作家支援のあり方をめぐって。 笹本晃 × 神谷幸江

2023年2月17日

対談企画

国際的な評価を高める上で重要な機会を得た作家への支援、国際シンポジウムの開催なども行ってきた文化庁アートプラットフォーム事業(APJ)。今回はニューヨーク在住のアーティスト笹本晃をゲストに迎え、作家の立場からサポートのあり方やこれからの希望を聞いた。APJのステアリングコミッティーを代表し、神谷幸江がインタビュー。(敬称略)

2名の女性が白い部屋のなかで斜向かいに座り、こちらをみているようす


知らなかった世界とつながった、ヴェネツィア・ビエンナーレの経験

神谷幸江(以下、神谷):5ヵ年のパイロットプロジェクトとして、APJはこれまで笹本さんをはじめとしたアーティストが国際的な活動を続けるための後押しとなるよう、助成金のサポートなども行ってきました。2022年はそのひとつに、第59回ヴェネツィア・ビエンナーレがありましたね。参加に向けた準備の話からお伺いできますでしょうか?

笹本晃(以下、笹本):まず、声をかけていただいたのが1年ほど前、2021年の夏でした。それまで私はヴェネツィアに行ったことがなくて、ならば1日でもいいから現地に足を運んだほうがいいとキュレーターに勧めていただいたのがはじまりです。私のことをよく理解してくれている人なので「最後まで自由が利くような場所を与えるから、そのかわりとりあえず見てこい」と。なので、まずは行ってみて、1から作り始める感じでした。

神谷:完全に新作だった?

笹本:はい。幸せなケースだと思います。キュレーターとアーティストのつながりが既にあった。私もキュレーターもニューヨークにいて、私をリプリゼントしているギャラリーはバーゼルなどの国際的なアート・フェアで見せてきた経験があって。

神谷:基盤があったのは大きいですね。

笹本:いざ出展する作品が構想できたら、その後が大変でしたけど。輸送が大変ですし、コロナは蔓延するしで、自分ではコントロールできない大がかりなことになって。人にも金銭的にもたくさん助けられました。

神谷:ヴェネツィアは運河に囲まれていて、そもそも地理的に離れていますし、ロジスティクスは確かに大変ですよね。そんな中で、大型の作品《Sink or Float》を制作なさった。このカタツムリの作品、しかも動く、というアイデアはどんなところから来たのですか?

作品の展示風景。部屋の左右にガラス張りの展示台が置かれている。部屋の中央奥には保管設備のような2台の機器が並んでおり、それぞれ赤と青の光で照らされている《Sink or Float》展示風景 第59回ヴェネツィア・ビエンナーレ「The Milk of Dreams」にて。
撮影:Wolfgang Träger / ©︎笹本晃 / Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo and Bortolami, New York

笹本:ヴェネツィア特有の注文といいますか、私の体を抜いても成立する作品を作ってほしいといわれました。ヴェネツィアの会期は7ヶ月。オープニングでアート界隈の人たちに見ていただけるとしても、それが体本位で成り立つようなパフォーマンスの作品だったら、その後の会期がうまくいかないんじゃないかと。

神谷:笹本さんの中でも新しいチャレンジになりましたね。

笹本:そうですね。私の作品はパフォーマンスオンリーのものも、モノだけというのもある。その中でどういうグラデーションをつけるのか、私自身すごく興味がありました。今回はキュレーターが旧知だったので、振り切ることができたと思います。とりあえず作れる作品を作って、それからどうやって軽くしていくかを考えました。

神谷:ヴェネツィアで思い出すのは1988年、「アペルト」部門で初めて出展した森村泰昌さんや宮島達男さんの発表です。日本の現代美術シーンが国外に紹介されていくひとつのきっかけとなりました。笹本さんは今回のヴェネツィア参加で、これまでとは違う手ごたえや経験はありましたか。

笹本:私は2000年に学部留学でアメリカに来てから、ほぼずっとこっちにいます。ヨーロッパでこれまで見せる経験があまりなかったということに気づきましたし、ヴェネツィアの出展はいいイントロダクションになりました。

神谷:ご自身の活動範囲が広がったと感じますか?

