- 作家名
- 大竹伸朗
- OHTAKE Shinrō (index name)
- Ohtake Shinrō (display name)
- 大竹伸朗 (Japanese display name)
- おおたけ しんろう (transliterated hiragana)
- Ōtake Shinrō (translitarated Roman)
- 生年月日/結成年月日
- 1955-10-08
- 生地/結成地
- 東京都目黒区
- 性別
- 男性
- 活動領域
- 絵画
- 彫刻
- サウンドアート
- インスタレーション
作家解説
1955年、東京都目黒区に生まれる。1957年に大田区六郷に転居し、1963年まで暮らす。高度経済成長期における雑然とした東京の工場街が大竹にとっての原風景となった。幼少期から絵を描くことが好きであった大竹は漫画家を夢見るようになる。1965年に転居した練馬区谷原の近隣には手塚治虫のプロダクション「虫プロ」があり、描いた絵を持って足しげく通ったという。そして同時に、幼いころから音楽にも興味を持っていた。アメリカン・ポップスや和製ポップスなどのレコードを熱中して聞いていた8歳上の兄からの影響である。1950年代後半から1960年代初頭の日本は、少年向け週刊漫画雑誌が隆盛し、またテレビの普及も重なって、欧米の大衆音楽が続々と流入することで歌謡曲が変動していた時期にあたる。戦後の都市文化、そしてポップカルチャーとしての絵(マンガ)と音楽は、後々まで大竹の作品に影響力を持つこととなる。
1968年、母に連れられて訪れた東京国立博物館の展覧会「レンブラント名作展」を機に油絵に興味を持ち、独学で油彩を始める。1974年に東京藝術大学を受験するも不合格となり、武蔵野美術大学造形学部油絵学科に補欠入学。しかし入学直後に休学し、北海道別海町の牧場に住み込みで働きに出る。芸術家になるための試練として自らに課したこの労働は1年間続いた。大学に復学後、1977年から再び休学して渡英し、約1年間ロンドンに滞在。この地で出会った同世代のアーティスト、ラッセル・ミルズのコーラジュ・ワークとデイヴィッド・ホックニー、そして何よりも蚤の市で見つけた大量のマッチラベルとそれを貼り込んだスクラップ・ブックを通じて、大竹は自らの制作に活路を見出した。すなわち、コラージュという手法と、大竹自らが「既にそこにあるものとの共同作業」と呼ぶファウンド・オブジェを使用する制作スタイルである。ロンドンで制作された1冊目を皮切りに、ノートあるいは既存の書籍に膨大な印刷物やオブジェを貼り込んだり描画を施したりするスクラップ・ブックのシリーズはライフワークとして継続し、大竹の代表作となる。以後、風景、印刷物、音などの霊感を与えてくれるロンドンは数年おきに訪れる地となった。
1978年の帰国後はコラージュやイラストの制作と公募展への応募を続けるとともにノイズ・ユニット「JUKE/19.」の活動を開始。1980年に大学を卒業し、翌年にかけてLP・EP5枚を制作した。1982年末にギャルリー・ワタリで初個展を開催。1984年には『朝日ジャーナル』誌の連載「若者たちの神々」で時代の旗手に選ばれ、いわゆる「ニューウェイブ」の一人として認知される。美術史上では、同時期に世界各所で多発的に台頭した新表現主義、すなわち、多様なイメージ群を引用しながら激しい筆致や色彩を使用する具象的傾向の、日本における代表的な作家となった。とりわけ1987年に佐賀町エキジビット・スペースで開催した大規模な個展「大竹伸朗展 1984–1987」は大いに話題を呼び、この頃から造本、エッセイ、インタビューの仕事が顕著に多くなっていく。
1988年、2年前に結婚した妻の実家である愛媛県宇和島市の造船所から廃船を譲り受けたことを機に広い倉庫を借り、そのまま同地へ移り住む。1989年にアメリカを巡回した「アゲインスト・ネイチャー:80年代の日本現代美術」展、1991年にはヨーロッパ巡回展「キャビネット・オブ・サインズ」など、大規模な国際巡回展に参加、この頃から海外での発表機会も増加していく。1990年代はギャラリーでの個展やグループショーへの参加の他、絵本『ジャリおじさん』(福音館書店、1994年)、「ボアダムス」のヤマタカ・EY∃とのユニット「パズル・パンクス」の結成(1995年)などファインアート以外の仕事の比重が高まるとともに、日本の地方に取材したキッチュなイメージを援用した作品傾向が現れる。