A1505

鈴木長吉

| 1848-09-12(嘉永元年8月15日) | 1919-01-29

SUZUKI Chōkichi

| 1848-09-12(嘉永元年8月15日) | 1919-01-29

作家名
  • 鈴木長吉
  • SUZUKI Chōkichi (index name)
  • Suzuki Chōkichi (display name)
  • 鈴木長吉 (Japanese display name)
  • すずき ちょうきち (transliterated hiragana)
  • 嘉幸
生年月日/結成年月日
1848-09-12(嘉永元年8月15日)
生地/結成地
武蔵国入間郡石井村(現・埼玉県坂戸市)
没年月日/解散年月日
1919-01-29
没地/解散地
東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)
性別
男性
活動領域
  • 工芸

作家解説

嘉永元年8月15日(1848年9月12日)、武蔵国入間郡石井村(現・埼玉県坂戸市)に生まれる。号は嘉幸(かこう、よしゆき)。同国比企郡(現・埼玉県東松山市)の鋳物師、岡野東龍齋[とうりゅうさい]を師として蝋型鋳造[ろうがたちゅうぞう]の技術を学ぶ。1850年代末、師匠が芝神明前で外国人相手に制作を始めたのにともない、長吉も上京したと思われ、1864(元治元)年に同地で独立・開業した(「18歳」で開業という説もある)。持ち前の先見性からいち早く輸出工芸に手応えを感じ活路を見出したようで、海外への工芸品の輸出を目的として1874(明治7)年起立工商会社(–1891年)の開業にあたり鋳造部主任となり、海外輸出向けの金工品を手がけ、とりわけ1876–1883(明治9–15)年には、同社鋳造監督を務めた。1876(明治9)年フィラデルフィア万国博覧会に《銅製振威八荒大香炉[しんいはっこうだいこうろ]》(スコットランド国立博物館)を出品し優秀賞を受ける。この作品の下図が『温知図録』[おんちずろく](明治政府主導による殖産興業のための工芸図案集)に掲載されており、初期にはこうした政府主導の図案や起立工商会社の鋳造部門を担いながら、国内外のニーズをとらえていったものと考えられる。1878(明治11)年パリ万国博覧会には、《孔雀大香炉》(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、ロンドン)を出品、金牌を受ける。起立工商会社の工場で造られたとされる《青銅大燈籠》(1879年竣工、靖国神社、東京)には、「銅工 鈴木嘉幸」の銘がある。1881(明治14)年第2回内国勧業博覧会で工業品として《双鶴噴水器吊局燈[そうかくふんすいきつるしきょくとう]》を出品し進歩賞牌二等賞受賞。1885(明治18)年ニュルンベルク金工万国博覧会で《青銅製鷲置物》(ジョージ・ウォルター・ヴィンセント・スミス美術館、アメリカ・スプリングフィールド)を出品、金牌を受ける。1890(明治23)年第3回内国勧業博覧会で《銅製鷹置物》を出品、二等妙技賞を受ける。1893(明治26)年、アメリカのシカゴで開催されたコロンブス万国博覧会に《鷲置物》(東京国立博物館、重要文化財)、《十二の鷹》(国立工芸館、金沢、重要文化財)を出品、話題となる。