A1458

島成園

| 1892-02 | 1970-03-05

SHIMA Seien

| 1892-02 | 1970-03-05

作家名
  • 島成園
  • SHIMA Seien (index name)
  • Shima Seien (display name)
  • 島成園 (Japanese display name)
  • しま せいえん (transliterated hiragana)
  • 諏訪成榮 (real name)
生年月日/結成年月日
1892-02
生地/結成地
大阪府堺市
没年月日/解散年月日
1970-03-05
没地/解散地
兵庫県宝塚市
性別
女性
活動領域
  • 絵画

作家解説

1892年、大阪府堺市に生まれる。本名は諏訪成榮[なるえ](戸籍上は母の実家の養女)。父は町絵師で趣味人の島榮吉(号は文好[ぶんこう])、兄は図案家で画家の島御風[ぎょふう](本名・市治郎、別号・一翠)。成園は絵を生業とする家庭で父や兄が描くのを見て育った。母・千賀の実家は堺の乳守[ちもり]廓(官許の遊所)の有名な大茶屋の成田屋。幼少期から成園は化粧の濃い花柳界の女性を近くで見て親しみ、後の画題に活かしている。 堺市堺女子高等小学校の第一学年を修了後、おそらく卒業前の1905年頃に一家で大阪市へ移る。団扇絵の制作などで定評のあった兄の仕事を手伝いながら画家を志すようになる。1908年頃より大阪絵画春秋会、浪華絵画図案競技会、内国製産博覧会、巽画会などに出品して受賞を重ねた。1911年には北野恒富、野田九浦、岡本大更らと文部省美術展覧会(文展)に向けた合宿制作に参加している。 成園は北野恒富や野田九浦の門下生とされることもあるが、当時を知る関係者の証言でも明らかなように、彼らとは対等の立場にあった。独学ゆえ特定の師をもたない成園だが、作風は兄の御風に近い。後年の美術家名鑑では、傾向の近い女性画を描いた先輩画家・北野恒富の系譜へ便宜上分類されることが多く、成園自身もそれを否定していない。 成園の名が全国的に知られるようになったのは、20歳で描いた《宗右衛門町の夕》(褒状、1912年、所在不明)の第6回文展への入選である。大阪出身の若く無名の女性が、舞妓を描いた美人画で華やかに全国デビューしたことは、新聞や雑誌などで大きく報じられた。女性日本画家の大先輩である京都の上村松園と東京の池田蕉園も当時、美人画を描いて文展で活躍中だった。そこに大阪から島成園が登場し、いずれも「園」の雅号がつく女性であることから「三都の三園」と並び称せられるようになる。翌年の第7回文展には《祭りのよそおい》(1913年、大阪中之島美術館)が入選し(褒状)、若く有望な画家としての評判を確立させた。少女たちの着物や装身具を細やかに描き分けた《祭りのよそおい》は子供社会における経済格差を主題としており、従来の美人画とは異なる社会的なテーマは現代にも通じる普遍性をもつ。文展には毎年挑戦し、第9回文展に《稽古のひま》(褒状、1915年、所在不明)、第11回文展に《唄なかば》(1917年、所在不明)、第12回文展に《日ざかり》(1918年、所在不明)が入選した。妹の活躍ぶりに触発された島御風も第9回文展に《村のわらべ》、第11回文展に《かげろふ》で入選し、兄妹揃っての快挙が話題になった。 第10回文展に落選して鏑木清方に惜しまれた《燈籠流し》(1916年、関コレクション、大阪)は近年発見された大作である。他にも落選作ではあるが成園の代表作として、第2回再興日本美術院展覧会(再興院展)落選の《香の行衛(原題・武士の妻)》(1915年、福富太郎コレクション資料室、東京)と第4回再興院展落選の《おんな(原題・黒髪の誇り)》(1917年、福富太郎コレクション資料室)がある。いずれも女性の深い悲しみや怨念などの心情を押し出した作品で、成園が表面的な女性美よりも内面の描写に関心を抱いていたことがわかる。 成園の成功に発奮し、同世代の女性日本画家である木谷(吉岡)千種、岡本(星野)更園、松本華羊の三名も続いて大阪から文展入選を果たした。