1999年のふたつの展覧会「時代の体温 ART/DOMESTIC」(世田谷美術館、東京)、「日本ゼロ年」(水戸芸術館現代美術ギャラリー)を皮切りにあらためて高まった現代美術としての評価を決定づけたのは、東京都現代美術館での「大竹伸朗 全景1955–2006」展(2006年)であった。国内最大規模を誇る同館の企画展スペースすべてを使用して2,000点余りを出品したこの個展は、スケールとボリュームで人々を圧倒した。その後、ベネッセホールディングスと公益財団法人福武財団によるベネッセアートサイト直島を主な舞台に、作品兼銭湯《I♥湯》(2009年)などコミッション・プロジェクトによる大作を続々と発表し、光州ビエンナーレ(2010年)、ドクメンタ(2012年)、ヴェネツィア・ビエンナーレ(2013年)など、国際展の常連作家となるに至る。2022年から翌年にかけては、16年ぶりの大規模個展「大竹伸朗展」を東京国立近代美術館、愛媛県美術館、富山県美術館で開催した。
大竹伸朗の作品は、矩形の中にありとあらゆる素材を寄せ集め、貼り込んでいく手法を基本として、音や動力や光源までを含めた素材の圧倒的物量、巨大なサイズ、膨大な数におよぶ制作点数といった、徹底した過剰さを第一の特徴とする。エッセイ集、絵本、レコードレーベルから発表される音の作品など、旺盛な制作がカバーする領域の広さも特徴的といえる。それを踏まえた上で大竹の典型を示す代表作は、1977年以降制作が続けられている「スクラップ・ブック」のシリーズ、佐賀町エキジビット・スペースでの個展で発表された、音響と無数の素材を集積した大作《ゴミ男》(1987年、東京都現代美術館)、「無人遠隔操作バンド」としてステージそのものを作品化した《ダブ平&ニューシャネル》(1999年、財団法人 福武財団)、素材の集積が小屋状のインスタレーションと化したドクメンタ発表作《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》(2012年)が挙げられるだろう。
(成相 肇)(掲載日:2023-09-11)(更新日:2023-10-18)
- 1987
- 大竹伸朗展 1984-1987, 佐賀町エキジビット・スペース, 1987年.
- 1989
- アゲインスト・ネイチャー: 80年代の日本現代美術, サンフランシスコ近代美術館, アクロン美術館, MITリスト視覚芸術センター, ボストン銀行アート・ギャラリー, シアトル美術館, シンシナティ現代美術センター, ニューヨーク大学グレイ・アートギャラリー, ヒューストン現代美術館, ICA名古屋, 1989–1991年.
- 1991
- キャビネット・オブ・サインズ, テート・ギャラリー, ホワイトチャペル・ギャラリー, マルモ・クンストフェライン, 1991–1992年.
- 1993
- 第1回アジア・パシフィック現代美術トリエンナーレ, クイーンズランド州立美術館, 1993年.
- 1999
- 時代の体温 Art/Domestic, 世田谷美術館, 1999年.
- 1999
- 日本ゼロ年, 水戸芸術館現代美術ギャラリー, 1999年.
- 2006
- 大竹伸朗全景: 1955-2006, 東京都現代美術館, 2006年.
- 2007
- 大竹伸朗展: 路上のニュー宇宙, 福岡市美術館, 広島市現代美術館, 2007年.
- 2010
- 第8回光州ビエンナーレ10,000 Lives, 韓国,光州市, 2010年.
- 2012
- ドクメンタ (13), カッセル, ドイツ, 2012年.
- 2012
- 大竹伸朗展, アートソンジェ・センター, 2012年.
- 2013
- 第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展 エンサイクロペディック・パラス, ヴェネツィア, 2013年.
- 2013
- 大竹伸朗展: 憶速, 高松市美術館, 2013年.
- 2013
- 大竹伸朗展: ニューニュー, 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館, 2013年.