笹本:感じますね。パフォーマンスはしませんでしたが、カタツムリが動くなどのパフォーマティビティが入った作品ということで、いいビジネスカードになったかなと。全体を見ても今回、パフォーマンスという形の発表は少なかったですが、テーマの中に身体性※ が入っていたので、見る側もそこを見に来ている感じがありました。

※ 「身体の表現とその変容」「個人とテクノロジーの関係」「身体と地球の関係」の3つがテーマだった

マグカップとアクリル板を持ち、笑顔で机に寄りかかる笹本晃の写真笹本晃

アーティストが求める支援のあり方は、キャリアによっても違う

神谷: 笹本さんがこれまでレジデンスプログラムなどの招待を受ける中で、新たなきっかけや影響を得たサポートや助成の例があったら教えてください。

笹本:活動を始めた初期は日本とニューヨークを行き来していて、自分のルーツがどこに行くかわからない状況だったので、その時に助成があったのはとても良かった。テーマについてリサーチするというスタンスで、展覧会に落とさなくてよかったので。文化庁新進芸術家海外研修助成(2011-12年)とポーラ美術振興財団(2013-14年)の2ヵ所からの助成がありました。

神谷:初期はどんなテーマでやっていたのですか?

笹本:パフォーマンスを美術界がちょうど取り上げ始めた頃でした。歴史的にはフルクサスが出てきた1970年あたりからの流れがありますが、もっと組織的にどうやってパフォーマンスを美術の世界に放り込んでいこうかと動き始めていた頃です。マリーナ・アブラモヴィッチのレトロスペクティブな展覧会が組まれたり。

神谷:パフォーマンスという部門を増設し、美術館にコレクションしたり、紹介していこうとしていた時期ですね。

笹本:そうですね。メディアアートが美術館に入ってきた時と同じ感じだった気がします。新しい部門としてのパフォーマンスについて、美術界のあちこちでキュレーターやノンプロフィットの人々が話し始めていました。自分はまだ若くて駆け出しのアーティストでしたが、文化庁のようなフェローシップを持っていることで、そういう人たちとの会話に入っていくことができました。2021年には、アトリエ・カルダーのレジデンシープログラムに参加しました。ノミネーションベースでいただいた話でしたが、これも展覧会に落とさなくていいのがやはり良かった。

木材で囲われた枠組みの中に笹本晃が座って作業をしているようすアトリエ・カルダーのレジデンシー・スタジオにて。©笹本晃

神谷:なるほど。寛容で自由な時間というのが、いつか花を開かせるための水になった。

笹本:ただ、アーティストってやっぱり最終的には作りますから。助成を受けた時点で制作が決まってなくても、決まった時に(レジデンス先の)クレジットに言及する。そういうレジデンシーでした。いずれにしてもプレッシャーはありますから、自分のペースで自分にストレスをかけながら制作をします。半年スタジオにいて、何かを作る。作らなくてもいいけれど、そこに滞在する。それだったら私もできると思い、参加しました。

神谷:このレジデンシーは都会から離れたところにあるので、考えたり制作するのに集中できる環境ですね。

笹本:他のアーティストもいませんし、自分だけの時間です。交流の場を設けるなどのプログラミングも用意されすぎない方が、いろんな結果が出せるなと感じました。

神谷:自由な時間と空間のサポートのほうが、アーティストとしてはどんどん吸収していける?

笹本:ただ、キャリアによってそれは違うかもしれません。自由な環境はミッドキャリアの人に向いているサポートだと思います。どういう成果につながったのかというクレジットはもちろん必要ですから、レジデンシーの後にアーティストは成果をたぐり寄せないといけません。駆け出しのアーティストの場合は、私がお世話になったようなリサーチ・ベースの助成だったり、プログラムされた出会いもあるといいかもしれません。

神谷幸江と笹本晃が話をしている写真

大学も助成もすべてはイントロダクションである

神谷:2020年秋になりますが、笹本さんにパンデミックの時にオンラインだけのバーチャルプラットフォームでのプロジェクト 「From Here to There」(ジャパンソサエティー、NY主催)に参加してもらいました。録画ではなくライブであることにこだわり、笹本さんは教えているイェールの学生たちとプログラムを作りました。アーティストにとって、こうしたバーチャルの経験が、現在のオンサイトでの取り組みにもたらした変化などはありますか?

笹本:バーチャルプラットフォームは、メディアのひとつとして捉えています。特殊な状況下では、想像しないといけない。利点は遠くの人とつながれるということです。それはガンガン使っていかないとしょうがない。タイムリーなプロジェクトだったと思います。

神谷:新大陸発見みたいな状況。そこで何ができるのか。

笹本:エンパシーを得るためには、実際にやらないとわからないことがあります。そしてその後、誰が引き金になるのかということです。それが私の生徒であったら嬉しいし、もしかしたら作品のプロジェクトを見てくれた人であってもいいし。さらに深く掘っていく人が出てきて、その引き金となった人が新世界を築いていく。