1916年、成園も加わって「女四人の会」(1916年)が結成され、「好色五人女」(井原西鶴)をテーマに展覧会を開催した。若い女性グループによる生意気な行動と非難されたが、「女四人の会」展の快挙は大正デモクラシーを象徴する出来事といえる。 島成園の文展デビューとその後の活躍は、絵が好きな女性に刺激を与えた。上村松園は男性と対等の立場で名声を築いていたが、成園など新進女性画家の活躍に触発された大正時代、全国で画家を志す女性が増えた。少女雑誌に掲載された成園や池田蕉園の口絵は人気を博し、その美人画を女学生らが写したことを、後に洋画家となった三岸節子は回想する。成園の画塾も入門者が増え、塾生のうち秋田成香[せいこう]と伊東成錦[せいきん]は後に帝国美術院展覧会(帝展)に入選している。 大阪には多くの画家が活動していたが、東京、京都を中心とする近代的な美術界においては審査員級の画家が不在で立場が弱かった。大正期の大阪は小団体の成立や対立が相次ぎ、地元では希少な文展作家として成園は、男性画家で組織された団体にも名を連ねている。なかでも「絵画は自己の精神の内にどんなものがあるかを示す」ことを謳った「茶話会」(大阪茶話会とも)への参加は重要である。茶話会試作展に出品した《無題》(1918年、大阪市立美術館)は成園の自画像であるが、右頬には現実にはない痣が描かれている。傷ついた女性の心情と、世間を呪いながら運命を見返そうとする精神の強さが描かれた作品は時代を超えたメッセージ性を有し、今日も女性たちの共感を呼ぶ。 第2回帝展に入選した《伽羅の薫》(1920年、大阪市立美術館)は成園の代表作である。描かれるのは島原の太夫だが、身体は細長くデフォルメされている。赤と黒の色彩の強烈な対比はデカダンな雰囲気に満ちて、花柳界の中年女性が厚化粧した姿はどこか戯画的である。大阪の女性画家として先陣を切った当時28歳の成園は、美人画を超えた女性像に取り組み始め、新たな制作の境地をめざしていた。 《伽羅の薫》を発表直後の1920年12月、危篤だった父の願いと兄の計らいで、成園は思いがけず銀行員・森本豊治郎と見合い結婚する(入籍は1926年)。貧乏でも独立して画家として生きていく決意をした矢先のことであるが、従順な娘として従わざるを得なかった。夫が成園の実家に入るかたちをとり、妻の画業継続に異存はなかったが、成園は思うように描けない創作の深刻なスランプに陥ってしまう。画塾を続け、依頼画の制作は行い、個展も開催したが、《無題》や《伽羅の薫》を描いた頃の溢れるような気迫が戻ることはなかった。官展への入選は第8回帝展の《囃子》(1927年、有形文化財神田の家「井政」、東京都千代田区)が最後となる。《お客様(原題・祭りの客)》(1929年、髙島屋史料館、大阪市)は第10回帝展落選作である。 横浜正金銀行に勤める夫は1924年、上海支店に転勤する。成園は同地を訪れて、新たな画題として《上海にて》(1925年頃、大阪市立美術館)など異国情緒の女性像を描いた。この頃になると、大阪の女性日本画家のなかでは木谷千種や生田花朝、恒富門下の星加雪乃らが中心を担っている。1933年から大阪女流画家展が開催され、成園も出品している。長年大阪に暮らした成園だったが、1937年、夫の転勤先である小樽に内弟子(後に養女)の岡本成薫を連れて移り、以後は夫の転勤先である大連(現・中国遼寧省)、芝罘(現・中国山東省)、横浜(神奈川)、松本(長野)、岡谷(長野)に同行する。1946年、夫の退職を機に大阪市内へ戻り、画業を再開して個展や成薫との二人展を開催した。1970年、転居先の兵庫県宝塚市にて78歳で生涯を閉じた。 没後は長く忘れられていたが、島成園の主な作品は大阪市立美術館や福富太郎コレクション資料室などに収蔵され、時おり紹介されてきた。大阪中之島美術館が準備室時代に大阪の女性日本画家たちの調査研究を始め、顕彰が進み始めた。島成園が第一線で活躍していたのは大正時代の短期間だが、成園がめざした女性表現は、同時代の上村松園や池田蕉園とも異なる資質をもつ。「美人画」に留まらず、生身の人間としての女性の内面を鋭く表現した成園の人物像は、現代人にも通じる普遍性を湛えている。 (小川知子)(掲載日:2024-10-29)