- 2014
- 大竹伸朗, パラソル・ユニット (Parasol unit), 2014年.
- 2016
- Shinro Ohtake: Paper-Sight, シンガポール・タイラー・プリント・インスティテュート [Singapore Tyler Print Institute], 2016年.
- 2018
- 起点としての80年代, 金沢21世紀美術館, 高松市美術館, 静岡市美術館, 2018–2019年.
- 2019
- 大竹伸朗 ビル景: 1978-2019, 熊本市現代美術館, 水戸芸術館現代美術ギャラリー, 2019年.
- 2022
- ハワイトリエンナーレ2022: Pacific Century: E Ho‘omau no Moananuiākea, ホノルル, 2022年.
- 2022
- 大竹伸朗展, 東京国立近代美術館, 愛媛県美術館, 富山県美術館, 2022–2023年.
- 愛媛県美術館
- 福武財団, 香川県
- 高知県立美術館
- セゾン現代美術館, 長野県軽井沢町
- 高松市美術館, 香川県
- 彫刻の森美術館, 神奈川県
- 東京国立近代美術館
- 東京都現代美術館
- 富山県美術館
- 1991
- 都築響一編『大竹伸朗の仕事: 1955-91』東京: UCA宇和島現代美術, 1991年.
- 1999
- 大竹伸朗『既にそこにあるもの』東京: 新潮社, 1999年 (『既にそこにあるもの ちくま文庫』東京: 筑摩書房, 2005年) [自筆文献].
- 2002
- 大竹伸朗『テレピン月日』東京: 晶文社, 2002年 [自筆文献].
- 2006
- 大竹伸朗『ネオンと絵具箱』調布: 月曜社, 2006年 (『ネオンと絵具箱 ちくま文庫』東京: 筑摩書房, 2012年) [自筆文献].
- 2006
- 浅田彰「誰が大竹伸朗を語れるか: 書かれなかったカタログ・エッセーに代えて」『美術手帖』第889号 (2006年12月): 14-17頁.
- 2006
- 東谷隆司「テキスト 既にそこにある宇和島の大竹伸朗」『美術手帖』第889号 (2006年12月): 100-115頁.
- 2007
- 椹木野衣「ネオ・ポップの展開」美術評論家連盟編『美術批評と戦後美術』東京: ブリュッケ, 2007年, 261-279頁.
- 2008
- 大竹伸朗『見えない音、聴こえない絵』東京: 新潮社, 2008年 (『見えない音、聴こえない絵 ちくま文庫』東京: 筑摩書房, 2022年) [自筆文献].
- 2013
- 大竹伸朗『ビ』東京: 新潮社, 2013年 [自筆文献].
- 2013
- マッシミリアーノ・ジオーニ「ロング・インタビュー : 「自分の関わるすべてのことが現在の作品に関係がある」という意識が、「蓄積」や「時間の層」となって現れる。」『美術手帖』第993号 (2013年10月): 18-33頁.
- 2013
- ドリアン・チョン「大竹伸朗試論:《モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋》とラウシェンバーグの比較から」『美術手帖』第993号 (2013年10月): 72-80頁.
- 2014
- 北澤憲昭「第一節 美術の「保守革命」とニュー・ウェイヴ: 七〇年代半ばから九〇年代初頭」『美術の日本近現代史: 制度・言説・造型』東京: 東京美術, 2014年, 681-719頁.
- 2022
- 大竹伸朗『銅の時代1978-2022』東京: カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社美術出版社書籍編集部, 2022年.
- 2023
- Kitazawa Noriaki. “Section 1. Fine Art's ‘Conservative Revolution’ and the New Wave: The Mid-1970s to the Early 1990s”. History of Japanese Art After 1945: Institutions, Discourse, Practice. Kitazawa Noriaki, Kuresawa Takem and Mitsuda Yuri. Tom Kain (English translation ed.), 199-238. Leuven (Belgium): Leuven University Press, 2023 [北澤憲昭「第一節 美術の「保守革命」とニュー・ウェイヴ: 七〇年代半ばから九〇年代初頭」『美術の日本近現代史: 制度・言説・造型』の英語版].
Wikipedia
大竹 伸朗(おおたけ しんろう、1955年10月8日 - )は、日本の現代美術家。
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- 2023-09-26