はるえ]を用いるようになった。幼少期から絵を描くことが好きだった古賀は、福岡県立久留米尋常中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)に入学後、地元の画家松田実(諦晶[ていしょう])に本格的な絵の手ほどきを受けた。1912年には中学を退学して上京し、太平洋画会研究所に入所。また、翌1913年には、設立されたばかりの日本水彩画会研究所にも入所した。1916年に父が亡くなった際には、その遺志を継ぐべく画業を続けながら宗教大学(現・大正大学)の聴講生となるが、1918年に健康上の理由から退学し、以後、画家一本で生きていく決心を固めたと思われる。 上京後から1919年頃までは水彩画を主体に制作し、1917年には《鶏小屋》(所在不明)が二科第9回展に初入選する。1922年には、妻の好江が女児を死産した経験から着想を得た油彩画《埋葬》(浄土宗総本山知恩院、京都)の制作により、二科賞を受賞。さらに同年、神原泰[かんばらたい]、中川紀元[きげん]、矢部友衛ら二科会の新傾向作家たちと前衛グループの「アクション」を結成し、大正期新興美術運動と総称される当時の前衛潮流の一翼を担う作家として認知されるようになる。《涅槃》(1924年、所在不明)、《曲彔[きょくろく]につく》(1923年、アーティゾン美術館、東京)、《誕生》(1924年、同)といったこの時期の代表的な油彩画には、キュビスム、表現派、未来派等の西洋の前衛美術の形式的な影響が色濃く表れている。その一方で、独特の土着性や宗教性を想起させるテーマやモティーフ等には、古賀ならではの特性が認められる。 1926年頃から古賀の作風は、「クレー風」「童画風」と呼ばれるスタイルに転換する。水彩画《遊園地》、《美しき博覧会》(いずれも1926年、アーティゾン美術館)、油彩画《月花》(1926年、東京国立近代美術館)、《窓》(1927年、福岡県立美術館)といったこの時期の代表作には、確かにクレーの影響が認められるものの、クレーの絵画に見られる構築性よりも、気ままな抒情性や空想性が特徴となっている。 1929年の二科第16回展に出品された《海》(東京国立近代美術館)、《鳥籠》(アーティゾン美術館)において、古賀は、それまでの筆触やマティエールを抑制し、写真のような再現的モティーフを画面上にモンタージュする新たな作風へと転換する。同年の二科展には、東郷青児の《Déclaration(超現実派風の散歩)》(SOMPO美術館、東京)、阿部金剛《Rien》(所在不明)、中川紀元の《空中の感情と物理》(所在不明)といった新傾向の絵画が一斉に発表され、古賀の絵画も含むそれらは「超現実主義」「シュルレアリスム」、もしくは美術批評家の板垣鷹穂[たかお]らの言説に依拠した「機械主義」等の標語によってセンセーショナルに報じられた。古賀は翌年以降、最晩年に至るまでこの新傾向の絵画表現をさらに徹底して追及し、《窓外の化粧》(1930年、神奈川県立近代美術館)、《単純な哀話》(1930年、アーティゾン美術館)、《感傷の静脈》(1931年、アーティゾン美術館)といった代表作を集中的に発表していくことになる。また、同時期、東郷や阿部等と共に蝙蝠座第1回公演「ルル子」(築地小劇場、1930年6月12–15日)の舞台装置製作を手掛けるなど、ジャンル横断的な表現の試みを行っている。しかし、1932年以降病気がちとなり、1933年の夏に進行麻痺の診断を受ける。東郷、阿部、峯岸義一ら二科の前衛作家たちとアヴァン・ガルド洋画研究所の創設を協議するなど、前衛美術の発展に寄与する活動を続けていたが、《サーカスの景》(1933年、神奈川県立近代美術館)を最後の作品として、同年9月10日に永眠した。 《海》に始まる古賀の最晩年の絵画は、日本におけるシュルレアリスム受容の端緒に位置付けられると同時に、その枠組みにおさまり切るものではなく、バウハウスやピュリスムといった合理主義傾向のモダニズム芸術的傾向も指摘されている。特に重要なのは、1990年代以降の研究によって、これらの絵画に描かれたモダンガール、工場、潜水艦、機械的な構造物といった当時の最先端のモティーフが、科学雑誌、グラビア雑誌、娯楽誌といった同時代の大衆的メディアがばらまく視覚イメージを、ほぼ手を加えず流用したものであることが判明した点である。《海》、《鳥籠》、《感傷の静脈》には映画女優のイメージも用いられている。なお、この時期の古賀の制作に関する考え方の一端については、「超現実主義私感」(『アトリヱ』7巻1号、1930年1月)ほか、自筆文献に垣間見ることができる。 文学にも造詣が深かった古賀は、初期から最晩年に至るまで詩作を続け、1926年以後は雑誌等でも発表した。生前刊行された唯一の画集である『古賀春江画集』(第一書房、1931年)には自作の図版と作品の解題詩が掲載され、文学と絵画が交差するひとつの世界を形作っている。こうしたメディア横断は、古賀と交流があった前衛詩人・竹中久七や、「アクション」同人だった神原泰も試みていたシネポエムの方法論等との関連性も見出すことができる。また、古賀は最晩年に、新感覚派文学の旗手だった川端康成と親しく交流した。川端は古賀の没後、「末期の目」(『文藝』1巻2号、1933年12月)他の文章において古賀に言及することで、評価の方向性に影響を与えた。また、北原義雄、高田力蔵、竹中久七等と「古賀春江同好会」を設立して遺作を東京国立近代美術館に寄贈するなど、作品の散逸を防ぐことに尽力したことでも知られる。 (谷口 英理)(掲載日:2023-09-11)