1912
第6回文部省美術展覧会, 竹之台陳列館 (東京), 1912年.
1916
女四人の会, 大阪三越, 1916年.
1923
島成園個展, 長堀橋髙島屋 (大阪), 1923年.
1986
女性画家・おんなの四季を謳う, 板橋区立美術館, 1986年.
1997
美術都市・大阪の発見: 近代美術と大阪イズム 大阪市立近代美術館「仮称」展覧会, ATCミュージアム(大阪), 1997年.
2004
島成園と大阪の女流日本画家たち. 京阪神女流画家たちの競艶: 第1部, 星野画廊, 2004年.
2006
島成園と浪華の女性画家, なんば髙島屋, 2006年.
2007
三都の女: 東京・京都・大阪における近代女性表現の諸相, 笠岡市立竹喬美術館, 稲沢市荻須記念美術館, 高崎市タワー美術館, 2007年.
2008
女性画家の大阪: 美人画と前衛の20世紀, 大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室, 2008年.
2010
島成園と堺の日本画家: 美人画・花鳥画の粋; 第11回堺市所蔵美術作品展, 堺市立文化館, 2010年.
2013
ジャパン・ビューティー: 描かれた日本美人; 知られざるプライベートコレクション, ニューオータニ美術館, 川越市立美術館, 2013年.
2014
島成園と近代女性日本画家: 探そうよ大阪, 堺市立文化館, 2014年.
2014
艶美の競演: 東西の美しき女性; 木原文庫より, 笠岡市立竹喬美術館, 2014年.
2017
北野以悦・北野恒富・島成園展:一族が描く美しき日本画,朝日町立ふるさと美術館, 2017年.
2019
堺に生まれた女性日本画家 島成園, さかい利晶の杜, 2019年.
2020
没後50年 浪華の女性画家 島成園, 大阪市立美術館, 2020年.
2020
三都三園: 上村松園・池田蕉園・島成園, 小林美術館, 2020年.
2021
コレクター福富太郎の眼: 昭和のキャバレー王が愛した絵画, 東京ステーションギャラリー, 新潟県立万代島美術館, あべのハルカス美術館[ほか], 2021–2023年.
2023
大阪の日本画, 大阪中之島美術館, 東京ステーションギャラリー, 2023年.
2023
女性画家たちの大阪: 決定版!, 大阪中之島美術館, 2023–2024年.

  • 大阪市立美術館
  • 大阪中之島美術館
  • 福富太郎コレクション資料室, 東京
  • 有形文化財 神田の家「井政」, 東京
  • 髙島屋史料館, 大阪
  • 実践女子大学香雪記念資料館, 東京
  • 海の見える杜美術館, 広島県
  • 小林美術館, 大阪