両作品の下図が、起立工商会社関連資料(現・東京藝術大学)に含まれていることから同社末期に構想されたと考えられる。この万国博覧会で長吉は、紀念賞を受けている。同年には、明治天皇・皇后両陛下の大婚25年の盛典を翌年に控え、《百寿花瓶》(皇居三の丸尚蔵館、東京)をはじめ、多数の作品の委嘱を受け献上品の制作にあたった。1896(明治29)年3月10日にはその高い技量が認められ、帝室技芸員を命じられている。1900(明治33)年パリ万国博覧会で《青銅山水花瓶》、《岩上双虎置物》(東京国立博物館)を制作し、名誉大賞を受ける。1904(明治37)年セントルイス万国博覧会にも熊や虎の置物を出品し、最高賞を受賞した。晩年は貿易会社東都社を経営したとも言われているが、詳細は明らかになっていない。1919(大正8)年1月29日、東京府北豊島郡滝野川町田端(現・東京都北区)の自宅で没した。享年72(数え年)。 『東京名工鑑[とうきょうめいこうかがみ]』(1879[明治12]年、有隣堂)によれば、長吉は写生に基づく鳥や虫の造形を得意としたとある。博覧会出品作では、鳥のなかでも鷹や鷲といった猛禽類を蝋型鋳造で迫真的に表現し、作品の頂きに鷲や鷹を配した作品が多い。しばしばそれらは、明治期のナショナリズムの高揚という時代の空気を具現化するかのような姿態をとっている。流水、波濤のような捉えにくい形態も繊細巧みに造形化する一方で、ウィーン万国博覧会では丈三尺(約90 cm)、続くフィラデルフィア万国博覧会では丈六尺(約180 cm)、パリ万国博覧会の《孔雀大香炉》では七尺七寸(約240 cm)と、博覧会出品を重ねるごとに作品を大型化させて「未曾有の蝋型鋳造の大作物を創製す」(『第五回内国勧業博覧会審査官列伝』1903[明治36]年刊行)として、長吉の名は広く知られるようになっていく。コロンブス万国博覧会出品の《十二の鷹》は、美術商・林忠正[はやし ただまさ](1853–1906)の意向をふまえて制作され、高い完成度でその期待に応えた。 制作の傍ら、明治期鋳金界第一人者として内国勧業博覧会や共進会で審査員を務めるほか、日本美術協会、東京彫工会、東京鋳金会で指導的役割を果たした。美術、工芸、工業がいまだ未分化の時代に活躍した長吉の制作は、多角的に検証されるべき問題を孕んでいる。 コロンブス万国博覧会の頃には、長吉は、京橋区築地入船町八丁目一番地(現・東京都中央区明石町)に工場を構えていた。この場所は、築地にあった外国人居留地に隣接した場所で、長吉が海外を見据えて仕事をしていたことをうかがわせる。「この工場に使用する人員35名中、鋳物師18名、彫刻師5名、打物師5名、蝋型師5名、画師2名なり」(『読売新聞』1896年7月12日朝刊)とあり、この頃には長吉の工場で、下図の作成、鋳造からその後の彫金による加飾まで、トータルな生産体制をととのえていたと思われる。 しかし世紀の変わり目頃から、海外ではアール・ヌーヴォー様式が興隆し日本の工芸家たちの作品にもその影響が現れてくるとともに、国内では「美術」や「工芸」の区別が明確化してくるなど、工芸に対する考え方が急速に転調する。その変化の勢いなかで、長吉の足跡はかき消されてしまった。 (北村 仁美)(掲載日:2023-11-17)