1934
日本水彩画会展第21回 (遺作特別陳列), 東京府美術館, 1934年.
1934
二科展第21回 (遺作特別陳列), 東京府美術館, 1934年.
1935
古賀春江遺作回顧展, 紀伊國屋ギャラリー, 1935年.
1941
古賀春江遺作展覧會, 資生堂ギャラリー, 明治美術研究会主催, 1941年.
1941
古賀春江遺作油彩水彩画展覧会, 日動画廊, 1941年.
1953
古賀春江展, 神奈川県立近代美術館, 1953年.
1958
歿後25年記念: 古賀春江展, 石橋美術館, 1958年.
1963
古賀春江展: 異色作家シリーズ第29回, 渋谷東横, 1963年.
1975
古賀春江回顧展: 生誕80周年記念, 福岡県文化会館, 1975年.
1976
古賀春江資料展, 北九州市立美術館, 1976年.
1986
古賀春江: 前衛画家の歩み, 石橋美術館, ブリヂストン美術館, 1986年.
1991
古賀春江: 創作のプロセス 東京国立近代美術館所蔵作品を中心に, 東京国立近代美術館, 1991年.
1996
麗しき前衛の時代: 古賀春江と三岸好太郎, 茨城県近代美術館, 石橋財団石橋美術館, 1996年.
1998
モボ・モガ展: 1910–1935, 神奈川県立近代美術館, ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館, 1998年.
2001
古賀春江: 創作の原点 作品と資料でさぐる, 石橋財団ブリヂストン美術館, 石橋美術館 , 2001年.
2010
古賀春江の全貌: 新しい神話がはじまる。, 石橋財団石橋美術館, 神奈川県立近代美術館葉山, 2010年.
2017
川端康成: 美と文学の森, 久留米市美術館, 2017年.
2020
久留米をめぐる画家たち: 青木繁, 坂本繁二郎, 古賀春江とその時代(石橋財団コレクション特集コーナー展示), 石橋財団アーティゾン美術館, 2020年.

  • 石橋財団アーティゾン美術館, 東京
  • 東京国立近代美術館
  • 神奈川県立近代美術館
  • 福岡県立美術館
  • 茨城県近代美術館
  • 公益財団法人川端康成記念会

1933
川端康成「末期の目」『文藝』1巻2号 (1933年12月) (再録: 『川端康成全集』第13巻, 東京: 新潮社, 1970年, 53–67頁).
1934
『古賀春江』東京: 春鳥会, 1934年 (再録: 速水豊編『古賀春江・都市モダニズムの幻想 コレクション・日本シュールレアリスム: 9』東京: 本の友社, 2000年, 67–225頁).
1941
『古賀春江遺作展画集』東京: 明治美術研究所, 1941年.
1974
『牛を焚く: 古賀春江詩画集』東京: 東出版, 1974年.
1976
古川智次編『古賀春江 近代の美術, 36』 (1976年9月).
1986
中野嘉一『モダニズム詩の時代』東京: 宝文館出版, 1986年.
1992
和田博文『テクストの交通学: 映像のモダン都市 叢書レスプリ・ヌウボオ: 8』京都: 白地社, 1992年.
1996
杉本秀子, 小泉淳一編『麗しき前衛の時代: 古賀春江と三岸好太郎』 [出版地不明]: 「古賀春江と三岸好太郎」展実行委員会, 1996年 (会場: 茨城県近代美術館, 石橋財団石橋美術館) [展覧会カタログ].
2001
森山秀子[ほか] 編著『古賀春江の全貌: 新しい神話がはじまる。』[東京]: 東京新聞, 2010年(会場:石橋美術館, 神奈川県立近代美術館葉山) [展覧会カタログ].
2005
田中淳『画家がいる「場所」: 近代日本美術の基層から』東京: ブリュッケ, 2005年.
2009
速水豊『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造(NHKブックス1135)』東京: 日本放送出版協会, 2009年.
2010
森山秀子[ほか]編著『古賀春江の全貌: 新しい神話がはじまる。』[東京]: 東京新聞, 2010年(会場:石橋美術館, 神奈川県立近代美術館葉山) [展覧会カタログ].
2016
大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド―シュルレアリスムと日本の絵画一九二八 – 一九五三』, 東京, 国書刊行会, 2016年.

Wikipedia

古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した日本の男性洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」は通称である。

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VIAF ID
74762976
ULAN ID
500320670
AOW ID
_00004752
Benezit ID
B00100036
Grove Art Online ID
T047130
NDL ID
00033922
Wikidata ID
Q3128001
  • 2024-02-16