1917
島成園「何時までも若々しい気分で: 超越した自由な絵を描きたい」『絵画清談』第5巻9月号 (1917年9月): 38–39頁 [自筆文献].
1930
島成園「母を憶ふ」『大毎美術』第95号 (1930年5月): 28–31頁 [自筆文献].
1937
島成園「さよなら大阪」『大毎美術』第180号 (1937年5月): 22–25頁 [自筆文献].
1937
生田花朝「雪解の花」『大毎美術』第180号 (1937年5月): 26–29頁.
1937
木谷千種「才星は北へ」『大毎美術』第180号 (1937年5月): 30–32頁.
2003
伊藤たまき「島成園の自画像について」『藝叢: 筑波大学芸術学研究誌』19号 (2003年2月): 1–26頁.
2003
小川知子「北野恒富と大阪の女性画家: 島成園と木谷千種」『北野恒富展』東京ステーションギャラリー[ほか]編. [東京]: 東京ステーションギャラリー, 2003年, 162–169頁 (会場: 東京ステーションギャラリー, 石川県立美術館, 滋賀県立近代美術館).
2004
小川知子「近代大阪の女性画家とグラフィック: 島成園と木谷千種の仕事」『大阪の歴史と文化財』第14号 (2004年10月): 26–34頁. 大阪: 大阪市教育委員会事務局生涯学習部.
2005
小川知子「島成園と大阪の女性画家群像」[連載]『大阪人』59巻1号–59巻6号 (2005年1月–6月). 大阪: 大阪都市協会.
2006
小川知子「島成園と浪華の女性画家たち」『島成園と浪華の女性画家』小川知子, 産経新聞大阪本社編. 大阪: 東方出版, 2006年, 5–16頁 (会場: なんば髙島屋). [展覧会カタログ].
2006
小川知子「白蓮と成園 『新錦絵帖 處女の頃』:大鐙閣を彩った女性たち」『新菜箸本撰』創刊弐号 (2006年8月): 6–10頁. 大阪: 「心斎橋研究」同人.
2011
橋爪節也「女性の内面を描いた島成園 近代大阪と女性画家の時代: 第1回」『やそしま』5号 (2011年10月). 大阪: 上方文化芸能協会.
2016
小川知子「近代日本画に描かれた女性の『老い』:女性画家が美人画に試みた『年増美』の表現」『美術フォーラム21』33号 (2016年): 64–69頁.
2019
東京文化財研究所「島成園」日本美術年鑑所載物故者記事. 更新日2019-06-06. (日本語) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9358.html
2019
小川知子「島成園の生涯と作品」『堺に生まれた女性日本画家 島成園』松浦萌子執筆・編. [堺]: 堺市文化観光局文化部文化課, 2019年, 6–10頁 (会場: さかい利晶の杜). [展覧会カタログ].
2019
松浦萌子「島成園と生まれ故郷・堺」『堺に生まれた女性日本画家 島成園』松浦萌子執筆・編. [堺]: 堺市文化観光局文化部文化課, 2019年, 11–15頁 (会場: さかい利晶の杜). [展覧会カタログ].
2023
北川久「女性日本画家・島成園とその周辺: 女四人と, 成園・成香の帝展初入選などをめぐって」『女性画家たちの大阪: 決定版!』大阪中之島美術館, 産経新聞社編. [大阪; 東京]: 大阪中之島美術館,関西テレビ放送, 産経新聞社, 2023年, 178–186頁 (会場: 大阪中之島美術館). [展覧会カタログ].

日本美術年鑑 / Year Book of Japanese Art

日本画家島成園は、3月5日心筋こうそくのため死去した。本名成栄。明治25年大阪に生れ、同37年堺高等小学校卒業後、北野恒富、野田九浦に師事した。大正元年第6回文展に「宗右衛門町の夕」を初出品して入選し、褒状となった。同10年森本豊次郎と結婚し、昭和2年満州に移住した。同20年に帰国したが、この間画業は休止して居り、戦後は大阪高島屋で毎年個展を開いて作品を発表していた。作品の主なものに「祭りのよそほ...

「島成園」『日本美術年鑑』昭和46年版(99頁)

Wikipedia

島 成園(しま せいえん、1892年(明治25年)2月18日(もしくは13日) - 1970年(昭和45年)3月5日)は、大正から昭和初期の女性日本画家。大阪府堺市生まれ。本名・諏訪(結婚後は森本)成榮。20歳で文展に入選し、女性画家の流行を作った。

Information from Wikipedia, made available under theCreative Commons Attribution-ShareAlike License

VIAF ID
21913841
AOW ID
_40148174
NDL ID
00478451
Wikidata ID
Q11476341
  • 2025-03-17