神谷:まず行ってみて、みんなでデータを共有するということですね。

笹本:私が大学で教えることは、すべてがイントロダクションです。最初のドアを見せるだけ。そして生徒がドアの先へ行き、掘っていくと私は考えています。私が深く入っていったところへ一緒に来てもらう必要はないですし、それだと二番煎じになりますし。特にアートの場合は、昨日までの定義で今日の作品を見てもしょうがない。どれだけ複数のドアを見せて、イントロダクションを与えるのか。

神谷幸江が話をしている写真神谷幸江

神谷:いろいろな助成もイントロダクションといえますね。そこから掘り始めて、機会として利用するかどうかはアーティストやインスティテューション次第。そのきっかけを数打つこと。ひとつひとつがすべて宝石になる可能性はない。アーティスト活動をしながらの教職というのは時間を取られることだと思いますが、作家としての学びや得ることはありますか?

笹本:教職の立場にいると、やはり多くのドアを見ることができます。生徒がそれぞれの興味を持ってきて、私はそれならAとBとCがいいんじゃない?といいます。ただ、そのために私はいろんな人とつながっていないといけない。イェールは総合大学なので、いろんな分野の人を知っておく必要があります。例えばエンジニアリングの学校の人、歴史学者の人と何度か会って交流をしておくなど、つながりをたくさん持っておいて、発掘は生徒にしてもらう。私は自分で行かなくていい。インダイレクトにその結果も見ることができるのはラッキーです。

神谷:たくさんのドアを開くことも、いろんな意味で刺激になる。その点で、教職は役に立っていると。

笹本:しっかり境界線は引いておく必要はあります。生徒が進もうとしている道が楽しそうだからといって、私が一緒に行っちゃうと生徒と衝突しますから。人類みな兄弟みたいな感じ。ひとつのオーガニズムです。アーティストがいろんな学問や分野と提携し、アートのこれからのあり方や、他の分野にできないことを考えていく。大学はそういうことができる場所だと思っているので、アーティストとしての制作と教職は、近いようでいてまったく違います。

神谷:ただし同じ地球の中のことである。

笹本:そうですね。私が教えることができるのは、そういうメソッドの部分です。どうやっていろんなところと関係を持っているかということを、どうやって教えるのか。

神谷:そのための準備は、自分にもいろんな意味で戻ってくると。

笹本:制作したアート作品の発表と、カリキュラムの発表って結構似てるんです。構造は全く違いますが、いずれも個人では動けない。インスティテューションのレベルで動いて、いかにその分野を発展させていくのか。

異分野・異時代・異文化とのつながりが、新しいフュージョンの道を開く

神谷:APJは2023年度以降、国立アートリサーチセンター(仮称、以下リサーチセンター)に引き継がれて、新たに活動をしていく準備をしています。笹本さんはアーティストとして日本のこれからのリサーチセンターに、継続してほしいことや希望などはありますか? 現在、具体的には助成金という形で、展覧会出品に向けた大作や新作が制作できるための資金的バックアップしようというのがひとつあります。

笹本:発表することに関して、やはり金銭的なバックアップがないとできないことが多いですし、私自身も助けられてきました。一方、画廊を通して、あるいは主催者への助成など、私個人ではなくグループとしてサポートするプロジェクトというのも、すごく良かったと思います。 制作に関しては、例えばアトリエ・カルダーのように、発表する・しないを問わずに個人をサポートするのもいいと思います。そこはしっかり分けておかないと、アーティストもわからなくなってくるんです。

神谷:制作なのか、発表なのか。制作の場合、ゴールを決めないでやっていくほうがいい?

笹本:制作は、個人のスタジオ内での制作と、外に発表するため制作をそれぞれ別に考えないといけません。ゴールありきの制作はお金がかかるので、ちょっと違うんですよね。もうひとつ、今のアーティストって、自分の作品が5年後にどうなっているのかを考えずに作るじゃないですか。だから制作とは別のところで、例えば友達に保存担当者がいるかどうかでも全然変わってくると思うんです。そういうつながりもあったらいいですね。ずっと昔はアーティストこそ保存担当者でもあったわけで。

神谷:なるほど。

笹本:昔の西洋のペインティングは、マテリアルチョイスの段階からいかに漆喰が続くかということを考えた上で描かれていました。コンテンポラリーはそれを全く考えていない。考えないことがダメというのではないですが、例えば美術館の人と話す内容は、キュレトリアルの話ばかりですから。