1997
海を渡った明治の美術: 再見! 1893年シカゴ・コロンブス世界博覧会, 東京国立博物館, 1997年.
2003
工芸の世紀: 名作200余点でたどる: 明治の置物から現代のアートまで, 東京藝術大学大学美術館, 2003年.
2004
世紀の祭典万国博覧会の美術: 2005年日本国際博覧会開催記念展: パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品, 東京国立博物館, 大阪市立美術館, 名古屋市博物館, 2004年.
2013
クローズアップ工芸, 東京国立近代美術館工芸館, 2013年.
2015
ダブル・インパクト: 明治ニッポンの美: ボストン美術館×東京藝術大学, 東京藝術大学大学美術館, 名古屋ボストン美術館, 2015年.
2016
美術工芸の半世紀: 明治の万国博覧会展 2: さらなる挑戦, 久米美術館, 主催: 一般社団法人 霞会館、久米美術館, 2016年.

  • 国立工芸館, 石川県金沢市
  • 東京国立博物館
  • 東京藝術大学大学美術館
  • 三の丸尚蔵館, 東京
  • ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館, ロンドン
  • スコットランド国立博物館, エディンバラ
  • ジョージ・ウォルター・ヴィンセント・スミス美術館, スプリングフィールド
  • ボストン美術館
  • ハリリ・コレクション, ロンドン

1879
東京府勧業課編『東京名工鑑』東京: 有隣堂, 1879年, 64-65頁.
1893
Hayashi, Tadamasa. Twelve Bronze Falcons: Exhibited at the World's Columbian Exposition, Chicago. Tokyo: [s.n.], 1893 [国際日本文化研究センター. 外像: 日文研データーベース. https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GP039001; HathiTrust. https://hdl.handle.net/2027/hvd.32044108417536; https://hdl.handle.net/2027/njp.32101073964726].
1893
“Live Falcons as Models”. Chicago Tribune. (10th September 1893).
1893
“Japanese art at the Chicago Exhibition”. The Builder, LXV No. 2649 (November 1893): 349ff.
1896
大蔵省印刷局『官報』第3901号 (1896年7月1日): 9頁.
1896
「鋳物師 鈴木長吉 新任帝室技芸員の略伝: 9」『読売新聞』 1896年7月12日朝刊: 3面.
1900
Elkan, Walter. “Die Habichte des Chokichi Suzuki in Tokio”, in Kunst und Handwerk: Zeitschrift für Kunstgewerbe und Kunsthandwerk, 50 (1899-1900), 3: 73-75.
1903
金港堂編『第五回内国勧業博覧会審査官列伝』前編, 東京: 金港堂, 1903年, 75-76頁.
1919
「鈴木長吉翁 腎臓病にて逝く」『東京朝日新聞』1919年1月31日朝刊: 5面.
1987
樋田豊次郎編著『明治の輸出工芸図案: 起立工商会社工芸下図集』京都: 京都書院, 1987年.
1990
坂戸市教育委員会編『坂戸市史』近代史料編, [坂戸]: 坂戸市, 1990年, 783頁.
1995
オリバー・インピー [ほか]『ナセル・D・ハリリコレクション: 海を渡った日本の美術』第2巻 上, 本田和美 [ほか]訳. 京都: 同朋舎出版, 1995年.
1997
東京国立博物館編集『明治デザインの誕生: 調査研究報告書『温知図録』』東京: 国書刊行会, 1997年.
1997
伊藤嘉章「シカゴ万博で見せたニッポン熱血"美術外交"」『芸術新潮』第48巻第5号 (1997年5月): 74–81頁.
2003
横溝廣子「工芸の世紀の意味」横溝廣子, 向井知子, 小川真理, 朝日新聞社文化事業部編『工芸の世紀: 名作200余点でたどる: 明治の置物から現代のアートまで』東京: 朝日新聞社, 2003年, 8-15頁 (会場: 東京芸術大学大学美術館) [展覧会カタログ].
2006
横溝廣子「鈴木長吉 十二の鷹」『國華』1328号 (2006年6月): 39–42頁.
2013
横溝廣子 「鷹の挙動, 精神まで捉えようとした鈴木長吉作《十二の鷹》」東京国立近代美術館編『クローズアップ工芸』東京: 東京国立近代美術館, 2013年, 4-11頁 (会場: 東京国立近代美術館工芸館) [展覧会カタログ].
2018
北村仁美「鈴木長吉作《十二の鷹》の自然科学的調査と修復の報告 研究ノート」『東京国立近代美術館研究紀要』第22号 (2018年3月): 72-84, 88頁.
2021
唐澤昌宏, 北村仁美, 田中真希代編『《十二の鷹》と明治の工芸: 万博出品時代から今日まで: 変わりゆく姿: 国立工芸館石川移転開館1周年記念展』東京: 東京国立近代美術館, 2021年(会場: 国立工芸館).
2023
花井久穂「鈴木長吉 作品解説」大谷省吾, 花井久穂, 中村麗子, 増田実和子, 三宅さくら編『重要文化財の秘密: 東京国立近代美術館70周年記念展』東京: 毎日新聞社, 日本経済新聞社, 東京国立近代美術館, 2023年, 242-243頁 (会場: 東京国立近代美術館) .

Wikipedia

鈴木 長吉(すずき ちょうきち、 嘉永元年8月15日(1848年9月12日) - 大正8年(1919年)1月29日)は日本の金工家。号は鈴木嘉幸(かこう、よしゆき)。

Information from Wikipedia, made available under theCreative Commons Attribution-ShareAlike License

  • 2024-03-01