神谷:修復や保存など、別の話も早い段階からできていたら変わりそうだと。

笹本:それによって、自分の制作の形態を変える必要はないですが。

神谷:ひとつの知識となりますね。

大きな窓に面した机で作業をする笹本晃アトリエ・カルダーのレジデンシー・スタジオにて。©笹本晃

笹本:あとは、どうやって日本の作家が外に出ていくのか。美大で学ぶ段階で、仕組みのところからもっと知ることができたらいいのではないでしょうか。サポートする側が、活躍を始めた時期から話をするのではなく、もっと前の段階から話ができるかどうか。そうすればクラウドアップになり、基準が変わってくると思います。

神谷:どうやって作家としてのパフォーマンスを保持できるかなど、アイデアが先にあったら作品にも影響しそうですね。あとはキャリアパスの例を知っていたり、過去事例のアーカイブのようなものにアクセスできることも変化につながるかもしれません。

笹本:コンテンポラリーアーティストの人って、自分とその前々ぐらいの事例しか見ていないですよね。それが致命的になりそうです。アートの発展に寄与するのだとしたら、アートの部分だけ見ていてもダメだぞと。

神谷:異時代を見ることは、かなり重要ですね。近代以降の美術館の分野分類に似ています。時代区分ごとに美術館が作られて、メディアごとにどんどん細分化している。そうではない時代越境とか、メディア越境という横断型の道を作ってみるのも、いろいな知識を得ることができる。温故知新的なものがないと、コンテンポラリーアートは一面的になってしまいかねません。リサーチセンターに、そういった異分野や過去へのアクセスがあるのも一案ですね。

笹本:あと、異文化ですね。今回、私はヨーロッパに行ってみて、そこで話されている会話が違うことを知りましたが、それでも話が早くできたのは、ユーロアメリカンでつながっているから。もっと他につながってないエリアってたくさんあるじゃないですか。

言語や立地においてつながりが難しいものを、どういう風につなげるのか。ヨーロッパとアメリカを飛ばして、例えばナイジェリアとどうつながるか。アジアの国として、アジア地域とどうつながるか。移民つながりで、ラテンアメリカやブラジルとどうつながるか。そうしたユーロアメリカンではないパスのほうが絶対に面白い。音楽の分野でも日本にジャズが入ってきた時、他にないフュージョンが起こってすごく面白かったですよね。

神谷:新しいフュージョンを生み出すことができたら、日本を出自とした文化の広がりもむしろ強く出るのではないかということですね。今日は多岐に渡るいろいろなサジェスチョンをありがとうございました。


対談者プロフィール(敬称略)

笹本晃:アーティスト、イェール大学大学院彫刻専攻専攻長
神奈川県生まれ。ニューヨーク在住。10代で渡英し、その後アメリカで美術、ダンス、彫刻などを学ぶ。コロンビア大学大学院美術課程修了。日常的な行為や手順をテーマにしたパフォーマンス、彫刻、インスタレーションで知られ、作品の中ではダンサー、彫刻家、ディレクターとして様々な役割を演じる。ビジュアルアーティストやミュージシャン、振付師、科学者、学者など幅広い分野の人とのコラボレーションも多数展開。主な発表に「ホイットニー・ビエンナーレ2010」、「第9回光州ビエンナーレ」(2012)、ニューヨークのスカルプチャーセンターでの個展「Delicate Cycle」(2016)、「第59回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展」(2022)など。同ヴェネツィアで展示した《Sink or Float》と併せ、今年はTake Ninagawaで5年ぶりの新作の彫刻展《浮き沈み浮き》を発表したほか、「あいち2022: STILL ALIVE」「釜山ビエンナーレ2022」「岡山芸術交流2022」のグループ展に参加。

神谷幸江:キュレーター、美術評論
神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部史学科美術史専修卒業。デ・アペル(アムステルダム)キュレトリアル・プログラム修了。ニューミュージアム(ニューヨーク)アソシエイト・キュレーター、広島市現代美術館学芸担当課長、ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)ギャラリー・ディレクターを歴任。「第12回上海ビエンナーレ」(2018)共同キュレーター。国内外でアジアと他地域、異分野を横断する展覧会を企画する。手掛けた主な展覧会に小沢剛、オノ・ヨーコ、蔡國強、ス・ドホ、サイモン・スターリング、森村泰昌らの個展、「Re:Quest─1970年代以降の日本現代美術」(2013)、「ふぞろいなハーモニー:アジアという想像力についての批評的考察」(2015‒18)などの共同企画がある。2011年西洋美術振興財団学術賞を受賞。AICA(美術評論家連盟)会員。共著に『Creamier –Contemporary Art in Culture』(Phaidon/2010)、『Ravaged –Art and Culture in Times of Conflict』(Mercatorfonds/2014)、『Hiroshi Sugimoto: Gates of Paradise』(Skira/Rizzoli/2017)など。

写真:Ofra Lapid
編集・文:合六美和